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第8夜 雨が隠すもの

 今夜も変わらず森の入り口へと向かい、木の幹に背中を預けていた大上おおがみさんに声をかける。


「こんばんは」


「あぁ、こんばんは」


 大上さんは木の幹から体を離し、持っていた傘を開いてふわりと頭上にかざす。


「では、行こうか」


「はい」


 2人で森の中へと歩を進め、送り狼に狙われる(・・・・)時間が始まった。


 本日の空模様は雨のため、俺も大上さんも濡れてしまわないように傘を差している。人気ひとけの無い暗い森を2輪の花が進んで行く。


 俺は傘を少しばかりかしげ、大上さんの表情をチラと見る。そこには、先日の新月の時と同じ顔があった。


「……今日も、月は出ていませんね」


 なんとなく元気の無い狼に、その原因を声に出して確認した。すると大上さんは、地面の水溜まりをパシャリと踏み跳ねさせて口を開く。


「雨雲の犠牲となるのなら仕方がないさ。私の気持ちが多少落ち込むより、地表に潤いがもたらされるほうが大切だ」


「雨水はあらゆることに必要ですからね。さすがに、あなたの気分のほうが大切だ……と軽口を言うこともできません。けれど」


 俺はそこで一旦いったん言葉を区切り、鞄からあるものを取り出した。


「どちらも優劣など無く大切なので、これをプレゼントします」


 紙に包まれた5センチほどの物体を、手のひらに乗せてスッと差し出す。大上さんがそれを手にとった後、包装紙を剥がしやすくするよう傘を代わりに持つ。


 両手で紙を開いて包まれていたものを見た大上さんは、瞳をわずかに見開いて驚きを表した。


「これはまた……、何とも素敵なプレゼントだね。なんという名前なんだい?」


「あわまんじゅうです。美味しいのはもちろんですが、その見た目だからこそ渡したくなったんです」


 あわまんじゅう。福島県の柳津町やないづまちが誇る銘菓で、あわ餅米もちごめを合わせた生地でこしあんを包み込んだ饅頭まんじゅうだ。最大の特徴はその見た目で、黄色く丸い姿は夜空に浮かぶ満月を彷彿ほうふつとさせる。


 大上さんはふふっと楽しげに笑みを浮かべ、あわまんじゅうにいつくしむような視線を落とす。


「このような菓子があるとは知らなかった。人間はまた、粋な饅頭まんじゅうを作るものだね」


「あなたが喜ぶと思って用意したんです。どうやら、甲斐はあったようですね」


「あぁ、とても嬉しいよ」


 満月好きの大上さんなら気に入ってくれると確信していた。月の見えない日に渡して元気を出してもらおうという画策していた作戦は、無事に成功したようだ。


 放っておくといつまでも眺めていそうな狼に、あくまで食べ物であることを思い出させる。


「いくつか数があるので、どうぞ遠慮無く食べてください」


「満月を食べてしまうだなんて、とても背徳的な気分になるね」


 そう言いながらも嬉しそうな表情の大上さんは、あわまんじゅうを左手の指先で摘まみ一口で食べた。食感を楽しむように幾度いくどみ、口を軽く手で覆いながら飲み下す。


「……さすがは満月。期待以上の美味しさだ」


 覆っていた左手を離す際、余韻を味わうように人差し指の腹をペロリと舐めた。あやしくあやしいその仕草は、まさしく妖怪そのものだ。


 恐ろしいほどになまめかしい狼に、魅了された人間が心中を吐露とろする。


「あんまり見目麗みめうるしい挙動をすると、味を占めて何度でも食べさせられますよ」


籠絡ろうらくされたキミというのも興味があるけれど、罪悪感で後味が悪くなってしまいそうだね」


「悪趣味なことは嫌いですもんね」


「あぁ、それが私の持ち味だ」


 味わい深い時間を過ごした後、追加でもう1つあわまんじゅうを食べた大上さんに傘を返す。相も変わらず降り注ぐ雨は、傘に当たる度にとつとつと音を鳴らしていた。


 そんな挙動を見られて浮かれていたのが悪かったのだろうか。次はいつ差し入れようかなどと考えていた俺は、濡れた石に足を滑らせてしまった。


「……!」


 勢いそのままに前側へと倒れ込み、とっさに左手を突き出して地面につく。


 送り狼の目の前で、転んでしまった。


 左手と左膝を地面につき、片膝立ちの姿勢で硬直する俺の背中に声がかけられる。


「おや。キミは今、転んでしまったのかい?」


 俺の半歩後ろに立つ大上さんは、禁忌を犯したのかと問いかけてきた。


 傘を放り投げてしまった俺を、雨水から守るように異形の狼が覆い被さる。


 囲っている腕に水滴が伝い、爪の先からポツリと落ちて地面に染み込んでいった。


 俺は決して振り返らず、思考を巡らせて言い訳を口にする。


「転んでません。ズボンに泥が跳ねてしまったので、拭き取ろうとしゃがみ込んだだけです」


 禁忌の質問に否と答えると、体は徐々に人の姿へと戻っていった。


「そうかい。それは失礼、疑ってしまって悪かったね」


 俺は傘を掴んでかざし直し、濡れてしまった左手や汚れたズボンをポケットティッシュで拭く。


 そのまま立ち上がって素知らぬフリをして口を開いた。


「汚れは早めに拭き取らないと、シミになって落ちにくくなってしまいますからね」


「これはまた、ずいぶんと家庭的な発言をするものだね」


「このぐらい、一般常識の範疇はんちゅうですよ。汚れないよう気を付けていたつもりですが、さすがに足を滑らせて…………っ!」


 そこまで言葉を述べて、俺は重大なミスに気が付いてハッと口を閉じる。


 話の流れで「足を滑らせてしまうとは」と言いかけてしまった。


 大上さんはその隙を逃すことなく、確かめるように俺の顔を覗き込む。


「おや、やっぱり転んでしまったのかい?」


 俺は視線を逸らさず、ゆっくりと首を横に振って再度否定する。


 すると大上さんは、ふっと薄く笑ってあやしい視線を向けてきた。


「危うく、口を滑らせてしまうところだったね」


 肯定も否定も足を滑らせてしまったことの証明となってしまうので、俺は何も口にしなかった。

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