79話 思い人の旅立ち
「今回も色々お世話になった」
「いえ……そのような事は何も」
タスク様はこれから王都で再び魔王ブローに代わり魔族の頂点という立ち位置の生活に戻られる。
「次は……なるべく早く来るからそれまでみんなを頼む」
そう言っているけどタスク様はこれから暫く来られる事はないと思う。
人数は増えたけどタスク様からはそれ以上に余りある食糧を備蓄してもらっているし、魔王という立場上簡単に王都を離れられない訳で……。
「……あの……」
「ん?」
「その……」
いつもならすんなり言葉が出るのに。
タスク様はそんな私に微笑みながら待ってくれている。
「……エリー姉様の事よろしくお願いします」
私の言葉にタスク様は意表をつかれたような表情を見せて、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「勿論。エリティアの事は死んでも守るから安心してくれ」
「よろしくお願いします」
タスク様は親指を立てて約束してくれた。
(違う。もうお姉様の事は許しているけど言いたいのはもっと別の……)
もう一度声を掛けようとして、
「タスク様、エリティア様が早く来てほしそうに待っていますよ――!」
「なっ!? いつ私がそんな事」
姉様は驚いておられるけどたぶん態度で丸わかりだったんでしょう。
その光景がありありと思い浮かびます。
「おっとそれじゃあ行くよ」
「あっ……」
王都組の元へ行ってしまうタスク様。
追いかけたいけれど行ったら足手纏いになってしまう。
我儘をして迷惑をかけるのは嫌だった。
行ってしまった後、私は残った人達の食事を作り、衣装作りの手伝いを終えるとベッドに転がった。
このベッドは自分のベッドではない。
今朝までタスク様が使われていたベッドだ。
私が開放された当初とは違ってベッドにはサイズにあった布団と毛布が敷かれている。
どちらもタスク様が持ってきてくれたものだ。
「あぁ……どうして言えなかったのよ~」
ベッドに顔に埋もらせて自分の覚悟の無さに嘆く。
こういう結果に終わったのは初めてじゃない。
もう婚約者に縛られず自由な恋が出来るようになったのに、どうしてもタスク様を前にすると云い淀んでしまう。
自分はもっとはっきりと言えるタイプだと思ったのになぁ。
次にタスク様が来られるのはいつでしょうか?
5日後? それとも10日?
15日よりも前には来てくれるはずです。
だってまだ食料庫に凍結系の魔法具を設置していないから食料の備蓄は半月が限界。
タスク様はそれよりも前に来られる。
次こそ……。
「フィルティア様、いらっしゃいますか?」
「っ!? ……キーナっ?」
「失礼します」
部屋の扉からキーナが入ってくる。
「どうかしたかしら?」
キーナが入って来るより前にベッドから下りてキーナにいつもの笑みを浮かべた。
内心ではびくびくしていてもそれを外には洩らす事はしない。
幼い頃から教育されているお嬢様スマイルです。
「今後の清掃のシフト表を持ってきました」
「あぁ、紅蓮の乙女のメンバーにも手伝っていただきたいと言って保留にしていたのですね」
「はい。彼女達も含めて行えば今までできなくて困っていた箇所も行えますから」
流石、元メイド長。
しっかりと私の名前も記載されている。
それも要望に応えてキーナとペアでした。
『花嫁修業』の御蔭で掃除技術も向上しているけどあまり得意じゃないから本当に助かります。
「……これで構いません。みなさんにも目の届く場所に置いておいてください」
「分かりました」
タスク様の部屋はすべて私が任されるくらいに上達するために頑張らないと。
キーナが立ち去ると私は暫くして再びベッドへとダイブした。
(もう王都へと着かれたかしら。何事もなければいいのですけど)
魔族の姿を私ははっきりと見た事がない。
お父様達が戦っている魔族を遠くから見ただけ。
だから魔族の中で生活するというのがどういうものなのか正直あまりピンときていない。
タスク様は大丈夫だと言っていた。
でも摸擬戦で見た幻の魔族はとても凶悪であんな生き物の中で生活するのかと思うと心配になってしまう。
「タスク……さま……」
顔を埋めて呼吸をすると匂いがした。
ほんのり汗臭い感じの男性の香り。
それが自分の身体を包み込んでいくように感じた。
本当にこうして包まれたい。
でも今のタスク様は私ではなくお姉様しか見ていない。
お姉様には悪いですが正直負けている所はないと思う。
顔は姉妹でも結構似ているので差はない。
体つきは小柄で細身と男性の理想だとよく言われていた。対してエリー姉様は少々大きい。
お嫁さんとしても家事全般を絶賛修行中の私の方が何もできないエリー姉様よりいいはず。
ないのにタスク様の心がなかなか向いてくれない。
「……タスク様」
切なさと寂しさ。
優しさと穏やかさ。
そしてベッドからはほんのりと漂う香り。
「……私も隣に居たい。……タスク様の隣で過ごしたいのに……」
いつしか唇から甘い吐息が漏れていく。
自分が不味い事をしているのは分かっている。
でも止められない。
ベッドの上に転がって自分の中にある想いを妄想の中で発散していく。
「ふぁ……はぁはぁ……んっ」
しかしその動きは急に止まった。
「……」
「あ……」
「……」
「……」
「……その、ごめんなさいね」
キーナが出ていった時、扉がきちんと閉じていなかったようで扉の隙間からミラさんと視線がぶつかった。
どこかばつの悪そうな表情を浮かべて謝罪された。
「……ミラ、さん……」
「私も多少料理が出来るから手伝いとして入れてもらおうかなって思ってきたんだけど……」
「……あぁ、その……これは……」
「扉が開いていたとはいえ声もかけずに覗いたのはマナー違反よね」
「……」
「まさかフィルティア様が、とは思いましたが、フィルティア様の年齢からしたら全く可笑しくない事ですから」
私の頭の中が真っ白になっていく。
「あ、あの……い、いつから」
「大丈夫。誰にも言わないから」
「そうじゃなくって」
いや、それも大事ではあるんですよ。
でもそれ以上に大事な事が。
「私もグラマンティアにこっちのメンバーを纏めてくれるように頼まれたから仕方なく残ったけど王都組に入りたかったのよ」
いきなり何の話?
「だから残された者の気持ちが分かるわ。これからは残された者同士全力でタスク様との仲をサポートしますわ」
「……っ!?」
どうやら一番聞かれたくなかった所まで見られてしまっていたらしい。
「ち、違う」
「あんなにはっきりと言っていたのですから説得力がありませんよ」
「あああ……」
もう何を言っても弁解できないようです。
不用意に名前を溢して聞かれた私が悪いのでもう諦めるしかない。
「しかしフィルティア様がここまで乙女になられるとは」
「おかしいですか?」
「フィルティア様は婚約者の勇者だけでなく王族、貴族の御子息にはまったくの無反応でしたので女性の方が好きではないのかとまで噂になっていましたので」
「女性が好きってそんな事ありません」
「その様で。ただ好きになる殿方がいなかっただけのようですね」
そう言い残してミラは部屋を後にした。
残された私は、
「うあうぅぅぅ……」
先程とは別の理由でベッドに顔を埋めて言葉にならない声で叫ぶのだった。