第4話 暗闇の中で
金曜日。明日から休日である。
ウキウキを隠せない小学生たちが下校している。
白井はいつもの溜まり場に向かっていた。
今日は何をするのか。わからないけれど、彼らといる時間は幾分かましに感じるから好きだった。
今日は水を浴びせられた。放課後、トイレに呼び出されて。
数人に囲まれた。男女合わせて五人くらいいたかな。思い出したくもない。
ずぶ濡れのまま帰っても母の機嫌を損ねるだけである。
彼女の機嫌がいいのは、白井が100点のテストを持って帰ってくるときだけであった。
服が乾くまで公園で宿題をすることを白井は選んだ。
日が暮れていく。宿題はもうとっくに終わっていたが、服はまだ乾ききっていなかった。
公園に明かりが灯っていく。やがて静かな公園に見知らぬ男子二人が入ってきた。
彼らは煙草を取り出し、歩きながら吸い始めた。
白井は驚く。彼らは到底成人しているようには見えなかった。
彼らがこちらに歩いてくる。二人は白井に気づいたようだ。
「お?なんだこいつ?」
「良い子は帰る時間ですよー」
彼らはゲラゲラ笑う。白井は彼らの煙草をじっと見ながらランドセルを抱えて縮こまった。
「おい、こいつ小学生じゃねえかよ。マジで帰れよ」
「お前、煙草のことチクるつもりじゃねえだろうな?」
金髪の男が白井を睨む。白井はぶんぶんと首を振った。
「ならいいけどよ」
「チクる勇気があるようには見えねえしもういいだろ。行こうぜ。ガキはおうちに帰んな」
二人は遠ざかっていく。白井は白い煙を追いかけていた。
「まって」
二人は訝しげに振り向く。
「あ?なんだよ。なんか文句あんのか?」
「それ」
白井は煙草を指差す。
「私もやりたい」
二人はぎょっとする。
「は!?お前、煙草吸いたいって言ってんのか!?お前幾つだよ?」
襟足の長い男が聞く。
「十一歳」
「じゅういちい!?マジのガキじゃねえか!」
「やめとけやめとけ!ママに怒られんぞ!」
二人がぎゃあぎゃあ騒ぐ。
「マジでお前なんなんだよ!」
「白井」
「名前聞いてんじゃねえんだよ!」
「てかこいつの服なんか濡れてね?今日雨降ってないよな?」
「降ってないけど…お前なんかあったのか?」
金髪の声が少し優しくなった。
「水、かけられた」
「誰に?」
「みんなに」
「着替えろよ」
「帰ったらママが怒る」
白井は答えた。襟足がため息をつく。
「お前、居場所ないんだな」
その声は優しかった。
「ない」
白井は淡々と答えた。はあー、と金髪もため息をつく。
「流石に煙草はやれねえけどよ、これでも食えよ」
金髪は菓子パンを差し出した。
「あそこのスーパー、監視がゆるいんだよ。なんでも盗り放題だ」
「この前俺ら五個も盗ったんだぜ」
二人は大笑いする。
「お前も今度やってみるか?スカッとするぜ」
襟足が笑いながら言った。
「やる」
白井は答えた。また二人がバタバタしだした。
「やるって、は!?本気か?」
「小学生だろ?お前。自分で言うのもなんだが、犯罪だぞ?」
でも。白井は真剣だった。
「やりたい。スカッとするんでしょ?」
二人は顔を見合わせ、観念したように白井を見る。
「はあ…わかったよ。でも、ランドセル持ってくるのだけやめろよ?」
「わかった」
「てかお前、臆病そうなのに盗みとかできんの?」
「多分、得意」
「やったことあんのかよ!?」
「ない。けど、多分、できる」
白井は真っ直ぐ二人を見つめた。
「じゃあ俺らがやり方教えてやるから、明日の放課後に商店街の路地裏に来い」
「わかった」
「俺はあんまり期待してねえぞ。怖くなったら来んなよ」
「わかった」
「はあ…じゃあ明日な」
二人は去っていった。白井に明日の予定ができたのは久しぶりのことであった。
翌日。放課後になった途端、家まで走って帰り、ランドセルを置いて路地裏に向かった。
「来んのかよ…」
金髪が頭を抱える。
「俺は来ると思ってたけどな」
襟足がドヤ顔をする。
「そういや、白井?だっけ?お前、下の名前はなんて言うんだ?」
「私の名前はダサいから嫌い」
「…なるほどな。わかったよ。俺はシュウヘイ。この金髪がトモヤだ」
「わかった」
二人は細い道の先の空き地に白井を連れて行った。
それから、二人は盗みを白井に教えた。
白井は驚くほど盗みが上手かった。彼女は誰からも怪しまれずに盗みを終えて帰ってきた。
いつしか、「盗み」は白井が彼らに認められる手段となっていた。
盗みが上手いのは当たり前である。
時間を止められるのだから。
彼らは白井のことを深くは聞かなかった。
彼らは中学生であり、親と上手くいっていないことを教えてくれた。
白井は彼らといるときは幾分か楽になれた。
親からの「いい子」という期待を捨てて、「白井」になれたから。
それから三年。白井は中学二年生になった。
その頃になると、白井は学校には行っていなかった。
家に帰っても親は彼女を避けるようになった。
髪の色を赤にしてみた。
父親は家に帰ってこなくなった。
ほぼ毎日シュウヘイとトモヤと遊んだ。
彼女は煙草を吸うようになった。
今日は金曜日。小学生がウキウキしている。
目障りだ、と思った。しかし、攻撃する気にはなれなかった。
昨日は真心たちが路地裏に来て、調子が狂った。
まあいい。今日もどこかに盗みに入ってスカッとしよう。
いつもの空き地につながる商店街のアーケードの途中に三人の影が見えた。
「あ!白井さん!」
真心だった。後ろには優奈と琴葉がいた。
「またかよ…」
「昨日は大丈夫だった?なんかぬす…」
「真心」
優奈が制止する。真心ははっとしたあと、周りを見渡して照れたように笑った。
「へへ、ここ商店街なの忘れてた!うーん、じゃあ今日は私たちと遊ぼう!」
真心がニコっと笑いかけてくる。
「うるさい。もう私を付け回さないで。ソフトボールならやらないってずっと言ってるし」
「うん、だからソフトボールじゃなくても、遊ぼう?」
何だこいつは。話が通じない。
白井は精一杯の嫌悪を込めて真心を見る。
「遊ばない。帰って」
「なんで!遊ぼう!」
このやり取りが何回続いただろうか。白井は息が上がっていた。
真心は一切息が上がっていなかった。
化け物かよ、こいつ。と白井は心の中で毒づいた。
「そろそろ遊ぶ気になったかしら?」
優奈がクスクス笑いながら白井を見る。
「ならない」
「どうしてかしら?」
微笑みながら優奈は問う。
「どうしてって…」
白井は動揺する。
「どうして?」
真心も聞く。琴葉は二人の後ろで白井を見ていた。
「どうしてって…!お前らもどうせいなくなるんだろ?」
白井は吐き捨てるように言った。
「私のことを知った人はみんな去っていった。私の能力を知っている人も、知らない人も。あいつらにだって能力のことは言ってない。結局誰かを信用したって無駄なんだよ」
調子が狂う。こんなこと話して何になるんだ。
優奈はふっと笑って言った。
「この子が去るように思えるかしら。このしつこい子が」
そうして優奈は真心を見る。真心は白井を真っ直ぐ見つめていた。
「……うるさい!私は一人で生きていくって決めたんだよ!」
白井は左腕を振る。その瞬間いつもの空き地に向かって走った。
孤独な一分間だった。はずなのに少し楽だった。




