一目惚れ~恋のキューピットも楽じゃない~84gさんへのクリプロギフト
外はまだ薄暗い。時計を見ると5時を少し過ぎたところだった。夢宇は窓を開けて外の空気を吸い込んだ。乾いた冷たい空気は夢宇の意識を夢の世界から現実に呼び戻して行った。夢宇はラジオのスイッチを入れた。FM局から早朝のこの時間には似つかわしくないアップテンポの曲が流れてきた。夢宇は簡単に朝食をすますと、山登りの装備をして家を出た。
夢宇は約束の時間より少し早く駅前に着いたのだけれど、待ち合わせの相手は既にそこで待っていた。
「橋倉、早いじゃないか」
「日下部、お前の方こそ」
そう言って、二人はお互いに笑みを交わした。
登山口までの切符を購入すると、間もなく到着した電車に乗り込んだ。
橋倉夢宇と日下部良介はネットのあるサイトで知り合った。お互いの住まいが近いのを知ってこの日、会う約束をしていた。どうせ会うのなら、ただ飯食って、くっちゃべって終わるのではつまらないということで、山登りでもしようということになった。
登山口まで電車で行き、それから歩いて山頂を目指す。お互い山登りが趣味だというわけではなかったので、初心者でも楽に登れる観光登山を選んだ。
「天気が良くて何よりだったなあ」
「けど、寒いな」
夢宇の言葉に頷きながらも寒がりの日下部は平地より数度低い山の気温に震えた。
「登っているうちに嫌でも温かくなるさ」
「そう願いたいね」
二人は駅に置かれている登山案内のパンフレットを手にとって山頂を目指して登山道へ足を踏み入れた。
しばらく進んでから気がついた。観光登山だということもあるのだろうけれど、老若男女、けっこう登山客が多いことに。そして、道中、大きな岩に腰を降ろして休んでいる女性に目が止まった。彼女はしきりに足首を気にしているようだった。
「どうかされましたか?」
日下部が目ざとく声を掛けた。
「ちょと足を挫いたみたいで…」
「お一人なんですか?」
と、再び日下部。
「いえ、友達と三人で来たんですけど、私がこんな風になっちゃったんで、二人には先に行ってもらいました」
すると夢宇がリュックからシップ薬と包帯を取りだした。
「ちょっと失礼します」
そう断って夢宇は彼女の足の手当てをした。
「どうですか?」
「はい、だいぶ楽になりました。これならなんとか歩けそうです」
そう言って彼女は立ち上がったのだけれど、やはり普通には歩けないようだった。夢宇と日下部は二人で彼女を支えながら一緒に山頂を目指すことにした。
「すみません」
「お互い様ですよ。僕は橋倉。こっちは日下部。よろしく」
「私は渡辺です。渡辺しおんといいます」
「しおんさんですか。いい名前ですね」
日下部は積極的に声を掛けている。夢宇はそんな二人の様子を黙って見ていた。
山頂に着くと、しおんの友達が待っていた。二人に抱えられたしおんに気がつくとすぐにしおんの元へ駆け寄って来た。
「なに? しおんったら羨まし過ぎなんだけど!」
「そうよ! イケメン二人に抱えられて来るなんて。こんなことなら私たちも一緒に待っていればよかった」
そんなことを言い出した二人に対して日下部は頭に来た。
「あんたら、怪我をした友達を置き去りにしておいて、その言いぐさはなんだ!」
「日下部さん、違うんです。私が先に行くように言ったんですから」
こんな状況にもかかわらず、二人を庇おうとするしおんに日下部は心を打たれた。
「そろそろお昼だし、そこの蕎麦屋でメシにしましょう」
夢宇は仲を取り持つように割って入った。
「無理ですよ。ちょうどお昼時だし、すごく込んでいるの」
「大丈夫ですよ。二人も五人も大した変りはない」
「どういうことですか?」
「そこ、僕の実家なんで」
「そうなんですか! しおん、あんたの怪我も役に立ったわね」
しおんの友達のその言葉に日下部はキレた。
「お前、ふざけるな!」
「日下部、そう言わずに一緒に行こう。そうでなくちゃ、しおんさんだって来づらいだろう」
夢宇の言葉に日下部は我に返った。こういうのを一目ぼれと言うのだろう。日下部は最初にしおんを見かけたときから、彼女のことが気になっていた。そのことを夢宇は感づいていた。
五人は揃って夢宇の実家である蕎麦屋へ入って行った。
「お帰り。待っていたわよ」
五人を迎えてくれたのは夢宇の母親だった。
昼食をきっかけにしおんの友達二人は夢宇と意気投合して、一緒に下山することになった。
「私はちょっと無理かも…」
「しおんさんはロープウェイで先に下山すればいいよ」
「橋倉、それはないだろう。彼女一人で…」
「誰も一人でなんて言ってないだろう。日下部、お前一緒に行ってやれ」
こうして、夢宇は日下部としおんを先に二人で下山させた。
「まったく世話が焼けるやつだ」
「何がですか?」
「いや、なんでもない。じゃあ、僕たちも下山しようか」
数日後、日下部から連絡がきた。しおんと付き合うことになったと。それを聞いた夢宇は苦笑した。そして、気持ちを落ち着かせて言った。
「良かったな。がんばれよ」