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揺らめく衝動

 とうとう言ってしまった。恐怖に揺れる心とは裏腹に、どこかほっとしていた。重い枷をようやく下ろせた気分であった。

 こいつは、人を殺した俺のことをどう思うだろうか。気が触れた奴だと軽蔑するだろうか。罪深い奴だと罵るだろうか。

 罪の告白をさせたのは、目の前にいたのが僧侶でありながら人を殺めたであろう男であったからだ。罪人が同じ過ちを犯した罪人を咎めるなど、身の程を知らないと言うものだ。だが、同じ汚点を持っている者に対して人は冷酷であることも犬走は知っていた。

 この男は、俺のことをどう思っているのだろうか。


「仕方なかったんだ。あの女は、殺されても仕方のない女だったんだよ」


 沈黙に対して、言い訳を抑えることができなかった。俺は、間違っていなかった。正しかった。罪は犯したけれど、仕方がなかったんだ。


「君は、後悔しているのですか」


 男の言葉が、罵るものでも慰めるものでもなく、犬走はとまどった。後悔しているだって? そんなの――。


「……そんなの、知るかよ」


 俺は罪の告白をした先に何を求めていたのだろう。この男に、何を求めていたというのだろう。


「火の番、代わるよ。……あんたも早く寝なよ」


 男は木の幹に深く寄りかかった。男を覆う濃い影が、炎で揺らめいている。


「なかなか気が昂って眠れないというのが本音ですが、君の言葉に甘えて寝させてもらいましょう」


 男の薄い色をした髪は、袈裟に隠れて見ることは叶わなかった。男は腕を組んだままだ。


「なあ、あんた寝ないのか」

「寝ますよ。そんなにすぐに眠れるものではありません」

「……坊さんは横になって寝ないのか。座って寝ないのか。それも修行なのか」


 矢継ぎ早に問いを浴びせる犬走に、男は顔を上げた。わずかに口角が上がっているように見えるのは、気のせいだろうか。


「修行というわけではありませんよ。仏の道を歩んでいるからといって、横になって寝てはいけないという決まりもありません。自ら律するためにすすんでそのようなことをする者もいるかもしれませんがね」

「俺があんたのことを殺すんじゃないかって疑っているのか」


 男はのどの奥で笑ったようであった。静けさの中では嫌に耳につく声であった。


「僕が横になって寝ないのは、癖のようなものですよ。何も君を警戒しているから気を抜いて横たわれないと言っているわけではありません」


 男は腕を組みなおすと、ふたたびうつむいた。

 犬走は小枝の束の中から一枝指先でつまんだ。思い切り、握りつぶしてしまいたかった。けれど、音を立てれば男が眠りにつくのが遅くなるかもしれない。枝を闇の中に投げ捨て、火を踏み消してしまいたい衝動を、犬走はこらえた。

 火のはぜる音の間を縫うように、男の寝息が聞こえてきた。犬走は、男の見えぬ顔を一瞥した。

 こいつは、俺の罪を知ってしまった。こいつだけが、俺の罪を知っている。もしや、こいつは寝たふりをしてわざと俺に隙を見せているのだろうか。

 どうして俺はこいつに罪の告白をしてしまったのだろう。妙な親近感でも覚えたか。俺はこいつに何を期待した。いまさら救いでも求めているというのだろうか。

 胸をひと撫ですると、犬走は小刀を取り出した。よく手になじむ。柄の感触をたしかめるように、五指で握りしめた。手首をまわせば、刃がきらめいた。鈍い光を放つ刃に、犬走は目を細めた。――眠っている獲物を仕留めるのはたやすい。

 一人増えたところでどうなる。咎があり続けることに変わりはない。どうせ俺は、堕ちているのだ。あとは転がり落ちていくだけだ。罪人は、地獄に行くべきだ。地獄に行かないといけない。俺にふさわしいのは、深淵の闇だ。

 

 犬走は、そっと片膝を立てた。砂利の音が、耳に張りつくようであった。衣擦れの音さえもわずらわしい。男まで、三歩ほど。たった三歩で奪えてしまう命なのか。

 衝動が湧き上がってくる。俺は、この男を心底憎んでいる。俺は、この男を殺したいと願っている。どうしようもなく、苛立つ。記憶が、心を波立たせた。俺は人殺しだ。もっと殺さないといけない。俺はそういう奴だから。俺は、こいつを殺す。

 心臓か。頭か。どこだって良い。人は、たやすく死ぬ。どこを傷つけられたって、いともたやすく息絶える。思い出せる。肉の感触。刃から伝わる人の中身。

 うつむく男の顔は、唇と鼻先しかうかがうことが叶わない。こいつは、誰に命を狙われたか知らぬままに死んでいくのだ。殺す。俺は殺す。こいつを――。

 

 左手に痛みを感じ、犬走は身体に引き寄せた。火の粉が、手の甲を焦がしていた。

 ……間違っている。だめだ。こいつは俺を地獄に連れて行ってくれると約束した。そうだ、俺は地獄に行かないといけない。こいつをここで殺したら、それも叶わない。

 犬走は、刃を下ろした。一気に脱力し、尻もちをついた。昂っていた衝動は、鎮まっていた。

 どうして、俺はこんな風にできているのだろう。どうして、こんな風にできている。どうしてこんなにも脆いんだ。人を殺そうとするなんて、どうかしている。俺はどうかしていた。おかしいんだ。あの日からすべてが狂った。這い上がれない。罪が両肩にのしかかって、闇に引きずり戻される。

 幼子のように泣くことができたらどれだけ楽だろう。そんなこと許されない。せめて涙のひとつでも流せられれば、俺を苦しめる罪悪感も薄れるだろうに。

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