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東への足跡

「なあ、あんたはどんな悪いことをしてきたんだ」


『いまさら殺生戒を気にできるほど、この手は綺麗ではない』という男の言葉が頭にこびりついて離れない。

 一体、あんたは誰を殺した? 見ず知らずの者か? それとも親しい者? 何人殺した? あんたは罪の意識にさいなまれているのか?

 犬走は、浮かんでやまない疑問の答えを知りたくて仕方がなかった。


「僕を罪人だと決めつけて話を振るなんて、ずいぶんとひどいじゃありませんか」

「だってあんた、地獄に行くことができるんだろう。地獄に行く人間は生きている間に悪いことをしたからだって、聞いたことがあるからさ」

「そうですか。……僕が悪を犯した人間だということは認めましょう。ただ、そういったことを口にするのははばかられるのでね」


 問いに対するはっきりとした答えを得られず、犬走は少しむすりとした。

 

「……君は? 君は、何に苦しんでいますか」


 男から問いが投げかけらるとは思わず、犬走は口をつぐんだ。

 まぶたの裏に、人間のやせ細った四肢が浮かんだ。どんより沈んだ色をした雪景色。土にまみれた指先。水面に揺らめく光のように、記憶が浮かんでは消えていく。にっこりと笑みを浮かべる、つやのある唇。乱れ散る黒髪。枯れ木のようにしわしわの唇のすきまからのぞく、乱れ連なった、大きさのそろわぬ歯。


「――別に。俺が苦しんでいるのは、生きることそのものだよ」


 だから、早く終わらせる道を探している。この男についていけば、たどりつけるのだろうか。

 むっつりと唇を引き結んだ犬走の横顔を一瞥するにとどめ、男は視線を前に戻した。

 しばらく沈黙の中で歩みをすすめ、犬走はうかがうように男の顔に視線をそそいだ。男の瞳は袈裟の陰の中で暗く光っていた。舌先で上唇をしめらせると、犬走は呼吸をひとつ飲み込んだ。

 

「なあ、あんたは都の人間か?」


 男は、犬走を見返すことはせず、まばたきを繰り返した。

 

「どうして、そう思うんですか。僕は都人のようにきらびやかな出で立ちをしていませんよ」

「どうしてって、あんたの髪がさ、いままで見たことのない色をしていたから」


 そこではじめて、男は犬走の顔を見た。

 

「あんたの髪、夕暮れ時のお天道様の色に似ている……。都にいる殿上人とかいう人たちは、身体中がみんな光り輝いていると聞いたことがあるよ。あまりにもまぶしいから、その顔をじっと見ると目がつぶれちまうんだとも。……まあ、目がつぶれるなんて話は嘘っぱちだと思うけどさ。あんたはその髪も、顔も、俺が今まで見てきた人間の中で比べられないくらい綺麗だ」


「僕が綺麗、ですか……。たしかに、僕は都の景色も、そこにいる人々の姿も見たことがあります。けれど、僕のような髪色をした人間には、お目にかかったことがありません。都の人々も、洛外の人々も、どこを渡り歩いても、君のような黒髪の人間ばかりでした。老いて頭に白を混ぜた者も、若かりしときはきっと黒かったのでしょう」


「……都人じゃないってんなら、もしかして坊さんになってたくさん修行すると、あんたみたいな髪の色になるのか? 坊さんはみんな髪を剃っているから髪の色なんてわかりゃしないし。たくさん徳を積めば、そんな綺麗な色にすることができるのか」


「……残念ですが、僕のこの髪色は生まれつきです」


 犬走は、恐る恐る口を開いた。笑われるかもしれない、という恐怖心よりも、浮き立つ心の勢いの方が勝った。


「じゃあさ、あんたは……もしかして、本当に観音菩薩様なのか?」

「僕が、観音菩薩様……?」


 男はわずかに目を見開き、次いで苦笑をこぼした。

 

「たしかに、かつて仏道を修めてはいましたが、僕自身は仏とはほど遠い存在ですよ。それに、観音様は衆生を浄土へと導く方。地獄への道案内を買って出た僕が、仏の御使いであるはずもないでしょう」

「……ふーん、そっか」


 そんなはずはない、と思いながらも期待に胸を膨らませていたため、犬走はがっかりしている自分に気がついた。だが、男の言うことももっともだと思った。天界にいる清い存在が、わざわざ罪と悪にまみれた地獄に行こうとするはずもない。ならば、この男はひょっとしたら地獄からの使いなのだろうか。俺の罪を知って、地獄に連れていくというのだろうか。

 

「なあ、俺たちが向かう地獄は、どこにあるんだ。俺たちはどこに向かっている」


 犬走の問いに、男は足を止めた。ざり、と足裏と砂利がこすれた音が聞こえた。男は、やはり感情のわからぬ瞳で犬走を見て、笑った。

 

「東です。都の理も通じない、法外の地。西方浄土とは反対の地へと」


 東――東の東の果てへと行けば、俺は早く楽になれるのだろうか。

 犬走は、仏の使いとも、地獄の使いとも知れぬ美しい顔をした男を見ながら、灯火の見えぬ未来へと思いを馳せた。


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