第2幕 ブレイクハート・パス
窓の外に広がる景色は、ただただ木々の連なりで、普段山の中で見ているものと大差ない。唯一違うのは、それが動いているとことであり、それが為に、私は実に居心地が悪い。馬に跨っているときとも、駅馬車に乗っているときとも違う、独特の速度と振動。別に汽車に乗るのは初めてってわけでもないのだが、単純にいつまでも慣れないし苦手だ。
「……」
腰掛けているシートは、正直今まで座ったことないような上等な代物で、柔らかすぎてむしろ違和感が途方も無い。なにせ、人生の大部分を固い鞍の上に尻を置いてきた身の上なのだから。
元々汽車にはさほど乗らない方な私だが、加えて普段は料金をケチるから、一等車なんぞにはこれまで足を踏み入れたことすらない。だから一等車の客室が自分たち専用の駅馬車のようになっていて――オプはこれを「仕切り客室」と呼んでいた――それも三人が山程の荷物と一緒に乗っても余裕があるなんていうことも、初めて知ったことだった。
「鉄道会社に便宜を図ってもらったのさ」
とはオプの弁で、酒場で会ってから三日後、駅で待ち合わせたやっこさんの手には3枚の切符があったわけだ。
正午には汽車が来て、私達は出発した。乗り込んだのはスウィートウォーターみたいな田舎駅では普段絶対に止まらないような上等な汽車で、それも便宜を図ってもらって若干の路線変更をしてもらった結果らしい。全くもって、ピンカートン様々といった所だ。今の住処からニューメキシコまで行くのは、馬ならば途方も無いロングドライヴになる距離であることを思えば。
「……」
汽車に乗り込んでから既に一時間以上過ぎている。
だが向かいの席のチェネレのほうを見れば、あいも変わらずぼんやりと動く風景を眺めている。……そう言えば、彼女にとっては恐らく、初めての汽車なのだ。こころなしか、変化のまるでないはずのチェネレの表情が、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。最初がこんな上等な体験だと、今後二等車以下だと耐えられるのかしらんと、どうでも良いことを心配してしまう。
「――どうだい?」
「結構だ」
そのチェネレの隣では、オプが今日はパイプではなく葉巻を吹かしていたが、勧めてくるのを丁重にお断りする。私は葉巻もパイプも噛み煙草もやらないのだ。いい年こいた男のくせにと人には言われそうだが、苦手なのだから仕方がない。他人が周りで嗜むのは勝手だし、それは平気なのだが、自分であれを吸うのは正直ゴメンだった。
「コラジンまでは三日ぐらいかかる。途中、カペナウムとベッセイダで乗り換えさ。まぁ現地につくまでは単なる行楽旅行だ。充分にくつろぎ、楽しむといい」
とはオプの弁だが、生憎と私はそこまで呑気ではない。
こちとら獣以外を相手にするのは久々だから、自分の調子をこの三日間のうちに整え直しておかねばならないのだ。それはすでに三日前、オプより依頼を受けた時から始めていることではあるのだが、ぎりぎりまで、それは続けるべきことだった。酒を断ち、意識を研ぎ澄ましていく。獣を狩る時とは違う、別の感覚を、ナイフの切っ先のように鋭く尖らせねばならないのだ。見ていて楽しくもない、汽車と共に動く景色を眺めているのも、素早く移り変わる風景のなかから、現役時代なら無意識の内に捉えていた諸々を探し出すためだ。つまり、敵が潜み待ち伏せている時に起こりがちな、不自然に折れ曲がった枝葉、一際濃く見える茂み、失せた鳥や獣、虫の鳴き声――そういった諸々への感覚を研ぎ直すということだ。
「――そう言えば」
そのためにもと、意識を外へと戻そうとした矢先にオプから声をかけられた。
不機嫌を敢えて隠さずに顔を向ければ、何故か向こうもモノ言いたげな顔で、そして実際にモノを申す。
「毎度のことだから僕はもう慣れたけど、今度も随分な大荷物じゃないか」
オプがそう言って葉巻の先で指したのは、私の隣の席を占領している巨大なガンケースだった。大型のライフル銃が二丁は入ろうという代物で、実際今度の仕事のために持ってきた、二丁のライフル銃が中には入っている。
「いったいぜんたい、君は何か仕事の種類を勘違いしてないかい? 我々が行うのは飽くまで人狩りで、戦争じゃない」
実際、私が今度の仕事のためにと持ち込んだ装備や荷物は仕事の内容から考えても大げさすぎると言えた。腰にだって左右二丁の拳銃を吊るし、腹にもホルスターを括り付け、抱えるようにさらにもう一丁を装備している。昔は全部で七丁のコルトを持ち歩いていたことを考えれば随分と減ったが、それでもなお、我ながら過剰な装備だ。オマケに、ライフル弾を五発ずつセットにして留めたものが連なる弾帯を、右肩からも左肩からも交差するように掛けているのだ。これらに加えて、その上から年季の入ったダスターコートを纏った顔中髭まみれの私が一等車の廊下に現れた時は、他の乗客たち――見るからに上品な紳士淑女の方々だ――は、驚きに目をむき悲鳴すら出せない有様だった。彼ら彼女らの眼からすれば、私は山賊の類にしか見えなかったことだろう。
ちなみにチェネレはと言えばオプとは対称をなすような黒い三つ揃えで、庇の広く真っ直ぐな帽子に黒いダブルボタンのシャツ、黒いズボンに黒いブーツの姿だった。腰にはマウザー専用の木製ホルスターを下げ、またやはり彼女も弾薬の入った小型ポーチの連なる弾帯を肩から掛けていた。ライフルも持ってきているのだが、それはガンケースに入れて網棚の上に置かれていた。
「相手は鉱山一つ牛耳ってる連中なんだろ? 得物は多いにこしたこたぁないと思うがね」
この私の返事は半分本当で半分が嘘だ。
私がその謎の教団とやらを警戒しているのも確かだが、それ以上に今回用意した得物は、その教団の用心棒とやらと、その用心棒の裏に感じる「あちらがわ」の気配に対しての為のものなのだ。
元より私の今の家には――それにしても私のような男が家を持ったという事実に、我ながら驚いてしまう――、いち猟師が持つには過剰な武器と弾薬が常備されているが、それは「あちらがわ」に呼び出される場合に備えてのことだった。もう長い間、エゼルの時やアラマの時のようなことは起こっていないが、それでも、もうあれが起こらないという保証はどこにもない。しかも呼び出される時は決まって唐突で、ひと仕事仕上げるまでは還ることができないときている。オマケに人を相手にする用と、人以外を相手にする用の二種類必要であるし、自然と大荷物になってしまうのだ。
その大荷物から、コレだというものを厳選してもなお、ご覧の大荷物だ。
今は汽車に運ばせれば良いから良いが、かつてはサンダラーに迷惑をかけたモノだった。
その彼も――今はもう居ない。
馬と人の寿命の違いは神の定めたことだけに仕方のないことだが、それでも悔やみきれない。
彼ほど優れた馬とは、きっと二度とお目にかかれないことだろう。
話が逸れた。
意識をオプのほうへと戻そう。
「余り目立ってもらっても困るんだよ。依頼主からはできるだけ静かに素早く、ことを解決して欲しいとのお達しが来てるんだ。大立ち回りは厳禁だ。その二丁のリボルバーはその為に吊るしているんだろうけれど、乱れ撃つような状況には絶対にならないし、させないさ」
オプの見立て通り、左右に下げた『ウェブリー・リボルバー』は一対多を想定しての選択だった。かつてはコルト・ネービーを偏愛していた私であったが、まれびと稼業は何故か大勢を相手取ることがやたらと多い。元々早撃ちの上手い方でもなかったから、ある時期からダブルアクション式――つまり引き金を弾くだけで撃鉄に弾倉の全てが連動して動き、片手で手軽に連射できるリボルバーへと思い切って切り替えたのだ。今使っているのはイギリス製の.455口径のウェブリー・リボルバーで、中折れ式だから再装填も素早く出来て気に入っている。だが腹に吊るした、万が一の時は一番抜きやすい場所を占めているのは、今でもコルト・ネービーだった。無論、時代に合わせて金属薬莢仕様への改造は施してあるが、やはり私にとっては、一番頼れる拳銃はコルト・ネービーなのだ。人にとやかく言われようと、この素晴らしい拳銃を使うのだけは止める気がない。
また話が逸れた。
意識をオプのほうへと戻そう。
「つまり、教団の教祖様と用心棒には、騒ぎ立てることなく速やかにご退場頂きたいと」
「君なら出来るだろう? いやむしろ君の本領じゃあないか」
「……まぁな」
確かに視力は往年よりは衰え、集中力も落ちてきてはいる。
それでもライフルでの狙撃こそ、私の本領であるのは変わりないし、だからこそ猟師として食って行けている。
「既にバックアップ用の探偵たちがコラジンに潜入済みだ。現地では彼らの支援の下で仕事をすることになるから、君と可愛い相棒さんはただ狙い撃つことを考えてくれればいい。無論、君の専門的知見にもとづくアドバイスを求める場面は多少あるかもしれないが、基本的にはガンマンに徹してくれれば僕たちも依頼主も満足さ」
「そうかい。こっちとしてもそのほうがありがたいが……しかし向こう側がそれを許すかはまた別問題だろ?」
「……」
私の問い返しにオプは応えることもなく、会話もここで途絶えた。
窓の外へと視線を戻し、時折オプに貰った資料を見返し、コンディションを整えていく。
オプは呑気にペーパーバックを取り出し――その表紙には『シャーロック=ホームズ』と書かれていた――読みふけり、チェレネも流石に外の景色にも飽きたのか、荷物から聖書を取り出して読み始めた。個人授業をお願いしている先生に貰った一冊で、彼女の読み書きの教科書だった。ちょうど私が父の形見の聖書を何度も読んで、読み書きを自分のものとしたのと同じように、チェネレもまた聖書を繰り返し読んで言葉を身につけていっている。
彼女と出会ってすぐの頃は、まずコミュニケーションをどうとって良いものかすら解らず、頭を悩ませたもんだった。
何せあの頃のチェネレは話せないばかりか、筆談すら出来なかったからだ。いや、文盲なのは別に珍しいことじゃないが、彼女はアルファベット自体を、まるで初めて見たといわんばかりの無反応だったのだ。いくら文盲でも、それを文字と認識するぐらいはできるものだが、チェネレにはそれすら無いという感じだった。元々反応が極めて薄い彼女だが、あれは無意味な模様を眺めているような調子だった。救いだったのは、奇妙なことにこちらの話している内容は聞き取れているし理解できているらしいということだった。
ちょうど、「あちらがわ」に渡った時の、私のように。
「……」
改めてチェネレの、その奇妙な灰色の髪を眺める。
これまでの人生で、あんな髪の色にはお目にかかったことはない。灰を被ったようなあの髪は、単に色の抜けた老婆のものとも違う不思議な色をしているのだ。
初めて出会った時から、彼女は不思議な所だらけだった。
夜道で横倒しになっていた駅馬車は、いかなる会社のものとも異なる意匠をしていた。
燃え盛る両親らしき男女は灰になって服装までは解らなかったが、近くに転がっていた御者が身につけていたのは、まるで御伽噺に出てくる王侯貴族の従者のようで、なによりチェネレの纏った黒い装束は、やはり御伽噺に出てくるお姫様そのものだった。首についた襞襟などは、余りに目立つから苦労して外さなければいけなかった程だった。
最初にチェネレと出会った時に感じたのは、まるでアメリカの人間ではないみたいだ、ということだった。
別のどこかから迷い込んできたかのような――。
「……」
チェネレの、その奇妙な灰色の髪を眺める。
そして考えるのは、私は何度も「あちらがわ」へと渡ったが、その逆は今まではなかったということ。
そしてチェネレと出会ってからは、パタリと呼ばれることが絶えてしまったということ。
そして今から赴くニューメキシコ、コラジンのトラパランダ鉱山には、その「あちらがわ」の悪党が待っているかもしれないということ。
「……」
もしも今、腰掛けているのがサンダラーの鞍だったら、彼は私が思い煩う気配を察して、鼻のひとつでもならしてみせたかもしれない。だが、今私が腰を据えるのは、そんな乗客たちの想いなど、まるで知らないかのように走り続ける鋼鉄の化身だ。
時代は変わった。
旧き良き南部は愚か、かつてサンダラーと駆け回った西部の荒野すらもが消え失せた。
フロンティアは失われ、ニューオーリンズとロサンゼルスまでが鉄道に結ばれるようになった。
バッファローたちも、先住民たちも、カウボーイたちも姿を消し、代わって東部の三つ揃えの強欲紳士たちと電信の網の目がやって来た。腰に吊るした一丁のピストルで世界を変えられると、そんな夢を信じるロマンチストたちの時代は終わった。
それでも、変わらないものもある。
他の全てが尽きるとも、アウトローの種は尽きることはなく、故にガンマンも必要とされ続ける。スタイルは少々変わったが、結局することは変わらない。私は銃弾であり、ライフル銃であり、狼である。どこまでも餌食を追う、灰色の狼である。
「……」
私は眼を閉ざして、やわらかいシートへと身を預けた。
色々と考えていたら、疲れて眠くなってきたのだ。変わらないことも多いが、こうすぐに眠気の来るようになったのは、やはり老いのせいかもなと、そんなことを考えながら、意識を暗闇へと私は預けたのだった。
結局、途中の道中では何事もなく、旅は平穏無事に進み、私達はコラジンの街――のひとつ前のヴァン=デル=ハイルの駅で汽車を降りた。何でも先に潜入しているピンカートンの探偵達からの知らせによれば、相手方はコラジンの駅周辺に見張りを付けていて、新参者は全て連中の監視下に入ってしまうため、汽車で行くのは避けるべしとのことだった。そこで予定を変更し、前の駅で降りてそこからは馬で向かうことにしたのだった。
ちなみにピンカートンの探偵たちからの警告は、ヴァン=デル=ハイルよりもさらに一つ前の停車駅へと電報で届いたものだった。その文面を見せてもらったが、私にはどう見てもコラジンの街とその周辺における牛肉の相場についての報告としか読めなかった。オプ曰く、ピンカートン独自の暗号であるらしく、知っていれば簡単に解読できるらしいのだが。
それにしてもだ。
私は正直な所、あの電信柱の不細工な列は自然のつくる素晴らしい景観を台無しにしてると常々思っている男であるのだが、それでも、やはり電信という文明の利器の力を感じずにはいられない。かつては馬で直接行き来し、やり取りしたことを思い出す。
そしてそのかつては使っていた手段――馬に跨り私達はコラジン、ひいてはトラパランダ山へと向かうのだ。
鉄道が普及した今も、馬は必要とされ続け、従ってそれなりの規模の街ならば馬を買い求めることもできる。オプ曰くこの馬代は『必要経費』とやらで落とせるということで、全額ピンカートン持ちだ。私が現役だった頃などは、仕事にかかった諸々、弾薬代だの食い物代だのは全部自弁だったことを思えば、羨ましい限りである。
オプが引いてきたのは四頭の馬。うち三頭を私達が使い、一頭を荷物持ちに使う。
私はサンダラーに一番毛並みの似た一頭を選ぶ。こんな田舎町の馬だから、脚もやたら太いし体型もずんぐりしてるし、決して素早くはないだろう。しかし顔立ちは整っていて賢そうだし、何より頑丈なのがひと目で解った。
「お前は今日から『ライトニング』だ」
決して名前通りには走れないだろうけれど、敢えて私はそう名付けた。
短い付き合いで終わるかも知れないが、サンダラーほどでは無いにしろ、それに次ぐぐらいの相棒になってくれることを期待して。
「そしてお前は……『レインメーカー』だな」
名付けられぬチェレネに代わり、私がゴッドファーザーになる。
芦毛馬特有の黒みがかった鼠色の毛に白い斑があって、まるで雪か雨であるかのようだから、そう名付けた。
「ほれ、最初の挨拶だ。愛想よくしてやれよ」
「……」
チェネレに冗談めかして促してみると、暫時考えるような仕草をした後に、何を思ったか左右の指で頬を押し上げて無理やり笑顔の形をつくってみせた。
これにはレインメーカーは鼻を鳴らし、オプですら思わず吹き出した程だった。私は呆れて肩を竦めたが。
ちなみにオプは自分の乗馬を『ワトスン』、荷馬のほうを『レストレード』と名付けていたが、正直私には意味が良くわからない。何か由来でもあるんだろうか?
「さて」
馬たちに鞍をつけ、荷物を負わせる頃には、もう陽はだいぶ斜めになっていた。
これは好都合だ。これなら向こうにつくのは夜になるだろうから、闇に紛れる事ができる。
雲さえ差さず、星の光さえ見えれば、夜道でも充分に進むことができるのだから。
私はライトニングに拍車をかけて、つぶやくように言った。
「行くとするか」