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第9話 永遠の相のもとに






(われ)は言ふ「預言者よ、凶精よ、しかはあれ(われ)が預言者よ。(とり)にまれはた、妖異にまれ、人界をたち(おほ)ふ上天に是を誓ひ、われ等両個(ふたり)是を崇拝するかの神位に祈誓(うけ)ひて是を申す、哀傷(かなしび)(にな)へるこの(たま)は、(はる)かなる埃田(エデン)神苑に(おい)て、天人の黎椰亜(リノア)と呼べる嬋娟(まぐわ)しの稀世(きぜい)女交女(をとめ)これを()べき()、天人の黎椰亜(リノア)と呼べる嬋娟(まぐわ)しの稀世(きぜい)女交女(をとめ)これを()べき()。」大鴉いらへぬ「またとなけめ。」』


 ――エドガー=アラン=ポー『大鴉』















 ――『“永遠の相のもとにスブ・スペキエ・アエテルニタテイス”、考えてみようじゃないか』



 それが、リノア先生の口癖で、事あるごとにその言い回しを引用しては諳んじてみせた。『SUB SPECIE AETERNITATIS』……それはベント=デスピノーザなる彼方の地の偉大なる学者の言葉に由来するのだと、彼女は教えてくれたんだ。


『“(プネウマ)は己が好むところに吹く、汝その聲を聞けども、何処より来たり何処へ往くを知らず。すべて(プネウマ)によりて生るる者も斯くのごとし”……ならばその風な何者が何処より吹き下ろしモノであるか、実にそれが問題だ』


 天帝教の経文からの更なる引用なども交えながら、リノア先生は半ば自問自答するようにおれに問いかけた。


『この世界には、人間(オム)であり長耳(エルフ)であれ豕喙人(オーク)であれ犬狼人(コボルト)であれ土侏儒(ドワーフ)であれ蛇人間(ヴァルシアン)であれ蜥蜴人(レプティリアン)であれ、禽獣草木、鳥獣虫魚、魑魅魍魎……あるいは精霊(アガトス)であれ邪霊(ダイモン)であれ、自然非自然に関わらず、あらゆる生きとし生けざるものどもに溢れている。だが――それらはどこから来た? それらは何者だ? それらはどこへ行くのだ? 実にそれが問題だ』


 今でも瞼を閉ざせば、その裏側にありありと映し出されてくるのは、リノア先生の研究室――サルマンティカの町並みに紛れるように在った薔薇十字会大学の学舎の一室、狭くとも風通しの良い角部屋の有様。もとより猫の額程度の寸法なのに、所狭しと羊皮紙の写本なり四つ折りの印刷本なりが積まれ列なし、身を落ち着けられるのは革張りの椅子二脚に書き物机が置かれている周辺程度だった。しかし当の書き物机の上はと言えば、部屋の有様同様に雑然混沌としていて、あらゆるモノが並べられ重ねられている。白亜なる女神パラスの胸像、大振り小振り一組な黄金懐中時計、白銀製の天球儀、銅製のアストロラーベ、鉄で拵えられた骨式計算棒(ラブドロジー)、石の骰子、羽ペン、インク壺……ああ何もかもが思い出の中では明瞭で、変わりない。その変わりのなさに、追想で胸が潰れそうになる。


『全ては“一なるもの(ト・ヘン)”より流出した果てか、はたまた死に比する程の深く永い眠りの下にある旧く大いなるものモノロス・プリミヘニオの一睡の夢に過ぎぬのか、あるいは神即ち自然デウス・スィヴェ・ナトゥーラ――尽きぬ真砂の一粒にも、凡そ宿る星の精なのか。実にそれが問題だ』


 リノア先生は古の逍遥学派(ペリパティティコ)みたいに、狭い部屋のなかをぐるぐる廻りながら、掌を指をくるくると廻し、問いに問いを重ね論議を廻していた。


『――いずれにせよ、だ』


 彼女の歩みに合わせて、その麗しく艷やかで、素晴らしく黒く長い髪が揺れる。

 紫水晶のように輝く瞳の色は深く、魂が吸い込まれそうなほどだが、そんな眼がおれを見つめてくる。


『全ては“永遠の相のもとにスブ・スペキエ・アエテルニタテイス”あるのだけは確かなることであり、つまり君と私の出会いを含め、全ては必然であり、偶然などあり得ない。なるほど、万物は流転する(タ・パンタ・レイ)やもしれぬが、されどそれはただ無意味に流れる水には非ず……幾万レグアを隔てて、蝶の羽ばたきは嵐へと変ずる。絡繰り仕掛けの如くに、噛み合う歯車が如くに、精妙なる機械な如くにこの世界は在る』


 声は黄金の竪琴の鳴るようで、紡がれる言葉は難解なる引用の洪水で、正直、学を衒うようですらあるが、これは実はわざとだ。学のないおれを煙に巻いてからかって、もっと勉強しろよと暗に煽っていたのだと、今ならば理解することができている(当時は、ただただ圧倒されるばかりだった)。なぜ彼女はおれを弟子にとったのだろう。今となっては全ては謎のままで、明かされることもまた、またとなけめ、だ。


『“永遠の相のもとにスブ・スペキエ・アエテルニタテイス”我らは出会った。真実は井戸の底にあって窺えぬやもしれぬが、しかし確かにそれは在るのだ。例えこの現世(うつしよ)が彼岸にある真なるモノ(アルケー)の影に過ぎぬとも、全てはただ此世の理(ロゴス)のままに、必ずと確かに動くのだ』


 考えも見通しもなく故郷を飛び出したおれ、サルマンティカの街角に行き倒れかけていたおれを、何故か拾って徒弟としてくれたリノア先生。彼女の耳に心地よい声を思い出すたびに、おれは思う。嗚呼、先生。先生の仰ることが此世の真理なのだとしたら――。





 ――先生が殺されたのも必然だったのですか、と。





 今も忘れがたい、深い深い赤。

 鳴り響く雷鳴、暗い部屋を照らす稲光。

 飛び散った血に染まる、白銀製の天球儀。

 そして、深々と胸の間に白刃を突き立てられ、事切れている。

 知性に溢れた紫眼は、再び輝くことなど、またとなけめ。


 そしておれは見た。

 死せる先生の傍らに、影のように佇む、あの『鎧の男』。

 庇の広い黒帽子、ケープ付きの黒外套、その下に着込まれた胸甲、鳥の嘴めいた奇妙な意匠の面甲を備えた兜。忌まわしくも恨めしい、我が怨敵にして仇敵たる『鎧の男』。鴉のような黒い姿で、床に転がった白亜なる女神パラスの胸像を踏みつけている。



 おれのそれからの人生は、ただヤツを追うためにあった。



 嗚呼、先生。リノア先生。

 何度も何度も、限りなく問うてしまうのです。

 貴女の死は、貴女のいうように、必然だったのですか、と。

 

 その答えが返ってくることだけは、されど、またとなけめ。


 またとなけめ。


 またとなけめ。


 またとなけめ。


 またとなけめ――。



















 ――狂おしいほど愛おしく、胸破る程におぞましい、そんな追想より目覚める。

 気がつけば、転寝してしまっていたらしい。普段ならば欠伸をひとつ、伸びをひとつほどして眼を覚ます所だが、そんなことをするまでもなく、意識は実に醒めていた。何故かって? そりゃあねぇ……。



「青褪めた馬に乗りたる、我らが死神殿は実に余裕綽々でありんすな。かような危うき船に揺られながら、滾々(こんこん)と寝入ってしまうとは」



 ……寝覚めにこんな女の顔を見せられたら、嫌でも眠気なんぞ吹き飛んでしまうさ。ニヤニヤと、例の嫌らしい笑みを添えて、おれの顔を覗き込み、揶揄するように言ったのは、魔女アルカボンヌ=プレトリウスだったんだから。


 おれは舌打ちをしつつで、掌を払って魔女に去るように促しつつ、立ち上がって辺りを見渡した。


 相変わらずのことだが、身に纏わり付く、乳が如き濃く白い霧に覆われる中を、ノストローモ号は緩やかに進んでいる。いつぞやのウェンティゴ憑きどもに襲われて以来、小休止とでも言うべか、揉め事も切った張ったも無く平穏無事に奥地へ奥地へと距離を稼いでいた。ゴーレムもパラシオス師の修理を受けて実に快調で、動きにもまるで淀みはない。フィエロの爪弾くギターの音色も、その等間隔なリズムが、実に眠気を誘う。――荒事用の雇われ者としちゃ、寝惚けてたことは実に不覚千万ではある。ましてや、そのことをこの魔女めに嗤われたとあれば、いよいよ口惜しく、腹立たしい。


「まぁわらわが歩み寄るや否や、即座に瞼をサッと上げる所などは、流石はかのリノア女史の内弟子、流石は腕利きの賞金稼ぎでありんす」



 ……ああなるほど。どうりで『途中で終わった訳』だ。



 あの懐かしい悪夢を見るのは今度が初めてじゃない。だから解るが、あの夢には続きがあって、おれはあの『鎧の男』が去り際に吐き捨てた言葉を、何度と無く聞かされたんだ。一字一句、全て諳んじることすらできる、あの言葉。それが今度の場合はなかったのは、賞金稼ぎの習性ってやつなのか、この魔女めが近づいてきただけでおれは、脳裏にこびり付いた悪夢すらからも瞬時に目覚めた為だろう。


「それで? なんか用かよ?」

「舳先の見張りの交代でありんす」


 ツッケンドンに問うたのだが、返ってきたのは相変わらず、人を喰った調子の猫撫声だった。この女の言う通り、そろそろ自分の番が回ってきたことを、取り出した『懐中時計』の文字盤が教えてくれた。一介の賞金稼ぎ風情が持つのには上等過ぎる、黄金に輝く懐中時計。大振りなそいつの蓋を開くと天文を象った複雑な文字盤が顔を出し、絡繰りじかけで自風琴(オルゴール)が鳴り響く。その調べにのって、太陽が、月が、星辰が各々動き出す。


「中々に乙な調べでありんす」

「そう思うか?」


 おれは時計の蓋を閉じ、音楽を止めながら問えば、アルカボンヌはわざとらしく大仰に頷くので言ってやった。


「もしテメェがこの曲を聞いて、もしもその調べを知っているような面を見せていたなら、おれはすかさず魔弾を撃ち込んでいた所だぜ」



 今やこの調べを知るものは――いや、この時計を持つものそのものが、おれの外にはまたとない。何故ならこの懐中時計は、リノア先生が生前、知己の占星術師にして錬金術師である男が、先生の注文通りに拵えた代物であって、此世にはまたとない一品なのだ。曲そのものも、リノア先生自身が自分で譜面を書いたものだから、蓋を開く以外に聞く方法もまた、またとない。



 ただひとつの例外を除いて。



「この曲を聞き知っている者……そいつをおれは殺さなきゃいけねぇんだよ」


 


 何故ならば、ソイツは持っているはずだからだ。この懐中時計の片割れ、小振りな一方。文字盤には天文図の代わりに暦表が描かれたアレにもまた、同じようなオルゴール仕掛けが施され、蓋を開けば同じ曲が鳴るようになっている。あの日、先生が殺された日、何故か『鎧の男』は懐中時計の片割れを持ち去った。当然、やつはこの調べを聞いている筈だ。ならば蓋を開けば解るはずだ。あの『鎧の男』――あの奇怪な兜の内側に潜む輩が何者であるか。


 ならばこそ“永遠の相のもとにスブ・スペキエ・アエテルニタテイス”――またとなき調べに導かれ、おれたちは再び巡り合うだろう。その時こそが、野郎の死ぬときだ。


「だから、せいぜい気をつけて拝聴するこったな」


 おれは言い捨てると、魔女めの横を素通りして、ノストローモ号の舳先へと向かおうとした。向かおうとした所で、足を止めざるを得なかった。


「“天使の眼”ドウグラス=モウタイメル殿は息災かや?」

「!?」


 おれは振り向きざまに鋼輪点火式短銃ホイールロック・ピストルを引き抜き、アルカボンヌに突きつけようとした。しかし魔女めは既に間合いを詰め、互いの鼻の先が触れ合うような所に、その顔があった。リノア先生と同じ紫色の瞳が、まっすぐにおれを覗き込んでくる。


「かの禿鷹殿は我ら薔薇十字大学が学徒にて、自然魔術(マギア・ナトアリス)を習いたる者共の中にあっては著名――せいぜい、誤った的を撃たぬよう注意するこってありんす」


 禿鷹、というのは懐中時計を作った占星術師にして錬金術師である男、“天使の眼”とも喚ばれるドウグラス=モウタイメルのことを、リノア先生が密かに呼んでいた渾名だった。


「テメェは……テメェはどこまで知って」

「んふふ……ふふふふふふ」


 愉快愉快と下卑た笑みを浮かべながら、早い足で一足飛びに跳び退くとくるくる廻りながら、霧の向こうに行ってしまった。おれは追おうとして……止めた。魔女を追ってどうになろうさ。それは影を追いかけるようなモンだ。


「――ちっ」


 おれは舳先に改めて向かいながら、そんな影みたいな相手から、いかにして自分に必要な諸々を聞き出すか――そんなことを考えるうち、ふとあることに思い至って、思わず舌打ちし唾を吐き捨てた。あの魔女めの瞳、リノア先生と同じ色と輝きを宿していた。なるほど、それが、それこそが、おれがあの女のことが気に食わない根っこなる理由だったか、と。











 胸糞悪さを掲げて舳先へとやって来たおれは、舳先にいたクルスの姿を見るやいなや気持ちを切り替え、肩に負ったエンフィールドを下ろし携えた。霧のなかでもハッキリと、やっこさんが自慢の大刀(ファコン)、例のサーベルのように長い刃渡りの、U字型の鋼鍔のついた特徴的なドスをぶら下げているのが、ハッキリと見えたからだ。『黒い蟻(オルミガ・ネグラ)』の二つ名の由来たる黒い毛並みは、霧も相まっていよいよ幽鬼みたいだった。


「なンか見えるか? いや、臭う(・・)のか?」

「……まァな」


 おれが問いかけるとやっこさん、珍しく返事を寄越した。もう既に、それなりに長い日数を同じ船に乗って旅する間柄だが、こいつと相棒のフィエロとは殆どマトモな会話を交わした記憶がない。まぁおれ自身、オーク野郎や、それと仲良くしてるコボルト野郎と仲良くする気は全く、全然、さらさら、これっぽっちも無いのだが、しかし仕事となれば話は別さ。鼻のいいコボルトが何かを嗅ぎ取ったとなりゃあ、この白く烟って見えざる先に、何某かが待ち受けているのは間違いない。


「……」


 静かに、エンフィールドの撃鉄を起こす。何者が、いや何物が待とうとも、もし敵ならば出会い頭にこいつを叩き込んでやらなきゃいけない。


「……ん?」


 じきに、おれの良く聞こえる耳にも、確かにその音が近づいてくるのが解った。

 櫓が水を切り、小さな船が川面を割って進む音が――。




 おれとクルスはそれぞれの得物を構えた。




 霧の彼方に見えた光、恐らくはカンテラの灯りを伴って、誰かがこっちへと近づいてくる。

 小さな船、せいぜい三、四人程度しか乗れないであろうボート。櫓を操る者がひとり、そして、舳先に灯火を掲げる者ひとり。


「――ようこそ異邦人」


 その委細が見分けられる程度の間合いに来るや、向こうのほうからそう声がかかった。


「待ちかねていたよ、君たちがやって来るのを」


 手にした灯りの火よりもなお黄色い、衣装に身を包んだ老紳士は、そう言うとおれたちに笑いかけたのだった。







冒頭の引用は日夏耿之介氏の訳(出典は東雅夫:編『ゴシック文学神髄』)に拠りました。

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― 新着の感想 ―
[一言] いい雰囲気ですねー。 今後の展開が楽しみです。
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