第8幕 キラー・キャリバー“36”
北部野郎どもの言うところの『我らがアメリカ合衆国』は――その我らとやらに私ら南部人が含まれているのかは、甚だ疑問だ――いかなる身分も存在しない、自由な共和国であるとのこった。なるほど、確かに。私にとっては素晴らしきライフルの国であるイギリスのような貴族はアメリカにはいないし、ドイツだのロシアだのオーストリアだのといった旧大陸の国々違って皇帝陛下もおわしませぬ国であるこった確かだ。事実私も生まれてこの方、やれ地主だの銀行家だの株屋だの成金だのとは出くわしても、本物のやんごとなき御方々とは『こちらがわ』を除いてはお目にかかったことがない。
そう、『こちらがわ』を除いて、だ。
『こちらがわ』では、何度も王侯貴族に出くわしたし、時にはその仕事を引き受けたことすらあるのだ。ならばこそ解るのは、目の前の美青年が紛うことなき貴種であるということ。ナルセー王……彼は妾腹ではあったが、それでも歴とした王族の出であり、何とも形容しがたい、学のない私には上手い言葉が見つからないが、独特の気配とでもいうべきものを身にまとっていて、とにかく彼には相対する者を自然と畏まらせる何かがあったのだ。そして目の前の美青年にもそれに類する何かが確かに備わっていた。
果たして、私は無意識の内に銃口を下げていた。そのことに気がついて、慌ててウェブリー・リボルバーを構え直し、目の前の美青年へと狙いを定める。――忘れるな、あるいはここは敵地かもしれないのだ。現についさっきまで、面妖な迷路に囚われていたばかりであるし、『こちらがわ』に来る直前には、化け物ども相手に切った貼ったしていたのだから。オプもチェネレも、私に続いて得物を掲げ、擬した。
『――無礼者どもめ。主の問いに答えぬ客人があろうものか、なぁまれびとどもよ』
だが3つの銃口を向けられているにもかかわらず、金髪の若者は眉一つ動かさず、泰然自若として揺るぎない。例の美しい女は、そんな青年の背後に隠れ、僅かに目だけだしてこっちの様子を窺っていた。
「生憎と、こちとら招かれざる客でね。互いにとっての」
私はそう、礼をわきまえぬ軽口で応じつつ、改めて青年の姿をつぶさに観察する。
肩口まである長い金髪は波打ちつつ燦々として、それは身にまとった純白の上下よりもなお白く輝いて見える。目つきは鋭く、眉は意志の強さを感じさせる太太としたつくりで、瞳は鳶色をしていた。『こちらがわ』の住人の装束といういうやつは、私らの側からすれば時代がかっていたり、あるいは奇異に見えたりするものであることが多かったが、この青年が着ているのは私からも見慣れた意匠で、メキシコの騎手のものに近かった。首元の空色のネクタイが不意に吹いた風に揺れている。
青年は左手はだらりと下げて、右掌はステッキの握りの上に緩く載せている。握りは象牙仕立てであるらしく、あの独特の黄色がかった白い光沢を放っている。その意匠は、どうも蝙蝠と蛸と蜥蜴と人とを組み合わせたような異形であり、ハッキリ言って、極めて趣味が悪いと評さざるを得ない。全く同じデザインをあの迷宮の、奇妙な緑の金属扉でもみたが、つくづくコイツを作ったヤツの正気を疑うような代物だし、それをステッキの握りなんぞにしているこの青年も、やはりマトモな手合とは思い難い。『こちらがわ』の魔法使いたちは決まって杖の類を携えていたことも考えれば、いよいよ警戒せねばならないだろう。
『……互いにとっての?』
「互いにとっての、さ。まれびとの常だが、迷い込んできた口でね」
この青年は、さっき私らのことを「まれびと」と呼んだ。その言葉を知るものならば、その多くが訳も分からず「こちらがわ」にやって来た者であることを当然、知っているだろう。ならば、多少の無礼程度は勘弁してもらいたいもんだ。
『……』
青年は胡乱げな目で私らのことを暫く眺めていたが、不意に左手で背後の美しい女へと――青年は彼女のことをエアリアルと呼んでいた――追い払うような仕草をした。エアリアルと呼ばれた美しい女は、瞳の淡い青を不安に揺らしながら、金鎖を鈴のように鳴らしつつ、なおも広がる生け垣の向こうへと姿を消した。
『……立ち話もなんである。ついてくるが良かろうさ』
青年はそう言うと、私らへと背を向け歩きだした。どうも右足の調子が悪いらしく、歩く様はぎこちなく、一歩ごとにステッキをついていた。
「……」
「……」
「――」
私ら三人は顔を見合わせた。
オプは、ついて行って良いものか判断しかねる様子で、基本的に不敵なやっこさんには珍しく、視線で私に決断を促してくる。チェネレはと言えば『こちらがわ』に来た当初の感情の乱れも今や遥か彼方で、相変わらずの茫洋とした顔でジッと私の方を見るのみだ。
溜息をひとつ、肩をすくめ、私は青年のあとを追う。他にしようも無いし、行くあてもない。オプとチェネレも、唯々と私に続いた。
「しかし……大丈夫なのかい?」
「何がだ?」
「いや……あの若い男は、貴族の出だろう? そんな輩にただ従っていいものかと思ってね」
私は思わず、オプのほうを振り返り、その顔を見つめた。やっこさんは世間の酸いも甘いも味わった、斜に構えた不敵な探偵である。気取った冷笑的態度は見せても、喜怒哀楽の生で剥き出しの感情を現すことは殆どない。だが今のオプの言葉には、隠しきれない憎しみの色がありありと出ていたのだ。私がその事実に気づいたことに、表情から向こうも気づいたらしく、慌てて咳払いをひとつし、辺りの様子を探るように視線をそらした。……私も敢えて問い咎めるようなことは避け、同じように周りの様子を観察する。ガンマンだの探偵だのを生業とする連中の過去が真っ当である訳もなく、そこに迂闊に触れれば、多くの場合火傷程度では済まないのだから。
エアリアルと呼ばれた女を追っていた時も思ったが、ここの生け垣は私の背丈よりも頭一つぶん程度大きく、まるで聳え立つ壁のようだ。私の背丈はだいたい6フィート程度だが――フランス野郎どものスケイルに合わせるのならばだいたい180センチメートルになる――それよりも大きいとなると、結構な大きさだ。
それが延々と続く。青年は迷いなく歩いている様子だが、途中で既に何度も横道を曲がっていて、もう私らではもと来た道を帰ることも難しいだろう。
「迷宮の外にも迷宮……か」
オプの言う通り、この生け垣もなかなかの迷路だ。あるいはこいつにもさっきの館同様に珍妙な魔法が仕掛けられているのだろうか。
暫時、言葉もなく進めば、開けた場所に出た。
生け垣の間の道は砂利敷であったが、ここは白い石畳が小高く盛られた土の上を覆っていて、若干高くなっている。その真中には白いクロスのかけられた長机が置かれ、周りを白いペンキで塗られた幾つもの安楽椅子が囲んでいる。
『……』
私達から見て一番奥の安楽椅子の傍らには、エアリアルと呼ばれた美しい女が、いつのまに先回りしたものか静かに控えている。私達の姿を認めるや否や目を伏せて、黙って静かに椅子を引けば、青年はエアリアルへと杖を預け腰掛け、溜息を大きくつく。
『どうした? 席についたらどうだ? 遠方……いや、遥か彼方より来たのだろう? 疲れているだろうさ』
青年に促されるも、私ら三人はまたも顔を見合わせるばかりで、ではお言葉に甘えまして、とは早々ならない。しかし他に詮方無いので、私は銃をホルスターにしまうと――無論、留め金はかけず、いつでも抜き放てるように緩く挿し込んだ――真っ先に席についた。チェネレもマウザーと拳銃嚢兼銃床とを分離すると、銃床のなかへ機関拳銃を収め、側面についた金具でベルトへと引っ掛けた。
チェネレが私の右側に座ると、オプはと言えば空いた椅子のひとつにウィンチェスター散弾銃を立て掛けつつ、青年やエアリアルからは見えぬような巧みな位置取りと手捌きで、コートの内側から小型リボルバーを取り出しつつ、私の左の椅子を自分の席に選んだ。オプが密かに取り出したのは死んだオハラの使っていたやつで、博打打ちが良くブーツの中に忍ばせているような類のやつだ。その気になれば掌の内に巧みに隠せるが、やっこさん、それをやるつもりらしい。実に良い心がけだ。
『――それで、いかようにして我が館に来た?』
青年は私ら三人が腰掛けたのを見るや、即座にそう問うて来た。
「先に、自分が誰か名乗るぐらいしたらどうだ? こちとら招かれざるとは言え客人は客人。饗すのは主の役割だろう?」
私が無礼千万に問い返せば、青年は若干眉をしかめたものの、結局はその名を尊大な調子で告げた。
『私はプロスペロ。プロスペロ=メディオラヌム。この七門城館、ひいてはこのトラパランダ島が主である。して、貴君らは?』
名乗られた以上、こちらも返す必要があるだろう。私はとりあえず、スウィートウォーターで使っているのと同じ仮初の名前を言うことにした。
「ジョン=アッシュだ」
「アラン=ピンカートンだよ」
オプはと言えば、自分の属する探偵社の、その創業者の名前を答えていた。他の偽名を使うよりも、こっちのほうが私やチェネレに解りやすいとの配慮だろう。普段ならば自分の雇われ先を少しでも臭わせるようなものは避けるであろうから。
「こっちはチェネレ。故あって口がきけねぇんだ、名乗りは勘弁してやって欲しい」
先にこっちからチェネレの自己紹介を済ませる。彼女はと言えば、相変わらずの考えの読めない無表情で、静かに青年、プロスペロのほうを見つめているばかりだ。
『アッシュ、ピンカートン、チェネレ……それがお前らの名か、まれびとどもよ。いや……』
プロスペロはチェネレの顔を見つめ、その服装を見つめ、怪訝といった顔をした。
「いや、なんだ?」
私が問うがプロスペロは答えず、暫しチェネレを見つめたあと、興味が失せたのか今度は私の方を向いて訊く。
『して、最初の問いにもどろう。いかにして我が館に迷い込んだ? しかして、いかにして我が館より迷い出た? この七門城館……そう易々と抜けられる造りにはなってはいないのだがな』
「……」
オプに目配せすると、小さく頷いたので、私が代表してこれまでの経緯を――暈すべき部分は暈し、隠すべき部分は隠して――プロスペロへと伝える。
私は幾度か『こちらがわ』へと来た経験を持つが、しかし今回は少々特殊で、『こちらがわ』の住人らしき者共が私達の側へとやってきて色々とやらかしていたらしいこと、その連中とすったもんだあった末に、この館へと跳ばされて来たのだということ。だいたいそんなことをプロスペロへと伝えた。……スツルーム云々の話は隠した。この青年が連中と繋がりのある輩でないと限らない(フラーヤのことを思い返せ)。
『……ふむ。なるほど』
プロスペロは、こめかみを指先でトントンと叩きながら、頷く。その目の前には、いつのまにやら湯気を放つ茶状の飲み物が、陶器らしい器に注がれ置かれている。どうでも良いが、仮にも客たる私らには何も出されてはいない。だがやっこさん、器には手もつけず、相変わらずこめかみを指先でトントンと叩き続けている。どうも聞いた内容を整理しているらしい。暫時黙して考えをまとめて、私達を改めて見つめる。
『お前らの武器……“銃”と言ったか、恐らくは魔導式火箭槍の類とは思うが……』
その瞳に宿る、一種狂気的輝きに、私は見覚えがあった。
アラマの眼にもあったのと同じ、素晴らしい狂気。
『是非とも……見たいものだが、実際に使っている所を』
恐らくはやっこさんの言う魔導式火箭槍とやらと見比べたいのだろうが、その瞳の輝きがどうにも気にかかって、無下にも断れない心情になってくる。この私の想いは、オプにもチェネレにも解らないものだろう。
「生憎と、簡単にお見せできるもんじゃ――」
「――お目にかけようかい?」
だからこそ私は、オプの言葉を遮って、このように言ったのだ。
言うと同時に、私はウェブリーを抜き放とうとして――その手を腹の方へと回し、コルト・ネービーの銃把へとのばした。机の下で器用に抜き放ち、机の下でそこに眼があるかのように狙いを定める。
撃鉄を起こし、引き金を弾く。
『きゃあっ!?』
銃弾は机を裏側から貫き、陶器の器を撃ち抜き砕き、テーブルクロスを中身で汚し染めてなお走り、エアリアルが抱えるように持っていたプロスペロの杖の、その先端の不気味な怪物の像の頭を吹き飛ばした。美しい女は鈴の音のような声で可愛らしく悲鳴を上げると、驚きの余りかその場に座り込む。
『――』
プロスペロは立ち上がる素振りを見せたが、直ぐに動きを止める。原理は解らずとも、私の鳴らした撃鉄の音が、次なる一射に繋がるものと直感的に理解したのだろう。
私はニヤリと微笑み、犬歯を剥き出しにすれば、いまだ紫煙吐くコルトを、36口径の殺し屋を机下より顕にし、テーブルの上に置いた。火薬特有の臭いが、私達の周囲にくゆる。
「お望み通り、お目にかけたぜ」
『……』
私が窺いつつ言えば、プロスペロは黙して視線を返す。
鳶色の瞳にうつる素晴らしい狂気は、一層その輝きを増していた。
『面白いな、その玩具は』
表情の動きは少なく、声色も平淡に聞こえるが、しかしチェネレの木石が如き有様に馴れた私には、その裏にある好奇と喜悦はあからさまだった。
『報酬も出そう。その玩具でひと仕事、引き受けてみる気はないか?』
「標的は? それによりけりだぜ」
まれびとがこちら側に喚ばれる時、それは何か仕事がある時だ。
今回は些か変則的ではあるが、その基本的なルールには恐らく変わりはあるまい。
故に問う。私の狙うべき相手の名を。
美しき青年は答える。
『我が妹にして我が仇……我をこの地へと追放せしもの、我が妹アントニア。我は狙われ、我は狙う。骨肉相食む間柄なれば』
血を分けた兄妹の名を。
しかして私は――。




