第5幕 ヘヴンズ・ゲート
馬の歩き方、走り方ってやつには大きく四種類ある。
すなわち遅いから速いの順に並べて、常歩、速歩、駈歩、襲歩の四種だ。馬ってのは存外バテやすいものだから、最も速い襲歩などは滅多に使うもんじゃあない。前の戦争の時に、本物の騎兵連中に聞いた話だが――遊撃騎兵隊の狙撃兵だった私や師匠にとって、馬は単に移動手段であることが多く、殆どの場合は降りてから戦っていたのだ――襲歩なんてのは突撃の最終段階、敵戦列から165フィート(フランス野郎が作ったメートルとかいう、いけ好かない単位に換算するとだいたい50メートル)程度の所に来た所で使うものなんだっていう。
果たして、私はライトニングに拍車をかけて、襲歩で全力疾走させている。
目指す方へと一直線に、「あちらがわ」からの異邦人どもが待ち構える鉱山の奥へと向けて、荒涼たる曠野へと繰り出すカウボーイたちの様に私達は走る。
「こっちだ!」
先導するのはワトスンに跨り、レストレードを手綱で曳くオプだ。私とチェネレはと言えばその真後ろを追走する形だった。まるで無人の野を行くが如く、まるで抵抗も蹉跌もなく私達は走り続けたのだ。
ついほんの数分前まで、私達は追い詰められていた。狭い民家のなかに押し込められ、そのまま真綿で首を絞めるように縊り殺される所だった。その窮地をかろうじて脱したばかりなのだ。そんな状況で窮鼠が猫を噛むがごとく反撃に出てくるなど、天にまします我らが全能の神といえど予想だにするまいよ。
事実、行く手に立ち塞がるのは僅かに私達の動きに感づいた少数の小人どもだけだったし、その小人どもも、私のリー・スピード・スポーターとチェネレの1895年型ウィンチェスターライフルの敵ではない。
「DUCK YOU SUCKER / 失せろ、糞ったれ」
私はオプの前を塞ごうと飛び出してきた小人の一匹を、リー・スピードで撃ち斃す。並の射手ならば、激しく揺れる襲歩な騎上で標的を狙い撃つなど、夢にも思わない無理筋なこったろう。――だけどね、私は並の射手じゃあないのだ。視力こそ若かりし頃に比して衰えようとも、この間合なら外すなどあり得ない。
リー・スピード・スポーターはこの頃流行りの新しいタイプのライフル銃である、ボルトアクション式の一品だ。ドイツ生まれのこの新しいメカニズムは、私的には馴染みの深いレバーアクション式を既に圧倒しつつあって――何を隠そう、ついこのあいだ合衆国陸軍が新たに採用したライフル銃からしてノルウェー産のボルトアクション式ライフルだったのだから――私も否応なく銃砲店で出くわすことが多くなっていたタイプであったのだ。いくつか触ってみたが、私的に一番しっくりと来て手に馴染むのがこのリー・スピード・スポーターだったのだ。一番軽妙洒脱にボルトを操作し、次弾を装填できるこいつを気に入ったのだが、そんなこいつがイギリス製だと聞いて私は驚き、そしてやはりイギリス製は良いと、確信を深めたもんだった。
私は素早くボルトを操作し、次の弾丸を薬室へと送り込んでいく。
新たに現れた小人目掛け照準を合わせようとして――それよりも早くにチェネレがそいつを撃ち斃す。
彼女の使う1895年型のウィンチェスター・レバーアクションも、素早さという点ではリー・スピード・スポーターに負けていない。私の良く知るウィンチェスター・ライフルといえば、ライフルを名乗っているにも関わらず実際には拳銃と同じ弾をつかう連発銃であったもんだが、チェネレの1895年型はと言えば強力なライフル弾を使う仕様に進化しているのだ。レバーアクションは、馬の上で使うならボルトアクションよりも優れていると私はみなしているが、その証拠に彼女は既に再装填を済ませてしまっていて、次にと飛び出してきた小人を撃ち殺していた。
――『我観しに一匹の灰色たる馬を見たり。これに乗れる者の名は死。陰府、その後ろに従えり。彼ら、刀剣、飢饉、死亡および地の猛獣を以って世の人の四分の一を殺すの権を与えられたり』
チェネレの戦う姿を見るたびに、私はこの聖書の一節を思い出さずにはいられない。『墓場の灰』という二つ名そのままの姿だった。蒸気機関車のように、手足の延長のように振るうマウザー自動拳銃のように、まるで機械のような精確さで、死を積み上げて並べていく。かつて私は『地獄の使者』と呼ばれ恐れられた二人組の殺し屋どもと対決し、結局はふたりとも私が異界の砂の下に沈めてやったのだが、実に恐ろしい連中だったことを覚えている。だがチェネレを前にすると、あの怖気催す我が同類どもの姿すらもが揺らいでしまう。
それほどまでに、チェネレは完璧だったのだ。彼女こそはまさに灰色たる馬に跨る「死」そのものだった。――ではチェネレが青褪めた死ならば、私はさしずめその後に続く地獄なのであろうか。だとすれば、私は地獄としての役割を全うさせてもらうとしよう。
私達の奇襲な逆襲に、連中の方でもようやく気づき始めたらしく、立ち塞がる小人の数が増え始める。私は間合いの近い順に、次々と撃ち、斃していく。ボルトハンドルを回して上げ、引けば跳び跳ねる金の薬莢。普段ならば再利用のために拾うそれらに目もくれず、私がボルトハンドルを逆回しにしながら戻せば、撃針が自動的に引かれ、引き金を弾けばすぐさま新たな銃弾が撃ち放たれる。一発打つのに、時計の秒針がひとつ時を刻む程の間を要しない。まるでコルトでファニング・ショットするが如き連射を、ライフルで私はやってのける。
順調に地獄を撒き散らしながら、私達は疾駆を続ける。
最初は彼方に、宵闇よりも黒い威容を湛えているばかりだった鉱山が、着々とその大きさを増していく。――トラパランダ山、今度の仕事の目的地、そして恐らくは「あちらがわ」からやって来た、鎧に兜の用心棒が待ち構えている場所だ。
「もう少しだ! もう少しで鉱山前の飯場町まで辿り着く!」
月と星の明かりが、目指す先の粗末なバラックの棟々を映し出す。あれほどまでに銃をブッ放したのに、灯りひとつ見えず、不自然なほど静まり返っている。だいたいこの手の鉱夫町の住人は総じて荒っぽく、眠りを乱されて飛び出してこないなどありえないし、そもそも博打に深酒にうつつを抜かすのがあの手の連中の常だから、だいたいこの時間帯ならまだまだ町自体が明るくなければおかしいのだ。――まぁ「あちらがわ」からワンサと色々やって来ている異常事態だ。この程度の奇妙さオカシさなんぞ、最早驚きの種足り得ないが。
「――っ!?」
飯場町の入口には、真新しく太い木の柱が立っていたが、そこには逆さに一人の男の亡骸が吊るされていた。私には覚えのない髭面のその男は、オプには既知の者であったらしい。恐らくは、オハラのやつが言っていた「マッケルロイ」なる探偵なのだろうが、なんとまぁ無惨な姿であろうことか。前の戦争の時は、見るに堪えない怖気に震えそうな地獄絵図を、それこそ黙示録に描かれる情景――野戦病院の脇に積み上げられた、斬り落とされし手足の山や、野原に延々と広がる亡骸、木っ端微塵になって散らばり焼ける血肉――を何度と無く見てきた私でも、思わず眉をしかめる程のものだった。体に刻まれた損壊の痕は激しい拷問の証拠であり、胸に文字通りぽっかり開いた穴は、心臓を抉り出された事実を示している。……昔、ニューメキシコで仕事をした時に相手取った、神がかった頭目に率いられた盗賊団を思い出す。アステカだかマヤだか知らないが、何やら先住民の古い宗教を引っ張り出してきたらしいあの連中は、とっ捕まえた敵を嬲り殺しにした後に心臓を抉り出し、豆や唐辛子と一緒に煮て喰っていたという話だったが、まぁ半ば与太みたいな話だとは当時は思っていた。だが今はあの噂話も、あるいは事実だったのではと思ってしまうほどの、眼の前の景色の凄まじさよ。
オプは素早く散弾銃を構えると、男を柱に繋いでいる荒縄目掛けて、銃声が響くのも構わずぶっ放した。荒縄は撃ち切らて、亡骸は地面に砂埃立てて落ちる。
「……」
同僚の骸を見下ろすオプの顔にはいかなる表情も浮かんではいなくて、一見すると涼し気にすら見える。
だが私から見えたのは月明かりに照らされた右の側面のみで、反対の側は影に隠れていたのだが、私の灰色の瞳は確かに、その影の裏で渦巻く姿なき憤怒の迸りを捉えていた。
「仇はとってやるさ、なぁそうだろ」
「――そうだね」
私はリー・スピードから二丁のウェブリー・リボルバーに得物を替えながら――銃声を聞きつけた連中が飛び出してきかねないが、この地形では拳銃のほうが良い――やっこさんに声をかけたが、極めて冷静な声が返ってくる。オプもまたピンカートンの探偵だ。恐らくは同郷上がりの仲間を殺られたとは言え、その怒りは露程も見せず、ただウィンチェスター・ショットガンのフォアハンドを素早く前後させ次弾を装填する。私はオプの右後方を、チェネレもまたウィンチェスター・レバーアクションからマウザーへと持ち替えて私の左を固める。オプを先頭にして三角形の隊形だ。これならばどの方向からの攻撃にも対応できる。
「……」
「……」
「……」
三人とも一言の口をきくこともないまま、飯場町の奥へ奥へ、その先にある鉱山を目指して進む。
背の低い、這いつくばるような荒屋の間を通って、私達は前進する。小人共が次々と立ち塞がってきたさっきまでとは一転、我らが愛馬が蹄の地を抉り砂埃を立てる音以外は、まるでない夜の静寂のみが空気の気味の悪さよ。不意討ちに備えて神経を張り詰めても、辺りには不自然なぐらい人気もなく、ただただこちらがくたびれるばかり。
暫時そのまま進み続け、不意に広場へと出た。真ん中に井戸のあるその広場は月光に照らされて嫌に明るく、夜とは思えないほどに何もかもはっきりと見えた。
だからこそ、ソイツの姿も、ありありとしていて、まるで白昼の下に居たかのように見つけることができた。
私も、オプも、チェネレも、殆ど同時にソイツへとそれぞれの得物を向ける。ソイツの姿形についちゃ話でしか聞いていなかった訳だが、それだけで充分だった。宝石鉱山を蝕む教団が用心棒は間違いなくコイツであり、そして「あちら側」から来たスツルーム野郎だというのも同様に間違いではなかった。ひと目、ただひと目で私は確信した。
今まで私が相対してきたスツルーム野郎どもにはある種の共通性というやつがあった。決まって奴らは庇の広い黒帽子、ケープ付きの黒外套、そして眼鏡のようにガラス状の何かで眼すらも覆う、鳥の嘴めいた奇妙な仮面……それが連中の決まった装束だった。
ソイツもまた、この例に漏れなかった。ただ今までの連中と違う点は、その仮面はあからさまに鋼仕立てであることをその銀色で主張していること、そして同色に輝く胸甲を外套の下に着込んでいること。なるほど、確かにこいつぁ鎧に兜だ。綺麗に磨かれ、まるで鏡のようですらある金属の光沢は、いかにも頑丈そうでもある。
――だが、.455ウェブリー弾や高速のマウザー弾を前にしても果たしてそうかな。
ソイツが井戸の縁から立ち上がるのと、私達が一斉に引き金を弾くのとは、ほぼ同時のことだった。
銃弾は狙いを過たず、全てソイツへと吸い込まれた。
吸い込まれ――そして消えた。
血が散ることもなく。
肉が爆ぜることもなく。
霧へと向けて、あるいは水面を目掛けて、引き金を弾いたかのごとき、手応えのなさ。
「マズ――」
不味いぞ退け!と、言う暇も与えず、ソイツの体は文字通り霞と化して、雪崩の雪煙のように迫り、私達へと頭から覆いかぶさってきた。
そこで、私の意識は一時途絶えた。
肩を揺さぶられ、眼が覚める。
頭の内側で破鐘が途切れなく鳴るような痛みと気持ちの悪さに――滅多に無いことだが、ラムだのウィスキーだのを飲みすぎた時が如きに――苦しみながらも、私は何とか鉛めいて重い瞼を持ち上げた。
灰色の瞳と、真っ向眼と眼で向かい合う。
私の顔を覗き込むチェネレがそこにいる。右手にマウザーを油断なくぶら下げながら、左手で私の肩を揺すっていたようだ。
私もまた腹に吊るしたコルトを――二丁のウェブリーはやや離れた所に転がっていた――抜きながら上体を起こせば、オプも、ライトニングにレインメーカーといった馬たちまでもが、意識を失って床の上に寝転がっている
そう、床の上だ。深紅の、高そうなカーペットが敷かれた床の上だ。
気づけば私達の居場所は、月と星の見下ろす砂地のバラック街から、恐ろしく広く豪奢な屋敷の広間と思しき場所へと移り変わっていた。
非現実的なレベルで高い天井や、そこからぶら下がったシャンデリア――そこに輝いている灯りは、蝋燭でもガス灯でも石油ランプでもなかった――の異様な明るさに、私は即座に悟らざるを得なかった。
私は、またも「こちらがわ」へとやって来てしまったのだと。
「――DUCK YOU SUCKER / ――マジかよ、糞ったれ」
思わず私の口から漏れた毒づきに応じたように、オプに馬たちが呻きながら起き上がるのを横目に、私は先ずはどのように動くべきか考えるのであった。




