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第7話 汝の名は何か、と、問ひ給へば






 魔弾は次々と撃ち放たれ、瞬く間に四匹の餓鬼の、その心の臓を射抜く。さらには飢え細った体を貫いて、その背後の餓鬼をも撃ち斃した。一瞬にして、八匹――通常の小競り合いならば、これで相手が慄き退いてケリがつくほどの大戦果。だがこれは普通の切った張ったじゃあない。


 獣性もあらわな、血肉に飢えた声が途切れなく次々と迸り、ヒト相手なら当然、エルフ基準でも一倍良い耳朶へと痛いほどに突き刺さる。朽ちた家々の陰から飛び出してきた、ウェンディゴ憑きどもが次々と吠えて、そのおぞましき声が辻に軒に窓に道に満ち満ちる。


 おれの灰色の瞳に映るのは、双眸を血走らせ蓬髪を振り乱し、血肉染み付き拭えぬ汚れに染まった乱杭歯、爪に皮に脂がこびり付く、屍肉を鷲掴みにしすぎたが故に鉤のように曲がった指という、凄絶なる有様の数々。なかには爪が剥がれた指をしている野郎もいるが――おれの眼ならば、激しく動くこの連中の、そういう細かい所まで見分けられるのさ――それは狂気に任せて餌食を襲い続けていたが為のものだろう。正気をなくした結果、どうやら痛みすら感じなくなっているらしい。


 つまり半端な攻撃は無意味だってことだ。一撃必殺で仕留めていかなけりゃ、連中の胃袋に収まる破目になるだろう。


「スューナ!」


 彼はその名を呼ぶだけでおれの意図を察し、体当たりで狂人どもを蹴散らしながら駆け寄って来る。その背に跳び乗り、エンフィールドを特注製のホルスターから引き抜く――代わりにカットラスを鞘走らせ、横薙ぎの一撃を迫ってきたウェンディゴ憑きにくれてやる。鋭く研がれた分厚い刃は硬いはずの頭蓋骨を突き破って、その内側の脳味噌までもを斬り裂き相手を絶命させる。元が船乗り用の段平というだけあって、カットラスはこういう至近の乱戦では無類の強さを発揮する。おれは風車のように鉈刀を振り回し、続々迫る指に手に腕を次々ずんばらりとやりながら、スューナにジグザグに走らせ相手を翻弄する。


「援護しろ!」


 パラシオス師とアルカボンヌへとおれは叫ぶ。短銃の方に再装填するには、一旦間合いを取る必要があるが、憑き物に狂った輩特有の異様な素早さと躊躇いの一切なさがために、果たせない。


「怠けんな! 手伝え!」


 実際、コイツラも文弱者(オム・ド・レトル)ども――学者司祭に魔女とは言え、紙とインクで出来た城壁に守られた象牙の塔の住人という訳でもない。こんな仕事を引き受けている時点で堅気である筈もないんだから、いくらおれがコイツラの護衛を任されたとは言え、ただ黙って眺めていて良いわけがあるかってんだ。


「――EXURGENT MORTUI ET AD ME VENIUNE」


 言われて応えたのは、やはりというかパラシオス師のほうだった。白髯の下から、古い呪文が紡がれる。その意味する所は差し詰め――。


『――死者は立ち上がり、我がもとに来たれり』


 ――といった所だろうか。


「ハイドラよ死より立ち、墓より這い出て我らが仇を討たんことを」


 ドワーフの学者司祭は現代の言葉で更に呪文を唄い、懐から布袋を取り出し、その中から一掴みの何かを取り出した。地に蒔かれたそれは、どうも何か生き物の、それも大きな肉食の生き物の歯と見えた。


「朽ちし亡骸よ、眠りから醒め、万人の父なる天帝(デウス)の名のもとに、我が声に応えよ!」


 パラシオス師がひときわ大きく唱えれば、地に蒔かれた歯が地面のなかへと沈み込んだようだった。ようだった、言うのは、おれはウェンディゴ憑き連中を相手取るのに忙しく、爺様司祭のやっていることを悠長に眺めている(いとま)もなかったからだ。


 そんなおれにも『その音(・・・)』だけはハッキリと聞くことが出来た。

 地面から、何かが湧き出てくるような、そんな音を。


 カットラスを振り回しながら音の方を盗み見れば、異様な音に似つかわしい異形の姿が、たしかにそこにある。

 かつてリノア先生に見せられた、古い写本の挿絵に描かれた、いにしえの戦士を想い起こさせる姿だった。違いがあるとすれば、目の前の戦士たちには文字通り血も肉もないことだろう。骨だ。骸骨だ。髑髏だ。骸骨の戦士がそこには立っている。

 手にした武器は青銅製と思しき、偽の金色に輝く剣と槍であり、反対の手には革とやはり青銅からなる巨大な円盾(ホプロン)を構えている。


竜牙兵(スパルトイ)っ!?」


 おれがその名を呼べば、パラシオス師は髭の下でニヤリと笑うと、地階より出し戦士たちに号令する。


「かかれぇいっ!」


 骸骨戦士たちは一斉に走り出し、後退するおれとスューナとすれ違いにウェンディゴ憑きどもへと襲いかかる。人喰いどもは鬱陶しいとばかりに――そりゃそうだ、連中目当ての血も肉も無い相手なんだから――その狂った力任せになぎ倒そうとするが、竜牙兵たちは盾の壁を組んでこれを巧みに押し返す。


 竜牙兵(スパルトイ)。それは死せる七頭竜(ハイドラ)の怨霊が産み出す復讐の戦士。既に死せるが故に、従って不滅である戦士たち。召喚者の意志に従い、破壊され地に戻るまで、疲れも恐れもなく戦い続ける素晴らしき戦士たちだ(しかも一度破壊されようとも、再び喚べば現れる)。ただし、数多の将校将軍の理想であろう戦士たちを喚び出すには、七頭竜(ハイドラ)の牙を要する。七頭竜(ハイドラ)は数も少なく、これを仕留めるのは至難だ。


「どこで手に入れたんだってんだ、あんなもの(・・・・・)!?」


 そう、あんなもの(・・・・・)だ。ハイドラとは一度だけ遭遇したことがあるが――本来の標的の賞金首は既にソイツに殺られていた――あんなのを相手取るのは二度とゴメンな相手だったのだ。生き延びるのに必死で、歯を持ち帰ろうなんて思いもしなかった。


「大枚をはたいたか、あるいは腕のいい狩人でも雇ったかよ」


 短銃に素早く再装填をしながら、上手く退いたおれは問いかけるが、老学者は再び髭の下でニヤリと笑い、小さく手招きをしたのだ。怪訝に思いつつも、身を屈めて耳を寄せれば、爺様はそっと囁き言った。


「あれは(フカ)の歯じゃよ」

「!?」

「まぁ一応大昔の、地の底より掘り出した代物ではあるがの」


 パラシオス師は茶目っぽく片目を瞑ってみせつつ、更に囁き嘯く。


精霊(アガトス)相手にせよ邪霊(ダイモン)相手にせよ、万軍の主の御名において、だまくらかしちょろまかすのも立派な自然魔術(マギア・ナトアリス)のうちよ」


 ……なるほど。

 おれもまことに少々とは言え、リノア先生の手ほどきで自然魔術(マギア・ナトアリス)を学んだ身の上だから、いかにこの老ドワーフのしでかしていることが高度かが理解できる。

 本来、竜牙兵(スパルトイ)というものは死せるハイドラの怨霊に応じて大地の精霊(アガトス)が産み出す代物。だがこの爺様は巧みな細工を用いて大地の精霊(アガトス)をだまくらかして竜牙兵を生じさせてみせたというのだ。普通はあの手この手を使って宥めて賺して何とかこちらの思う通りに動いて頂く(・・・・・)のが自然魔術(マギア・ナトアリス)なのだから、パラシオス師が何気なくやってのけたのは実にとんでもないことで、この老人が流石は一流のゴーレム使いであり、それだけ細工に長じていることをまざまざと見せつけられた形だ。


「ただ、所詮詐術は詐術よ。欺ける時間は短い。だから親玉退治はお前さんに任せるとしようかの」


 だがパラシオス師がさらりと付け加えた所を聞くに、万能の術と言うわけでもないらしい。制限時間というやつがあるのだろう。おれは再装填の済んだ短銃を左右に構え、改めて連中の様子を観察する。


 ウェンデイゴ憑きは大勢居ても、ウェンデイゴ自体の数は極めて少ない。この村の村人も恐らくは全員が取り憑かれもう取り返しもつかないことになってはいるが、この規模の村であっても残らず住民を狂わせるのにはウェンディゴ自体は一匹で足りる筈だ。


 ウェンディゴは別名を『風に乗りて歩むもの』という。

 その名のごとく普通に眼に見える姿は無く、あたかも風のごとくであり、そのままでは希薄な存在ゆえに決して力強いとは言えない邪霊(ダイモン)だ。だがこの邪霊はヒトに憑く。ヒトに憑いて感染し、狂気をばら撒き拡げるのだ。つまりはこの狂人共の群れのなかに、狂気だけでなくウェンディゴそのものを宿した奴が一人、必ずいるはずだ。そいつをどうにかしなければ、この地を覆う邪気が消えることは、決して無い。だとすればここで退いて一時凌ぎをしたしても、血肉に餓えたウェンデイゴ憑きどもはどこまでも追跡してきて、遂にはゴレームが壊れて追いつかれたが最後となるだろう。


 つまり、今この場で、ウェンディゴをどうにかするしかない。


「所でじゃが……プレトリウス殿はいずれであろうかのう?」


 言われて、初めて気づいた。

 気がつけば、あのいけ好かない魔女アルカボンヌ=プレトリウス――その姓がそんなであったことも言われて思い出した――の姿が失せている。あの女、確か二つ名は『早い足(ガンバ・セクーラ)』とかいった筈だが、早い足ってえのは逃げ足のことであったのだろうか。気に食わないだけじゃなくて役にも立たないとは実に恐れ入るこったあ。


 まぁあんな女ことはどうでも良い。大事なのは、このおれが今、なにをなすべきか、だ。


「どの程度、時間を稼げる?」


 おれが問えば、パラシオス師は懐から例の袋を取り出し、中身を数えて計算して言った。


「ふうふうみい……ざっとタバコを三、四服する程度の間かのう」

「一服し終える前に、片付ける」


 言うな否や、おれはスューナを走らせる。

 そして、勢いをつけて、跳んだ。


 戦列なす竜牙兵の上を、我武者羅に突っ込んでくるウェンディゴ憑きどもの上を、鳥のように、舞うようにスューナとおれは跳び越える。

 ウェンディゴ本体は、それに憑かれた者と違って頭が良い。ならば必ず、この村のどこかでこちらの様子を窺っている筈だ。ならば、それを叩くまで。


「ほうれ! お前たちのお相手はこの儂らじゃよ!」


 人喰いどもの一部がおれを追おうとするのを、パラシオス師が更に竜牙兵を喚び出して阻むのが、背中越しでも音だけで解った。動きが実に素早く、ちゃんと機転が利く所を見るに、やはりあの爺様も学者とは言え堅気ではないということだ。だからこそ、安心して背中を任せることができる。



 ならば、おれはおれの仕事を果たすまでだ。










 往時には栄えたと思しき村は今や荒れ果て、窓は破れ屋根は落ち、凄惨たる有様だった。最早、真っ当ないきものの姿は影一つなく、見えるのは血に飢え狂った輩ばかりだ。

 出遅れたと思しきウェンディゴ憑き物を何匹かカットラスとスューナの牙に爪とで蹴散らしながら、おれはウェンディゴ本体が取り憑いている一体を探し求める。


 探し当てる為のアテはある。スューナこそがそのアテだ。

 スューナの鼻ならば、本物のウェンディゴ憑きの存在を嗅ぎ分けることができるのだから。ただ単に取り返しがつかないほど狂い果てた連中と、本当に人外の化性を宿した者とでは、当然臭いだって変わってくるのだ。


 だが――。


「……ちぃっ」


 スューナが不意に上を向いたので合わせて見上げれば 、おれは思わず舌打ちしていた。耳先に感じるちりちりした感触、耳朶を打つ囁くような無数の地を叩く音でもしやと思っていたが、気がつけば雲模様は何やら恐ろしい速さで悪い方へと移り変わり、間もなく通り雨がひと降り来るのが間違いない様相となっていた。こいつは良くない。この手の通り雨は、スューナの鼻を狂わせてしまう。


「いや、むしろ好機よな、僥倖よな。かの『風に乗りて歩むもの』を相手取るならば」


 そんなおれの思考をあたかも読んだかのような台詞が、頭上より降ってくる。驚いて声のほうを向けば、周りの廃屋同様に荒れ果てた、かつては天帝(デウス)を祀っていたであろう神殿の跡の、その崩れかけた屋根の上にアルカボンヌは腰掛けおれを見下ろしていた。


「いつのまに、などと凡下凡俗な問いは発してくれるなや。かのリノア女史の内弟子ともあろう者がのぉ」

「この雨が好機ってのはどういう意味だ?」


 チェシャ猫――海の彼方の白い島(アルビオン)にいるという化け物――みたいな嗤いを浮かべ、何やらほざいているのを無視して、逆に問いを投げかけてやる。魔女は妖怪めいた笑みを更に深くして、得意な調子を瞳に輝かせて答える。


「やつは姿なき者なりけるかや。人の身に宿る内は良いが、ひとたび出ればこれを見て捉うるは能わぬよな。されど、雨と雷がやつの姿を顕にするなれば――当然が如く、事情は変じるという訳やわな」


 ……なるほど、そいつぁ初耳だ。手持ちの知識と照らし合わせても、理にかなったことを言っていると判断ができる。腐っても魔女であるこの女は、こと邪霊(ダイモン)に関しちゃおれよりもずっと詳しいらしい。


「して、ウェンディゴを見つけた所で、死神殿はいかようになさるおつもりかや?」

「……銀の矢だ。こいつを『プネウマ』を込めた呪符で撃ち出して、プネウマを纏わせて仕留める」


 だから普段なら無視する所を、アルカボンヌの問いに応じたのだ。この女に合わせてやって持っている知識を吐き出させたほうが、結局はおれの為になるという算用だ。ちなみにおれが言ったやり方は邪霊(ダイモン)を相手取る場合の一般的な手口だった。魔を降す銀を、聖なる息吹たるプネウマで撃ち出せば、邪霊(ダイモン)だろうと調伏することができる。調伏することはできるが、確実ではない。なにせ相手はヒトならざるモノなのだから。


「教本通りの手立てよな。流石はよく学んでいるでありんす――されどその発想は狩人のもの。射止めるも八卦、逃すも八卦よな。だが魔女ならば、より良い解を導き出す」

「それは?」


 アルカボンヌはニヤリと笑うと、何かを投げて寄越してくる。

 おれはカットラスを握っているほうで器用に掴み取るが、それは酒筒(チフレ)――牛の角を使った水筒の一種のことだ――に似ていたが、というよりもそのモノであったが、その側面には何やらルーンめいた文字が、びっしりと刻み込まれている。


「天帝の子、また『なんぢの名は何か』と問ひ給へば、それは答へん。『わが名はレギオン、我ら多きが故なり』」


 唐突に、魔女は天帝教の経文の一節を諳んじてみせたが、その意図をおれは瞬時に理解した。



 ――『兎にも角にも、まずは名を聞き出すこと。名を知ることは隠れた存在を励起させ、支配の緒となる』



 脳裏を、追憶の中のリノア先生の言葉が通り過ぎる。


「ウェンディゴとは種としての呼び名。だが邪霊(ダイモン)にも個別個別のまことの名前を有すのよな。名もなき草など無いが如く、名もなき花など無いが如く……」

「ならば、どう名を聞き出す? 名を聞き出せばこの酒筒(チフレ)に封ぜられるんだろ?」


 魔女は2つ目の質問には首肯したが、肝心の最初の問には答えず言った。


「さぁ? それこそ死神殿の腕の見せどころでありんす」


 そこが一番重要なのだが、所詮魔女は魔女ということか。


「だがテメェも雇われの身の上なんだ。ちゃんと金の分は働け」


 そう頭上のアルカボンヌ言いつつ、辺りを改めて見直す。

 気づけば空模様は一層悪くなり、廃屋からはまた新たなウェンディゴ憑きどもが這い出てきている。


「ところで」


 おれは人喰いどもへと向かっていく前に、魔女へともうひとう問いかけた。


「結局の所、どうやってその屋根の上まで跳んできたんだ? 何の素振りも見なかったが」

「わらわは『早い足(ガンバ・セクーラ)』。それが答えでありんす」


 当然、期待した答えは返ってこない。

 おれは舌打ちをくれると、スューナと共に獲物を目指して駆け出した。



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― 新着の感想 ―
[一言] どのキャラも腕利きって感じで良いですね。 なかなか良いチームだ。
[良い点] 誰も彼もがイイ性格しとりますな。 万象を騙くらかすのが魔術という考え方はとても好きです。 [一言] 次も楽しみにさせて頂きます!
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