第6話 川辺にて、至福者の住処
「ゴーレムが不調じゃ。修理と調整と、それに要する諸々の調達が為に、どこかで停まらねばならんじゃろう」
既に陽は高く、時刻は昼へと近づく頃合いに、ドワーフの学者司祭の診立ての言葉がこれだった。
「……」
このパラシオス師の提言に、アントニアはただ黙して眉根を寄せた。それはノストローモ号が、重しになる賊徒共の死体を残らず魚の餌にし、散らばった肉片と血とを手分けして掃き清めた後も、なぜか速度は上がらず、外輪の回転もやや不規則なままであることに皆が気づいた頃のことだった。パラシオス師の言葉は、その原因についてのものであったのだ。
ここに鏡はないが――なくとも解る――おれも間違いなくアントニアと同じような表情をしていたことだろう。当然だ。つい今朝方、命知らずの賊徒どもの襲撃に、肝を冷やしたばかりなのだ。連中は川面を走る船にすら襲いかかった。ならば停まった船なら尚更だろう。
掃除を一通り終えた後、舵取りのエステバンを除いた全員が甲板上に集まって今後の動きについて話しあっていたのだが、この談合はのっけから雲行きが怪しい気配を漂わせていて、早速雇い主と雇われ者の間で、意見の相違というやつが巻き起こり始めている有様だった。
「博士の言うとおりでありけるかな。恐らくは賊徒が火喰蜥蜴の類でも投げ入れたのだろう。炉がおかしくなっておるから、無理に進めど直に止まるぞえ。そうなればそうさな――さしずめ生簀のなかの鯉といったところかのう。骨までしゃぶられて終いじゃ終いじゃ」
博士の傍ら、船端に座り組んだ脚を見せつけつつ、魔女アルカボンヌは火に油を注いでくれる。場の空気をさらに悪くしながら、何が面白いのかケタケタと嗤う。……この女、自分もまたその生簀のなかの鯉の一匹に過ぎないということを忘れているのだろうか。あるいは自分は魔女だから例外であると高を括っているのだろうか。――もしこの女の増上慢が正しかったならば、リノア先生は今も健在だったことだろうに。そう思えば、怒りすらおれの心には湧く。
ちなみに火喰蜥蜴というのは赤い色をした山椒魚もどきで、ノストローモ号の動力源のような鉄製のゴレームを動かす際の、その動力の元となる燃素を喰らう生き物であり、こいつに取り憑かれたゴーレムは炉が痛むか壊れるかするので、世の殆どの連中に忌み嫌われているが、匪賊盗賊林賊馬賊どもは違う。連中からすれば、獲物の足を止めるのに格好の手投げ弾代わりで、賊徒どもからは「我らが投げ玉」と珍重されているそうだ。なお投げ玉、あるいは三連投げ縄玉はガウチョどもが好んで使う、家畜や獣、そして敵を絡め取るのに使う錘付きの投げ縄のことだった。
「船上にて修理なさいな。その為に大金を払って雇っているのだから」
「ワシとて出来ぬものは出来ぬよ。雇われた以上、直言するのも仕事のうちじゃ」
「予備の部品の類は? 確かに積んであったと思いますけれど」
「ゴーレムの側に置いておいたのが失策だったわ。踏み込んできた連中が川に撒いてしまったようじゃの」
さて、学者司祭と魔女とはノストローモ号を停めて直すことを主張し、我らが雇い主のアントニア嬢はそれに対し不満を隠さない。傍らのフェルナンはアントニアの取り巻きなのだから意見を述べたりすることもなく、ただ黙し陰気な面を晒すのみだった。メイドのトリンキュラもまた、曖昧な表情を浮かべたまま、ただ主の背後にて控えている。
魔道の国コスタグアナの田舎地主の御令嬢らしく、ちゃんと都の大学で魔術をひととおり修めたという彼女だから、あるいは専門家連中の言うことに一理あると思っているのかもしれないが、一刻も早く目的地につきたいであろうアントニアの苛立ちはあからさまだった。のろのろとした船の進み具合が、それに拍車をかけている。
「……あなたがたはどう考えます?」
雇い主のお嬢様は閉じたままの扇子を掌にぽん、ぽんと叩きつけながら、私達へと問いかける。
クルスは即座に、ガウチョらしい朴訥さと率直さで吐き捨てるように言った。
「ありえねェ」
「同感だ。そうすれば生簀のなかどころか、鍋で煮殺されるハメになる」
フィエロが歌唄いらしい喩えを交えた警句で相棒に同意する。
アントニアは扇子を開いて口元を隠した。いざ事が起こった時に切った張ったするガウチョどもに反論されてしまったとあれば、小賢しい文弱者どもも黙るだろうと、恐らくは裏側でほくそ笑んでいるのだろう。
果たして彼女がおれのほうへもチラと視線を向けた。言葉に出さずとも何を求められているかは解るが、生憎とおれは太鼓持ちではないので、雇い主のご意向には沿いかねるというやつだ。
「魔女の戯言はともかくとして、パラシオスのセンセー言うことは聞いといたほうが良いと思うがねェ」
アントニアは片眉を上げる。だが、おれは雇い主の表情へとそ知らぬ顔して言葉を続けた。
「おれはゴーレムの専門家じゃないが、ああ見えて中身がズグダ人の絡繰鳩や、星見どもの天文時計みたいに複雑なのは知ってる。それを動かしたまま、それも揺れる船の上で直せだなんざ、それこそ『ありえねェ』よ。そこの目に一丁字もない連中にはまぁ、どだいわかんねぇことかもしれんがな」
おれはせせら笑う調子で言い放ったが、これは何もいけ好かないガウチョ2人に対する当て擦りというわけじゃない。……無論、そういう気持ちが皆無かと言えば嘘になるが、それ以上にドワーフ司祭の言うことを聞くほかないと合理的に判断したまでのことだ。正直、ノストローモ号を停めるのは限りなく避けたい選択肢だが、しかしゴーレムが完全に止まるのを待つよりは、少なくとも自ずからの判断で停めるほうがずっとマシな筈だ。
「……」
アントニアはなおも扇子で口元を隠しつつ、ジッとおれのほうを見た。怒り出すものかと思いきや、その瞳は冬の湖めいて揺るぎなく、いかなる感情も読み取ることはできない。切った張った担当の一人である所のおれが、爺様学者――と、ついでに糞ったれな魔女――の意見に同意したもんだから、何か思う所があったのか、あるいは元より学者連中の意見こそ実は理ありと見つつも、心情的に納得できず、何か納得に足るもうひと押しを求めていたのか……あるいはそのいずれでもないか。生憎と読心の術には通じないおれには見当もつかない。
「流石は薔薇十字会大学が碩学の直弟子なりけるかな! いずれに理があるや否や、立ちどころに見抜くとはなぁ!」
ここでまたアルカボンヌが余計な台詞を吐いた。この女の物言いは不正確であるばかりでなく、有害ですらある。おれは確かにリノア先生の傍らにいた訳だが、学生というよりは下働きの小間使いであったし、ガウチョ2人は魔女の言葉で完全におれを文弱者の仲間だと思った筈だ。
ガウチョは街を、そしてそこにこそある種々を――それは文字であり、連なるレンガ造りの棟々であり、魔術仕掛けの機械である――恐れ、嫌悪している。荒野に身をおいて、そこに生きる道を選んだ彼らは馬に跨って街に背を向けた種族なのだ。連中は、街の住民たる文弱者を軽蔑する。コボルトとオークの鼻持ちならないガウチョどもと仲良くするつもりなどハナから無いが、嫌われるのはともかく侮れるのは我慢できない。特に相手がオークの場合は。
「確かに我らはいずれも学はない。だがここでは違う学が要る。導師博士も、ここでは単なる素人だ」
「――所詮は、都会モンか。まぁ飛び道具頼りの細腕だ。当然だろ」
フィエロは静かに、しかし断固とした侮蔑の色を浮かべながら言った。
クルスは、飛び道具を卑怯者の武器と蔑むガウチョらしい率直さで、おれを愚弄した。
「所詮はガウチョか。学がないっていうのは哀しいねぇ。道理ひとつわきまえられないたぁ」
おれもまた嘲弄で応じた。馬鹿にされっぱなしは耐えられない。
「――」
「――」
クルスの手はファコンの柄頭に、おれの手は短銃のグリップにそれぞれ伸びていた。
この間合ならばドスが速いかハジキが速いか、頗る微妙な所だ。
「――」
フィエロはと言えば、野郎もガウチョの端くれ、ファコンだってそのポンチョの下に忍ばせている筈だが、手にしたものはギターだった。またも詩歌管弦で場をおさめようというつもりか、しかしこうも高まった殺気を抑えたりできるものなのか――。
「およしなさい」
ビシャリと、アントニアが勢いよく扇子を閉じながら言い放った。鈴の鳴るような、しかし鋭い一声に、おれもクルスも得物から手を離した。
彼女は勢いよく、おれを、クルスをと交互に見下し睨みつける。金の巻毛が、豊かな胸が、ゆさと揺れる。
「下らない喧嘩をやらせるために、大枚をはたいて雇っているわけではありませんのよ。トリンキュラ!」
「はい」
「上のエステバンに伝えなさいな。港だの桟橋の類が見つかったなら、そこに船を停めなさいと」
彼女がメイドに言ったことから、結局はパラシオス師や魔女、そしておれの意見に従うことに決めたと解った。
「ただし――必要な諸々とやらを集める仕事はパラシオス師自身とアルカボンヌ女史、そしてその護衛はエゼル、あなたにお任せしますわ。クルスとフィエロはノストローモ号を守ってもらいますとしますわ」
結果、面倒な仕事はおれの方へと回ってきた。言い出した手前、仕方がないことだが、クルスの野郎がニヤリと笑ったのだけが気に障った。
暫く進んだ所で――この間を進む間にも、ゴーレムの調子は更に悪くなっていた――多少傷んではいたが、奇跡的にまだ使える桟橋に出会った。恐らくは近辺の住民が川で漁をしたり、対岸に渡ったりするためのモノだったのだろう。もう使う者もなく、打ち捨てられているが、それでもまだ一時船を繋いでおく程度はできそうだった。
まず真っ先におれが降りて、具合を確かめる。多少軋むが、問題はなさそうだ。
手招きすれば、ひょこひょことパラシオス師が、次いでアルカボンヌが不器用に降りてくる。ドワーフの老学者は案外身軽な様子で、あれなら足手まといにはならないだろう。魔女は――いざとなれば見捨てれば良いから、問題にはならない。
「あの程度の村ならば、ゴーレムの一体や二体はあるじゃろうて。まぁまだ何か残っていたらの話じゃが」
学者司祭が指差したのは、人気のないあからさまな廃村だった。
この大陸ではどこでも見る種類の、日干し煉瓦仕立ての粗末な家が立ち並ぶ姿が見える。
「……スューナ?」
一緒に降りてきた我がボルグが、あからさまに件の村をにらみ、しきりに何かを嗅いでいる。スューナの嗅覚はおれなどよりは数倍優れていることを考えると、あの朽ち果てた村は完全に打ち捨てられたという訳でもないらしい。
「君のボルグの反応を見るに、どうもあの有様でも誰かしら残っているようじゃの」
碩学と名高いパラシオス師だけはあり、即座にスューナの反応の意味を理解していた。
「はてさて、このような内乱と狂気の地にあって、荒れ果てた村に残るは狂人か乞食か……いずれにせよまともにはあらぬよなぁ」
アルカボンヌとは言えば相変わらず他人事のようにケラケラと笑う。
「その狂人か乞食かと、テメェも相対するんだぜ」
「それは腕利きの銃士にお任せ致しけるかな」
魔女は言うやいなやクルクルと回りながら、おれの背後へと隠れる。……溜め息だけ過剰に大きくついて、おれは左右の手に歯車仕掛けの短銃を構えつつ前進する。エンフィールドはスューナの背中の特注製ホルスターのなかだ。やはり出会い頭に相手を撃つなら短銃のほうが勝手には勝る。
「先に行く。続いて来い」
おれが先頭に立ち、そのすぐ後ろにスューナが控え、パラシオス師とアルカボンヌがゆっくりと続く。
件の村に近づくにつれて、嫌な予感はいよいよ募り始めた。理由は――においだ。このにおいと相対しては、痩せ犬野良犬とは石灰と醍醐ほどにも格が違う、誇り高き神狼の裔たるボルグのスューナが、ぐるると牙を剥き出しに唸り始めるほどのモノだった。
それほどのにおい……その正体は『死臭』だった。
噎せ返るほどの、吐き気を催すほどの死臭は、ひとりふたりでは当然なく、下手すればひと村まるまるの死骸を積みかさねているかのような、強烈なものだった。
「これは剣呑じゃな」
背後でパラシオス師がボソリと呟くのが聞こえた。心中で同意しながらも、おれは黙々と前進する。そして、前進すればする程に、事態の異常性があきらかになっていく。
死骸が、無いのだ。
それは結構なことなのでは、という人もあるかもしれないが、ちょいと待って頂きたいもんだ。鼻を突く程の死臭溢れる地にて、屍がひとつも見当たらないなんてことがあり得るだろうか。おれが予想していたのは、蛆湧き蠅集り鴉に禿鷹の群がる躯の山だった。だがあるべきものの姿は影すらありはしない。
――「あるいは、『ウェンディゴ』の仕業やも知れぬよな」。
ふと魔女アルカボンヌの言葉が、脳裏を過る。狂気を撒いて臓腑を喰らう狂気に人々を追いやる、姿なき邪霊……その存在を、おれは予感する。
「――いやいや、よく来ました。久々の客人だ」
果たして、その予感は的中した。唐突に、廃屋の陰より現れたのは、ボロボロの制服に身を包んだ、官憲の成れの果てと思しき男だった。恐らくは駐在の巡査の類だったのだろう。
「ようこそ我らが村へ。こんな状況ですが、客人はぜひとも歓待したい」
かつては人好きのするものであったろう微笑みをおれへと向けた。
それに対しおれは、銃口を向けることで応じた。躊躇いもなく歯輪点火式短銃の引き金を弾いた。当然だろう。誰が血染めの制服を纏い、肉片こびり付いた乱杭歯をした男の言葉を信用するだろう。
放たれた魔弾は男の心臓を撃ち抜き、男はもんどり打って地面に倒れ臥し――すぐさま起き上がって、血走る深紅の瞳でおれを見た。
――咆哮。
およそ人間の喉からは出るはずもない叫び声を、男は、いや既に人ならざる者は挙げた。
その声を合図として、朽ちた家々の陰から、次々とウェンディゴに憑かれた人喰い鬼が飛び出してくる。
「かかってこい!」
おれは迷うことなく、手近な相手へと再度引き金を弾く。
禁忌に淫する至福者たちの里で、かくして死闘は始まったのだ。