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POPフラワー  作者: 憂木冷
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ギブ・アンド・テイク



 ……。

 爆発した。

 濃霧の中で誰かが機関銃を振り回しているみたいに、コンクリートの欠けらが噴煙から飛び散る。距離があったとはいえ、ぱらぱらと落ちてくるコンクリートの弾がいくつかぶつかった。だけど、服に付いた汚れや、肌を掠った傷を気にしている精神状態ではない。

 ――偶然か?

 絞り出した感想はそれで精一杯。

 いや、そうとしか思えない。

 あたりまえだ。弾けろと自分が口にして、直後に自分の見ていた地面が弾け飛んだら――爆発したら、それは間違いなく偶然だ。もしそこに、音声に反応して起動する爆弾が埋まっていて、「弾けろ」という単語が作動キーになっていたのだとしても。もしその下に地底人の掘削ロボットが迫ってきていてタイミング良く地上に飛び出したのだとしても。なんとしてもただの偶然のはずだ。

 死ねと言ってもヒトは死なない。

 消えろと言っても汚れは消えない。

 より良い国づくりをと言っても良い国はできない。

 そういうのと同じ。誰かひとりの思い描く『良い国』が実現しないのはそれがただの妄想だからだ。そんな漠然としたものが現実になる日は来ない。だから、アカシの漠然とした願いと気紛れと八つ当たりの産物である独り言が、現実になるはずなんてないのだ。

 偶然。

 そんなもの無視してしまえばいい。いつもそうしている。偶然自分の目の前で転んだ他人を無視して通り過ぎるし、偶然誰かが落としたハンカチを無視して通り過ぎる。今回も変わらない。偶然鉢合わせてしまった爆発なんて無視して通り過ぎればいい。理論的に考えて、自分は関係がないのだから。

 だけどアカシは、一歩も動けずにいた。

 だけどアカシは、冷や汗を流す程度には焦っていた。

「アカシ!」

 いつの間にか、横断歩道の向こう側にヒト影があった。赤い信号機の光が、砂埃にぼんやりと広がる。

 かみしも橙弥とうや。平均的な同級生の能力を三倍にして人間の形に収めたら、きっと彼ができる。橙弥は、親しみのある声でもう一度「アカシ」と名前を呼んだ。

 肩が震える。見られていただろうか。声は聞こえていたか。自分がやった様に見えただろうか。

 本当なら、今起こった偶然を彼に話して、笑い話にしてしまうのが正しい行いなんだと思う。きっと彼なら一緒に「なんだそれ! すげー!」とか言って笑ってくれると思う。

 誰かを友達とか、家族と呼ぶのは嫌いだ。

 それと同じくらい、友達とか家族と呼ばれるのも嫌いだ。

 だけど、この世界に二人だけ、そう呼ばれても嫌な気がしない相手がいた。その一人が裃橙弥だ。彼はきっと、この世界は家族と友達と些細な贈り物でできていると思っている。

 ただの平穏な昼休みに、アカシと橙弥と猫の少女は、校舎裏の枯れた花壇の淵に腰掛け、毎日そこで昼食を取っていた。

 橙弥はいつも、弁当を持参している。コンビニか購買のパンで済ませてしまうアカシに、橙弥は弁当箱の蓋を皿代わりにおかずを分けてくれた。

 初めは遠慮した。今よりも気を許してはいなかったし、単純に悪いと思ったのだ。

「ギブ・アンド・テイクだよ。たとえば、子猫に指先を舐めてもらうなんていう、何のメリットとも言えないことのために、ヒトは子猫の頭をなでるものさ」

 そいういって彼は、アカシにおかずを分けた。ギブ・アンド・テイク。確かに、子猫に指先を舐めてもらうことはメリットとは言えない。一時間働いた対価が、もし子猫に指先を舐めてもらうことだとしたら、ほとんどのヒトはそんな仕事はしないだろう。

 だけどヒトは子猫の頭をなでる。首や顎を掻く。

 子猫は気紛れで、指先を舐め返したり、無視してどこかへ行ってしまったりする。それでもきっと、橙弥は満足するだろう。繋がりを大切にする彼は、シンプルに贈り物が好きなだけだから。

 メリットともいえない、値段にしてゼロ円のものを手に入れるために贈られたものを、あるいは愛と呼ぶべきなのかもしれない。そんな風にアカシは思った。

 なんとなく、自分がこの爆発を起こしたように錯覚してしまう状況だけど、何度考えても、やっぱりただの偶然だ。

 後ろめたさを感じる必要はない。

 ひとつ隣の横断歩道で青信号が点滅する。誰かが「早く決断しろ」と急かしている気がした。

 橙弥は何も言わずに、少しだけ驚いた顔で信号の色が変わるのを待っている。「何この爆発?」と言いたそうだ。

 ――今あった偶然を橙弥に話してみよう。

 そして適当な事をしゃべりながら家に帰ろう。それが一番違和感がないはずだ。

 なんとなく、喉に魚の小骨が刺さった様な気持ち悪い突っかかりを感じながらも、アカシはそう結論を出した。思えば、それ以外に選択肢なんてなかった気もする。自分はいったい何を考え込んでいたのだろう。

 信号が青に変わって橙弥が駆け寄ってくる。

「アカシ、見たか今の? 俺、なんで爆発したのか全然わかんなかったんだけど」

「見てたけど、よくわかんない。でもめっちゃビビったよ。たまたま僕が独り言で『弾けろ』って言った瞬間――う」

 いきなりアカシの顔に何かがかかった。反射的に目を瞑っていたから痛みはない。だけど、確信にも似た恐怖で、目を開けることはできなかった。

「と、橙弥」

 彼の名を呼ぶ。

 目の前に居た橙弥からは、返事どころか、呼吸音すらも返ってこない。

 絶対にあり得ないはずなのに、目を開いた先にある景色を想像できた。

 ――絶対にあり得ない。

 (絶対にあり得ない)

「絶対にあり得ない」

 死ねと言ってもヒトは死なない。

 消えろと言っても汚れは消えない。

 より良い国づくりをと言っても良い国はできない。

 そういうのと同じ。

 いいわけするみたいに、アカシは必死に考える。

 ――僕の顔にかかったのはきっとカラスの糞だ。

 ――橙弥が息を殺して返事を返せないのは、必死で笑いを堪えているからだ。

 きっとそうだ。その方がアカシの想像よりずっと現実的だ。現実で生きているんだから、現実的なものが一番正しいはずなんだ。だから目を開くことは恐れるような事じゃない。心臓の中から誰かが出てきて、「ここから出せ」と、肋骨の檻を内側から叩いている感じがする。ガンガンガンガン頭で響く。そんなものは無視だ。あり得ない。

 目元を拭って瞼をあけた。

「は。う……」

 上半身のなくなった人間が、その場に倒れ込むところだった。



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