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POPフラワー  作者: 憂木冷
1/9

小石を蹴る



 道路は中心が、少しだけ盛り上がっている。

 ほんの少し。

 特に意識しなければ気が付かないくらい。側溝に向けて。物語が悲劇に向かうときのような急転直下ではなく、なだらかに盛り上がっている。

 古谷ふるやアカシは、できるだけゆっくりと歩いた。心臓が慌てないように、緩い歩調で、夜中の町を歩いた。

 横断歩道で足を止める。赤い信号が青に変わっても、アクセルを踏む者はいなかった。ひとつ渡ってまた止まる。五つの道が交差してできた五叉路ごさろは、横断歩道が円を描くように並んでいる。少しずつ中心が盛り上がった道路が五本交差する場所は、東京ドームの一番上をほんの少しだけ切り取ったみたいに、平面とほとんど変わらないような丘を作っていた。

 あまりに車が通らないから、その場所にワイングラスのタワーを造って、シャンパンを注ぐを想像してみた。なかなか滑稽だ。広い五叉路に場違いで高級なシャンパンタワー。車のキーが抜かれる時間だけの、秘密で賑やかな舞踏会。そんな楽しげで、少し不思議な場所が、もっと気軽に世の中にあればいいのになと思った。

 少しだけ遠くの空を見る。建物で埋め尽くされた町の中で、ほかよりも開けたこの場所の空は、ほかよりも少しだけよく見渡せた。今は、ずっと遠くを見ていたい気分だった。遠くて、自分がちっぽけに思えるくらい広いものを見ていたかった。

 たとえば、どこまでも膨れ上がる広大な妄想とか。

 たとえば、見えているのか見えていないのかさえよくわからない宇宙の果てとかを。

 ちっぽけだな――と思う。

 自分の事をすごくちっぽけだと思う。それなのにどうして、自分の感情とは、自分にとってこんなにおおごとなのだろう。胸の内側じゃ収めきれない。きっとヒトは体よりも感情の方がずっと大きい。

 昼間のことを思い出す。

 もしかしたら、僕たちの持っていたほんの些細な――願い事とも言えないような望みは叶わないのかもしれない。校舎裏の、つぼみの桜と枯れた花壇の前で聞かされた一言に、アカシはそんなことを思う。

「私は猫なの。これから箱に入って蓋を閉じられる」

 彼女の言葉が、ずっとそこで囁かれているみたいに自然に思い出せた。

「でもね。私がこの桜を見ることができる未来は、半分よりもずっと少ない」

 箱に入った猫――それはシュレディンガーの猫を暗示しているのだろうな、とアカシは察した。箱と猫で、それ以外に連想できるものが、捨て猫くらいしかなかったのだ。捨て猫はいつだってずぶ濡れだ。路上には、刹那的な同情の雨が降り注ぐ。しとしとと寂しさに耐えうずくまる。

 だけどアカシから見て彼女は、ずぶ濡れとは言えなかった。強いて言うなら泥だらけ。

 シュレディンガーの猫は、物理学的な思考実験のひとつではあるけれど、彼女の言いたいことはもっと単純な命題なのだと思う。

 物理や化学の命題じゃない。

「三人で花見、したかったね」

 ひとりの命の問題。

 半年も前から、この桜の下の花壇の淵が、古谷アカシの昼休みの居場所になっていた。古谷アカシと、猫の少女と、もうひとりの少年の。

 ――春になったらここで花見をしよう。

 それは特別なことではなかった。春になれば、自然とそうなるはずで、だからそれは本当に些細な約束のはずだった。

 張りつめて、張り裂けそうな胸に、誰もいない路上で「落ち着け」と呟く。その声は、炭酸みたいに、少しだけ喉に違和感を残してシュワッと消えた。

 何かに八つ当たりしたい気分だった。

 この痛みを肩代わりしてほしいと、身勝手に思う。張りつめたこの胸の代わりに、風船を割るみたいに、思い切り、清々しく、なんでも良いから弾け飛べばいいと思う。

 ――そう。たとえば、それが花火とかだったら最高だ。

 大空で、たった一回のチャンスを――役目を――失敗することを恐れず、いつでも全力の爆発を咲かせる。とても清々しくてきれいだ。きっとあれは、この世でもっとも清々しいもののひとつに数えていいのだと思う。

 花が美しいのは儚いからで――花が美しいのは短い命を全力で燃やすからで――花が美しいのはすぐに散ってしまうからだと言うのなら、一瞬で咲いて一瞬で散る花火は、世界のどんな花よりも美しいのかもしれない。

「そのくらいの願い、なんで無償で叶わないんだよ」

 足下の小石を蹴る。

 つまらない音を立てて、斜め右の方に転がった。

 普段なら言わない、でもたぶん本音だった。

 だけど、突然町中で特大の花火が打ち上がるというのは、あまり現実的には起こりえない。

 だから本当に、八つ当たりみたいに、気紛れに。五叉路の真ん中の、少しだけ盛り上がったドームの頂点を見つめて。

「弾けろ」

 小さく呟いた瞬間。

 道路は地中から土とコンクリートをまき散らし、まるで地面から塔が飛び出す様に、信号機の高さを越える噴煙を立ち上げて爆発した。



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