第九話 乙女の常識
「お母様、あまり無茶をされませんよう」
と言うリノの良く解らないお休みの挨拶に眉を顰める。
「姉さん、それは無理だと思うよ?」
「それはわかっているけど、そう言いたかったのよ」
ティーラの突っ込みにそう言い返したリノの言葉を聞き、更に眉を顰めた。
「良く解んねえけど、お前ら母親に向かって失礼じゃないか?」
「事実だから仕方が無いね、いちる。リノ、ティーラ、後は頼むよ」
「はい」
「ちょっと、ヴィー、何ですか」
「いちる、部屋に戻るよ?」
「いえ、子供の躾をですね」
「大丈夫だよ。家の子達は皆良い子だからね」
「何か、ヴィーがそう言うと別の意味に聞こえるのは気のせいですかね?」
「やだなあ、それは誤解だよ、いちる」
「誤解……、ですかねえ?」
そんな事を言いつつ、お休みと挨拶をして部屋に戻った。
ヤールさんが煎れてくれたお茶を飲みながら、デザートの焼き菓子を堪能しているとヴィーがニコニコ笑いながら見てるのに気付いた。
「……あげませんよ?」
「取り上げないよ」
「奪う気ですか!?」
「どうしてそうなるかな。いちるから食べ物取り上げる訳が無いだろう?」
「本当ですかねえ?ヴィーは横から掻っ攫って行くのが巧いですからね」
「そうかな?」
「自覚無しですか。まあいいですけど」
手に持っていた焼き菓子を口に入れ、もっしゃもっしゃと咀嚼していると、ヴィーが笑みを消して私を見つめて来る。何か、寿命縮まった気がするんですけど。
「さっきから何ですか」
「いちる」
「はい」
「旅に出ようか」
「…………はい?」
「世界一周の旅って訳には行かないだろうけど。冒険の旅くらいなら、出られるから」
そう言ったヴィーを、信じられない物でも見たかのように凝視してた私は、慌てて口の中の物を咀嚼してお茶で流し込んだ。
「あの……、けど、いいんですか?」
「何が?」
「だ、だって、ヴィーは一応まだ王位継承権持ってるし、それにコルディックは」
「ああ、継承権なら放棄した。コルディックは」
「放棄っ!?え、あの、それ、いいんですか!?」
「いいよ。兄上は渋い顔をしていたけどね」
「そりゃしますよ、当たり前ですよ。だって」
「いちる」
いきなり何言い出すんだコイツと、眉を顰めながらそう言うと興奮している私を宥めるようにヴィーが名を呼ぶ。
「その覚悟があると兄上にお伝えした上で、好きな事をやらせて貰う事にしたんだから」
真剣な顔をしたヴィーの、空色の瞳をじいいいいっと見ていたら、いつものように誤魔化そうともせずにヴィーもじっと私を見つめていた。
「……リュクレースが大事じゃないんですか」
「大切だ。他の何にも勝る」
「なのに、放棄するんですか」
「そうだ」
初めて、真剣な眼をしたヴィーと向かい合った気がする。
「この国を出て、周辺国の更に向こうへ行きたいんだ。他国の情勢を知りたい」
「……いいんですか、それで?」
「ああ」
ってえ事は、大陸戦争が来るのが先か、それとも大航海時代がやって来るかって頃かな?ま、どっちにしてもそん時やれる事をやるって事だな。
何となく、クツリと笑ってしまった。
「で、それに一緒に着いて来いと」
「あれ?嫌だった?」
「ははは、噛り付いてでも一緒に行きますよ」
「そう言ってくれると思ったよ、いちる」
「当然です。命尽きるその時までしがみ付いて離れませんから」
離れる事なんて、考えた事が無い。
ずっと、胸張って隣に並びたいって、そう願っているから。
「命が尽きても離れないかもしれません」
「……死体を連れ歩くのも面白いかもしれないね?」
「あ、でもゾンビになったら動きが鈍くなるんですよ」
「……何、それ?」
「お約束です。んで、食欲のみが残ってて、噛り付かれたらその人もゾンビになるんですよ」
「へえ、そんな事になるのか。じゃあ二人でゾンビになれば問題ないね」
「じゃあ、腐り落ちて動けなくなるその時まで?」
「……共に」
ゾンビになっても一緒にいようと、軽く笑って答えてくれるヴィーが好きだ。
相変わらず、別の世界の者同士なんだって事なんて、大した問題じゃないと言われてる気がする。
「さて。いちる、お風呂に入ったら修練服に着替えて待機」
「はいっ」
自室へ戻り、言われた通りもう一度お風呂に入ってから、黒騎士の修練服に着替える。
もう、身体に馴染み過ぎた黒騎士修練服は、色んな思い出が詰まってる。初めてこれを着た日の事を今でも覚えてるくらい、産まれて初めて『完敗』って意味を知った日だった。
何となく懐かしい気分になりながら部屋へ戻れば、そこにリクト隊長がいらっしゃるではありませんか。
リクト隊長はリュクレース人特有の色白なのに、ちんこ黒い人だ。
前に、黒騎士の風呂場に『爆竹砂』をばら撒いた事があって、そん時運悪くリクト隊長が戻ってたんだよなあ。イルクと二人で隠れて見てたら、風呂場にリクト隊長が入って行くのが見えて速攻逃げたんだけど。
真っ裸のリクト隊長が立ち塞がってさ、思わずちんこに目が釘付けになったら側頭部に遠慮のない蹴りが入ったんだよねえ。もっとこう、手加減ってもんを覚えた方が良いと思うんだ。
「今、何を思い出してたのかなあ?」
「え?えーっと、な、ナニ、ですかねえ?」
にーっこり笑って聞いて来たリクト隊長に、ガスッとチョップ喰らいつつ。
「俺だと認識した瞬間に股間を凝視するってどうなんだ、いちる」
「それが乙女の常識ですが何か?」
「ホント、徹底して変わらないねえ、いちるは」
そう言って笑いながら頭を撫でられた。
「エルヴィエント様、準備は滞りなく終了しました」
「助かったよ」
「……あの、本当にいちるだけを連れて行くおつもりですか?」
「そうだよ?」
「……我々は、……」
そう言ったきり、黙ってしまったリクト隊長の袖を握ってみる。肩に手を乗せる所なんだろうけど、それをやるには私が背伸びをするって言う、格好悪い事になるからね。
「そんなに私と別れるのが寂しいですか、リクト隊長」
「いちるじゃない」
「うわ……、即答した上否定して来るとはっ!やるな、お主!」
「……なんでお前なんだろうなあ、本当」
「そりゃ妻の特権です。精々指咥えて涎垂らしながら羨ましがってれば良いですよ!」
バシッと後頭部を叩かれるのはいつもの事で。
「リクト隊長って、オーラン先輩より突っ込み早いですよね」
「……一応、これでも隊長だからね」
「ははは、第二隊ってリクト隊長に合ってますよね、陰でコソコソ動く辺りが」
「はあ……。あの、本当にこれでいいんですか?」
「勿論だよ」
「リクト隊長、大丈夫ですよ。私だってちゃんと成長してますから!」
得意気にそう言った私をしげしげと見下ろし、溜息を吐き出すのもお約束。
「ってか、第二隊が出たって何させてるんです?」
「攪乱だよ」
「各地方から一斉にリドルに乗った二人組が出て、色んな所に向かって走り抜けていくんだよ」
「あー、なるほどー。ってえ事は、ヴィーと私の出発は内緒なんですね?」
微笑みで返して来たヴィーと、不安そうな顔で私を見て来るリクト隊長に、にかっと笑って答えた。
「追って来るのは第一隊で間違いなしですか?」
「そうだよ。捕まったら出国できないからね?」
肯定したヴィーの言葉に、満面の笑みを浮かべる。
だって、第一隊と追いかけっこだなんてすっげえ楽しそうじゃないですか。
「何としても逃げ切らないと」
ニヤリと笑いながらそう言えば、ヴィーもニヤリと笑って返してくれた。リクト隊長は一人不満気な顔してるけど、これはこれで良い物見た気がする。
「リクト。ありがとう」
「……無事のお戻りを」
今更ながらに思ったんだけど、何で黒騎士一期生共はこんなにヴィーに心酔してんだろ?いや、強いってのは勿論あるけど、そういやその辺、聞いた事無かったなあ?
「リクト隊長って、何でそこまでヴィーに肩入れしてんですか?」
わからなかったら聞く。これ基本。
「そうだなあ、愛してるからかなあ?」
にーっこり笑ってそう返して来たリクト隊長に半歩後ろに下がりながら眉を顰め、ヴィーへと視線を移せば、こっちはこっちでやっぱりにーっこり笑ってた。
ええええええええ。
「あの、え?」
「だからいちるムカつく」
「えええええ?え、でも駄目です、隣は譲りません!」
「後ろでもいいよ?」
か、からかわれてるって事くらいは分かってるんですが、何て言うか、リクト隊長って何処まで本気なのか良く解んない所がある人で。
「あの、それ、見学する事は可能ですかね?」
そう言ったらヴィーに後頭部をバシッと叩かれ、リクト隊長には再びチョップされ。
「普通止めるよね?」
「いちるは俺をどう思ってるのかなあ?」
「え?いや、色んな愛があってもいいかなって」
そんな莫迦なやり取りを済ませ、リクト隊長が先に部屋を出て行き。
「さて。そろそろ時間だ」
頷いて返した後姿消しの魔法を使ってそっと部屋を出た。
魔光石が廊下を照らす中、二人で天井を這うように駆け抜ける。リドルの厩舎まで来ればそこにいたのはラント団長とヤールさんで。
「お気を付けて」
「ああ。後を頼む」
「お任せ下さい」
そんな短いやり取りの後、私の前に聳え立ったラント団長を見上げ。
「いちる。いいか?楽しそうな事があっても飛び出しちゃ駄目だぞ?面白そうだからって理由で知らない人に着いて行っても駄目だ。美味そうだからってやたらと買い食いし過ぎるなよ?それから」
「どんだけ注意事項あるんですかっ!」
「……お前はエルヴィエント様と一緒に行くんだ、それを忘れるなよ?」
そんな風に、ラント団長にまで真剣に言われながら。
リドルごとヴィーの魔法で空に浮き、そのままコルディックを後にした。
序章 終