第五話 良い歳していつまでもイチャついてんじゃねえっ!(by作者)
「何があったのかな?」
「え?何がですか?」
訓練を受けたグルードはそりゃあもう楽しそうに、嬉しそうにリノとガレム君に報告しまくって、夕食を摂りながらコクリコクリと眠り始めてしまい、リノ達は早々に部屋へと引き上げて行った。
じゃあ私達もといつもより早めにお風呂を済ませた後ベッドに潜り込むと同時に、ヴィーがそう聞いて来た。
「……いちる。どうしたんだ?」
「え……っと、別に何も、無かったですけど」
とぼけるってより、正直どう話せば良いのかわからなくて。
黙り込んでいたら抱き込まれて頭を撫でられる。
「……甘やかされたら泣きますよ?」
「いいよ」
「…………涙と鼻水と涎でベタベタになりますよ?」
「いいよ」
だから、遠慮なくしがみ付いて思い切り泣いた。
大公妃殿下が亡くなる時、勿論全員に言葉があったんだけど、最期に私の手を握りながら「楽しかったわ、ありがとう」って言ってくれたんだ。私も楽しかったですって答えたら、笑ってくれて。
そうして息を引き取った。
お母さんと同じに、微笑みながら逝ってしまった。
「ずっと……、何でここにいるんだろう、何で私必死になってこんな事してんだろう、何で私がって……」
しがみ付いて無きゃ居場所がなくなるんじゃないかって、不安だったのかもしれない。
それを誤魔化し続けてきた気がする。
「私、黒騎士になれなきゃここにいられなくなるって、そう思って……」
何処にも行き場が無くて、反乱組織何て引き連れて。頼られるままに荒らして回って逃げ回って。それでも、そこが私の居場所だったから必死だった。
あの頃は、真ん丸の月を見上げながら帰りたいって何度も思ってた。
来た時と同じように、何処かの角を曲がれば帰る事が出来るかもしれないなんて考えてたし、何かの間違いで来ちゃったから直ぐに帰る事が出来るだろうとも考えてた。
神様が間違いに気付いてくれるって、そんな風に思ってたから。
黒騎士に捕まって処刑されるって聞いた時は、ああ、やっぱり神様に気付いて貰えなかったかと、残念に思ってた。
それでも、こっちに来てフラグニルに出会って、魔法なんて物を使えるようになった事は嬉しかったし楽しかったけど。やってた事は強盗だったから、諦めもあった。
だから、言いたい事言わせて貰えてすっきりしたんだ。
神様はいないって思ってたけど、神様みたいなヴィーに出会えて拾って貰って。
『黒騎士』って言う居場所を貰えて嬉しくて。
だから、本当に必死にしがみ付いて来たんだ。
「……動けなくなった今、また居場所がなくなった気がして、余計に動けなくなってます」
良い歳したおばあちゃんが、夫にしがみ付いて泣きまくって愚痴ってるなんて笑っちゃう。笑っちゃうけど、私はこれでも必死なんです。
「なあ、いちる」
「……はい」
ずっと黙って泣きながら喋り続ける私の頭を撫で、ナイトウエアの胸元を私の涙と鼻水と涎でべしゃべしゃにしたヴィーが、ぎゅっと私を抱き締めて来た。
「いちるの居場所は、俺の隣じゃ不服なのかな?」
「………………はい?」
「ちゃんと言ったはずだけどな。『僕の傍で幸せになるといいよ』って」
ヴィーの言葉に暫し固まり、そういや結婚する時にそんな事を言われた事を思い出す。
「黒騎士続けたいって言うから許可したけど、別にそこを居場所にして欲しい訳じゃないよ。いちるが望むならどんな居場所も作ってあげられるけどね」
「いや……、あの……」
「だけど、俺の視界に入らない所は駄目。いちるは俺の傍にいると良いよ」
何でこう私の夫は格好良いんでしょうね?ヤバイ、惚れ直す。
「いちるは、あの裁判の時に初めて会ったと思ってるみたいだけど、その前から会ってるんだよ」
「……え?何処でですか?」
「最初に……、ラントが保護して来た時に」
あの時なら、骨と皮だけの老婆だと思われてた頃じゃなかろうか。
え、そんな姿を見られてたとか結構ショックなんですが。
「いちるはずっと眠っていたからね。知らないのも無理はないけど」
「…………あの、私、あの頃は」
「綺麗な黒髪に惹かれたんだよ。眉毛も睫毛も黒いし、なんて綺麗なんだろうって」
「そ、それをヴィーが言いますかっ!?私何て朝起きる度にそう思ってましたけど!?」
「そうだね、毎朝言っていたね」
「今じゃ随分慣れましたけど、それでもやっぱり毎朝綺麗だなって思いますよ」
リュクレースの至宝に綺麗って言われると、何だかガックリと来てしまうのは何故なのか。別に自分を卑下する訳じゃないけど、それでもヴィーには言われたくないって言うか。
「俺も、朝起きて視界に入るいちるの髪を、綺麗だと思うけどね?」
「うがあああ、止めましょう、この話題。何か色々居た堪れないですっ!」
色んな気持ちがごちゃまぜになって、ヴィーにしがみ付きながらそう言うとヴィーはくすくすと笑いながら「残念」なんて答えて来る。
くそ、余裕ぶりやがって。
「いちる、愛してるよ」
そう言ったヴィーを見上げながら、この人には本当に敵わないなあと思う。
「いつか……、いつかヴィーがおっさん顔になっても、やっぱりモテてるんでしょうね」
「そうかな?その頃には向こうも飽きているよ」
「でもヴィーなら色気のあるおっさんになる気がします」
「んー、まあでも、その時はいちるが追い払ってくれるだろ?」
「何で私ですか」
「あれ、駄目か。仕方が無い、自分で追い払うよ」
「…………やっぱり私が追い払います」
「そう?」
そう言ってクスクスと笑うヴィーに、何だかまた上手く転がされた気がした。
「あ。ヴィー、着替えましょう」
「ん?ああ、これか」
「私の涙と鼻水と涎でべしょべしょですからね。さ、脱いで下さい」
「脱がせてくれるかな?」
そう言って笑ったヴィーに、とんでもないくらいにドキドキしてしまった。
固まる私に声を上げて笑いながらキスをした後、ナイトウエアを脱ぎ捨てるのをじっと見てしまう。何だろう、やっぱりヴィーって凄く綺麗だ。
「何故でしょうね……、やっぱりヴィーって何かこう、思わず汚したくなりますよね?」
「ん?」
「綺麗過ぎるから汚したくなると言う、本能?」
その言葉にクスクスと笑いながら仰向けに寝そべる。
そうして私に両手を広げて見せた。
「……どうぞ?」
何だよ一人で余裕ぶっておかしいだろっつうか何でそんなに綺麗なんだよ整い過ぎてんじゃねえよ何それちょっとわけろよこん畜生とか、色んな気持ちが一瞬で駆け巡り。
「くわああああああっ!」
訳の分からない雄叫びを上げてヴィーに覆い被さった。
難なく抱き留めるのもムカつくし、余裕で笑ってるのもムカつくし、どうぞ?なんて言っちゃうその余裕もムカつくし。
「偶には必死にしがみ付いてみっともなく泣き喚けばいいのに」
「そうだなあ……、いちるが消えたらそうなるかな?」
その言葉に、ヴィーの胸元から顔を上げてじっと見つめると、ヴィーも見返して来る。
「だから、俺の傍にいてくれ、いちる」
「……いますよ、ずっと。必死にしがみ付いてみっともなく泣き喚きながら」
ヴィーの左手が私の右頬に当てられ、優しく撫でられる。
「いちるは……、黒騎士でいたい?」
「そりゃあ、憧れでもありますから。でも今はもう少し、時間が欲しいです」
「うん……、いいんじゃないかな?」
「そうでしょうか?今は、胸張って『黒騎士だ』って名乗れないです、私」
「……じゃあ、休憩しようか」
ヴィーの言葉の意味が解らなくて戸惑いながらじっと見つめていたら、ヴィーが軽く微笑んで見せる。
「溜まってる休暇を取ろうかって話しだよ。どうかな?」
「えっと、今現在休暇を貰ってる最中だと思うんですが」
「いちる、休暇と言うのはね、身体も心も解放する為にあるんだよ。今のいちるは黒騎士に縛られているだろう?」
……確かに。
だって、ここで生きて行く術が黒騎士だけだって思ってたから。
「黒騎士じゃなくていいんだ。俺の傍にいてくれ、いちる」
ヴィーにしがみ付き、また泣いてしまった。
この世界に、たった独りで立っていた気がしたけど。
今やっと、隣にヴィーがいる事に気付いた気がする。
「私、ちゃんと見てなかったです」
「いちるは何時だって前しか見てないからね」
「む……、た、偶に振り返ります」
「違うよ、偶に隣を見ると良いんだよ」
そっか。
隣を見れば良かったのか。
ずっと、後ろから見守ってくれたジグルドおじいちゃん、大公殿下、大公妃殿下がいなくなっちゃって、途方に暮れてた。置いて行かれたような気がして、必死に探してた気がする。
……なんだ、そっか。
「俺は、いつでもいちると共に在るよ」
「……私も、共に」
ホント、敵わないよ。
遥か彼方に見えてたヴィーの背中を追い掛けてた気がするのに。
「…………どうしてこうなるかな?」
「ムカつくからですよ」
半裸の胸元から顔を上げて両頬を摘まんでやったら、笑うヴィーにさらに悔しくなるって言う。
「どうしてこう、何年経っても追い抜けないんでしょうかねえ」
「そりゃあ、追い越されないように必死だからだよ」
「……偶に手を抜いてくれてもいいですよ?」
「いいよ」
余裕ぶったその言い方にムカッとして、目尻と口端を摘まんで変顔を作る。
予想以上に変顔になったヴィーに、ぶはっと吹き出して思い切り、遠慮なく笑ってやった。笑いながらヴィーの隣に転がって、笑えた事に嬉しくなる。
「……そういや、イルクとヒュウを留守番にしたのは変な気を回したからですかね?」
そう聞いてみるとヴィーが身体を起こして上から覆い被さり、綺麗な顔で見下ろして来る。
「あの二人なら、いちるが気を張らなくても良いからね」
「……なるほど。お見通しって奴ですか」
「まあね。夫としては微妙な気持ちになるけど」
「あー……、アイツらには仲間意識しかないですよ」
「そうだね。王都から戻るまでにいちるが回復していなかったって事は、あの二人では駄目だったと言う事だろうね」
「そりゃあ……、泣き付けませんから」
確かにイルクには背中を預ける事が出来るくらい信用してるし、ヒュウに対しては何となく、家族みたいな感覚があるけど。
でも、アイツらの前で泣く事は出来ない。
「じゃあ、俺だけがいちるの泣き顔を知ってるって事だな」
落ちてきた優しいキスを受け止めながら、やっぱり私、ヴィーの事好きだなあと改めて思った。