第一話 落ち込んでいます
ジグルドおじいちゃんが亡くなり、大公殿下が亡くなり、大公妃殿下が亡くなった時、随分気落ちしてしまったのはやっぱり、こっちに来て私の家族になってくれた人達の死が悲しかったから。
勿論、ヴィーと結婚して家族になったし、幸い子供も三人も産まれて来てくれたけど。
「……かぐや姫は見えた?」
屋根の上でお酒を飲んでいたらヴィーが隣に腰を下ろしながらそんな事を言って来た。
「かぐや姫って、幸せに暮らしたんですかねえ?」
「物語はみんな『めでたしめでたし』じゃなかった?」
「でもかぐや姫って人を殺して逃げてった女だし」
「直接手を下した訳じゃないけどね」
「美人ってだけで許されるのがあんまりですよ」
クスクスと笑いながらそんな話しをしながら、互いにお酒を注いで口に運んでた。
「こっちの物語も割と殺伐としてますよね」
「まあそうだね。悪い事をすれば相応の罰が当たるってのは、子供に言い聞かせる常套句だからね」
「まあ、確かにそうですけど」
リヴィが産まれてから日本の童話と童謡を聞かせていたら、割と受けたんだよね。童話は色々と改変されて絵本になってるし、童謡も何となく伝わってるっぽい。まあ、こっちの言葉に意訳されてるけど、それは当然なんだろうなと思う。
「リヴィは小さな頃はまだ王城にいたから、いちるが聞かせた物語を皆が知らない事とか、歌を知らない事を不思議がっていたね」
屋根の上にゴロリと転がって真ん丸の月を見上げると、ヴィーも隣に転がった。
「……こっちの物語も面白いですよ?アクジェヴィエルラルとオリヴィエの恋物語とか」
「一瞬だけの邂逅で満足できるなんてね」
「ヴィーは無理ですよねえ」
「……俺だけか?」
からかうように言うと、ヴィーは顔を上げて私の顔を見下ろしてにやりと笑いながらそう言って来た。
相変わらずすべっすべの肌だし、衰えって物を知らんのかっ!と殴りたくなる綺麗な顔に手を伸ばす。片手で頬を撫でながら、むにっと頬肉を引っ張ってやった。
「……この変顔のままキスするぞ」
「ふふふ、そういや、ヴィーに鼻毛書いてやった事ありましたね」
「あー……、あれは本当に油断していたよ」
こっちの世界でもペンのインクは黒かったので、そのインクで鼻毛を書いてやったのだ。
リュクレースの至宝とまで言われるあの綺麗な顔に、黒い鼻毛が書かれているのを想像して欲しい。あの時のヤールさんの何とも言えない顔が最高におかしくて、おかしくて。
しかもヴィーったらノリノリでそのまま仕事に行っちゃったんだよねえ。
ヴィーの顔を見た人達のあの慌てっぷりとか、ヴィーと私の顔を交互に見るあの速さとか。まあ、ラント団長に見付かった時に拳骨されて蹴られたんですがね。
「ヴィーは鏡を見た途端に思いっきり笑ってましたよね」
「あれ、本当に気付かなかったからね。産まれて初めて『敗けた』と思ったんだよ」
「あら?じゃあ私、ヴィーに勝利してたんですか?」
「そうだね……。いちるには何時だって負けてるさ」
そう言ったヴィーと、唇を重ね合わせる。
結婚して、もう何十年と一緒にいるってのに飽きずにいられるってのは凄い事なんじゃないかと思う。
「……結婚前、あんなにたくさん浮名を流したのって、やっぱりフェイクでしたか」
「やっぱりって?」
「あれ、悪さしてた奴らを捕まえる為だったですよねって事ですよ」
「…………さあ、どうだろうね?」
クスクスと笑うヴィーに、やっぱりコイツは食えない男だよと思う。
「憶測ですけど。ヴィーが本当にお付き合いしたのって、結婚の話が出た方だけじゃないですか?」
「……まあ、そうだね」
「遊んで捨てたと思われてる女の人は、情報引き出して相手にもしなかったんでしょう?んで、相手の方がそれを屈辱と受け取って裸で突進して来たって事ですよね」
ヴィーはにやっと笑った後、軽く溜息を吐きながらごろりと転がった。
いつも上手くはぐらかされるので、ここぞとばかりに追い詰める為に、ヴィーに覆い被さり上から見下ろし。
「……いちるの夫は結婚前モテていたんだよ」
「今でもですよ。そんな事より、ヴィーの女性遍歴の話です。あれは女性の自爆で広がった噂も入ってますよね?」
「そんなに気になる?」
「なりますねえ。今現在リヴィが同じ目に遭ってるみたいですからね」
「ああ、確かに」
王太子の近衛隊長として王都に行ってしまったリヴィの噂が聞こえて来たと思ったら、数々の女性を弄ぶ極悪人のような言われっぷりって言う。
「……女ってのは業が深い生き物なんですよねえ。相手にもされないってのはプライドが許さなくて、弄ばれたって事にしたくなるみたいですよ?」
「そうだね」
「まあ、ヴィーの過去に付いてもそんなに気にしてた訳じゃなかったんですけど。いざ自分の子供に同じ噂が出回ると、色々心配になりまして」
我が子ながら王太子の近衛隊の制服が凄く似合ってるからなあ。何かもう三割増し良い男に見えるって言うかさ。
「リヴィは最初から相手にしていないみたいだけどね」
「そこですよ。全く、ティーラのように上手くあしらえばいいのに。いや、ティーラも大概にしとけやこの野郎って思いますよ、勿論」
「やれやれ。家の子供達できちんとした倫理観があるのはリノだけか」
「本っっっ当に良かったですよ。まあリノの場合、後ろにいる父親が恐ろし過ぎたってのがあったみたいですけどね」
「あれ?俺かな?」
「当たり前ですよ。リノに言い寄ろうとした男の人には必ず睨み効かせてたくせに」
「ははは、相手の人と成りが気になるのは親として当然だろう?それに、いちるだってリノの時は暗躍してただろう?」
「やだな人聞きの悪い。何となく徹底的にガレム君の事を調べ上げただけですよ」
リノの場合は結局、似たような内面の方に出会った事でそのまま結婚に至ったけど。
ヴィーが陰に日向に睨み効かせても、黒騎士が悪乗りして暗躍しても、すげえ身綺麗な本当に普通の人だったからなあ。と言うか、物凄く誠実な人だと思ったな。
ま、だからこそヴィーが結婚認めたんだろうけどさ。
「……リヴィは、変な噂に惑わされない女性じゃないと周りに潰されそうですね」
「女性は恐ろしいね」
「……それは、私含むって事ですかね?」
「そうだね、いちるがこの世で一番恐ろしいね?」
笑いながらそう言うヴィーを軽く睨み降ろした後、何だとこの野郎と高い鼻に噛み付いた。クスクスと笑いながら再び唇を重ね合わせ、ヴィーと一緒に身体を起こす。
「……ティーラ、黙って酒を飲むのは泥棒だぞ」
「スミマセン、両親の邪魔をしてはいけないと思って気を使ってみました」
「しれっと嘯く事が出来る所が母さんは心配です」
「確かに僕は心配を掛けてばかりですね。不肖の息子で申し訳ありません」
ティーラは何かもう、しれっとこう言う事が出来るもんで何となく悔しくなってバシッと頭を叩いてしまった。
「酷いですね、母さん」
「黙れミニヴィーめ。全く、あんなに可愛かったのに何でこんな腹黒に成長したんだか」
「あれ?可愛さはまだまだあると思ってますけど?」
「ねえよ!」
即ツッコミを入れれば、ヴィーもティーラもクスクスと笑い出す。
全く本当にそっくりだよ。
「兄さんが今度は三人の女性を一度に弄んで捨てたそうですよ?」
その言葉にヴィーと顔を見合わせ、溜息を吐き出した。
「またか」
「まあ、前の時は七人同時でしたから今回は可愛い方では?」
「……また面倒な事に」
「どうして女性は弄ばれた悲劇のヒロインが好きなんでしょうね?」
「自分は悪くないって思えるからじゃないかな?」
「でも、好きになった人を傷付けてるだけじゃないですか」
「そこに気が付けるなら、最初からこんな事言わないさ」
「可哀想な私って奴ですか。誰も同情しませんよね?」
「莫迦な奴は引っ掛かるだろう?」
「ああ、似た者同士でくっ付いてくれるなら放っておいた方が良いですね」
実はリヴィには、結婚を考えているお嬢さんがいる。
白騎士として従事しているお嬢さんで、とても可愛らしいんだけど。たぶん、その話がどっかでバレタのかもしれないと思っている。最近のリヴィの悪評は凄いもんで、まあ、一時期のヴィー程じゃないけどそれはもう酷過ぎる。
「そろそろ、脅しといた方が良さそうですかねえ?」
ぼそりと呟けば、ヴィーとティーラがマジマジと私の顔を眺めて来た。
「何です?」
「いや……、あー、程々にね?」
「母さん、兄さんなら放っておいても大丈夫だと思うよ?」
「リヴィはね。相手のお嬢さんの為にちょっとね」
「ああ……、確かにそっちは手薄かな?」
「と言うか、たぶん想像を絶する嫌がらせの数々かなあ?」
「されてるよね、確実にさ」
そうして三人で顔を見合わせ、盛大に溜息を吐きまくった。
まったく、何故大人しく身を引く事が出来んのかねえ。当たって砕けたならそのまま散れよ、面倒くさい。
「何だろうなあ、動物の死体が届いてたりするかな?」
「舞踏会でドレスにお酒って言うのは当然でしょうね」
「ヒールで足を踏まれるだろうし、わざとぶつかられるのもしょっちゅうだろうねえ」
「ドレスの裾を踏まれたり?」
「見えない所で切られてたりするかもねえ」
「まさか、直接危害を加えられていたりは」
「するんじゃないかな?まあでも、白騎士で訓練受けてるなら対処の仕方ぐらいは身に付いてると思うけどね」
そうして、もう一度三人で顔を見合わせ溜息を吐き出してから、互いのグラスに酒を注ぎ合った。
「リヴィの不器用さに」
「リヴィの単純さに」
「兄さんの真面目さに」
そうしてコップを軽く持ち上げた後、中身を一気に煽った。
「ところで、夫婦の愛を確認するなら部屋の中でお願いしますね?」
「残念。屋根の上なら開放的でいいかと思ったんだけどね」
「息子としてはちょっと微妙な気持ちになりますよ」
「ははは、誰も気にしないさ」
「黒騎士にはバレバレでしょうに」
ティーラの言葉に肩を竦めて見せれば、ヴィーがクスクスと笑う。
まあ、黒騎士なら出来て当然と見做されるんだよなあ。本当に、黒騎士になれるまでが大変だった。
「それで?どうやって叩き潰すんです?」
ニヤリと笑って聞いて来るティーラに、ニヤリと笑って答えた。
「手紙を送るだけさ」
「手紙?」
「そう。心を込めてね」
「……やっぱり、母さんが一番怖い気がしますね、僕は」
黒騎士がヴィーと一緒にコルディックに移動してからと言うもの、勘違いした莫迦共が色々と楽しくやってるようだからなあ。まあ、この辺で叩き落としておいた方が後々の為にもいいだろうし?
「ティーラ、心を込めて書いた手紙ってのは、読んだ相手が心揺さぶられるもんさ」
「恐怖で震えあがるって事ですか?」
「んな訳ねえだろ。まあ、手紙一つで改心するなら安いもんだろ?」
「……まあ、直接殴りに行かなくなっただけ、母さんも成長したのかなって思いましたけどね」
「数が多過ぎて、結局王都にいるお嬢さん全員殴らなきゃいけなくなるかもだろ?」
「ああ、それは大変だ。お嬢さん方の危機ですね」
憎まれ口を叩くティーラの頭をバシッと軽く叩いておく。
リヴィは立ち回りが上手くないからこんな問題が起こるのであって、ティーラは上手く片付けるんだろうなあと思うと、それもまた心配で。
「……なんですか」
「いや、叩き過ぎて莫迦になったかと思って」
「なら叩かないようにして下さいよ」
「叩かれないようにしろよ」
ヴィーと同じ綺麗な金色の髪をぐしゃぐしゃと撫で回しながら言い返した。
まあ、女の子達の気持ちも分かるにはわかるんだけどねえ。
「母さん」
「ん?」
「父さんも撫でて貰いたいそうですよ」
何となくわしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜるように撫でていたらティーラにそう言われてしまい、ヴィーへと視線を移せばにこっと笑った後頭を差し出して来た。
何となく苦笑しながらヴィーの頭もわしゃわしゃと撫でまくり、そろそろ寝ようかと屋根から降りた。
「おやすみ、ティーラ」
「おやすみなさい」
月を見上げる度に思う。
やっぱりここは、地球じゃないんだと。