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【長編連載】聖女は二度死ぬ ~贄の神子の復讐~  作者: 木原梨花
第一部 聖女の復讐

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第9話 生き延びるために

「ティリア様?」

 寝室の扉を開いた瞬間、声を掛けられてティリアは身体を震わせる。

 振り返るとそこにいたのは女中だった。名前は知らない。この屋敷にたくさんいる使用人たちを何という名で呼べばいいのか、半年が過ぎてもティリアは知らないままだった。

 黒いシンプルなドレスに白いエプロンをつけた女性。この屋敷で見かける女性は皆同じ格好をしているから見分けが付かない。慎重に、名前を呼ばないように気をつけながら、ティリアは振り返る。

「……何かしら?」

「いえ……どちらに行かれるんですか?」

「それは――」

 何か、自分が生き残るための情報を探しに。それが本当の理由ではあったが、決して口にすることはできない。この屋敷にいる人間は、当然だが皆フィーロの味方だ。おかしなことをしたらきっと、フィーロに筒抜けになってしまう。

 だからティリアは微笑んだ。何も考えていない少女のつもりで。

「お散歩に。フィーロ様がいらっしゃらなくて、退屈なの」

「それは……」

「構わないでしょう? お屋敷の中からは出ないから」

 無垢に微笑んで見せるものの、心臓は破裂しそうな勢いでバクバクと脈打っていた。もしも止められてしまったら、今日のこの機会を失ってしまう。怪しまれてしまったら、今後の行動が取りづらくなる。どうか、気づかずに離れて行って――祈るように微笑むティリアに、女中はしばらく迷った様子を見せてから、頷いた。

「承知いたしました。どうか、お怪我はなさいませんよう」

「お屋敷の中で怪我なんてしないわ。でも、気をつけるわね」

 ゆっくりと頭を下げる女中に背を向け、ティリアは廊下を歩き出す。どうやらどうにか誤魔化せたようだ。しかしこの調子では、どこにいっても誰かがティリアを見ているだろう。

 フィーロがいなくても長くは調査の時間を取れない。調べられるとして、二カ所……いや、一カ所で限界だろう。短時間で、最も多くの情報を得られる場所――とすれば、やはり書庫でティリアが読ませてもらえないような本を探るのが正解だろう。

 歴史――という言葉を思い出す。歴史とは、この世界で何が起こってきたのか、という記録。そこまではティリアにもわかる。そして、その積み重ねの中で、魔力の制御も、魔術の発動も、神子による儀式も――その犠牲も――定められてきたはずなのだ。

 ならば、それを知る事ができれば、その宿命から離れる術も見つかるはず。だとすれば目的とする場所はひとつ。この家の書庫だ。

 ゆったりと、できるだけ使用人たちを心配させないようにと気をつけながら、ティリアは足音を殺して廊下を歩いて行く。大きな窓から温かな日差しが差し込んで、庭に咲いている赤い花が目に入る。大きく開いた花弁は太陽の方を向いて、一心に光を浴びていた。

 ティリアの視界に入っているのは赤い花と緑の木々、青い空、白い雲。そこに人の姿も気配も何もない。思えばそれも違和感のあることだった。確かに誰かがこの屋敷で仕事をしているはずなのに、ほとんど顔を合わせることはなかった。

 できるだけ顔を合わせずに済むように、気を遣ってくれているのだろう。……あるいは、ティリアのこの先の運命を知っているから顔を見ずにいたいのか。しかしいずれにせよ、先ほどのようにティリアが許されている範囲を超える行動をすれば、再び声を掛けられる可能性は高い。それなら――

「ねえ、誰かいるかしら!」

 ティリアは声を張ってみる。この屋敷のどこに、何人の使用人がいるのかはわからないが、もしも近くに誰かがいるなら、すぐに声をかけてくれるはずだ。

 だが、誰も近づいてこない。つまり、四六時中見張っているわけではない、ということか。

 ティリアはひとつ息を吐くと、小走りで廊下を移動する。書庫の場所は覚えている。幼い頃から何度も来ている屋敷なのだ。この半年で連れて行ってもらったことはないけれど、それでも場所は忘れていなかった。

 イェツラー家と同じく、書庫は地下に作られていた。規模はあちらの方が大きいが、ゾハール家にもある程度の本は揃っているはずだ。

 少し重い扉を押して中に入る。やはり誰にも静止はされなかった。

「……急がなきゃ」

 何がどこにあるのかわからない。それでも、この機会にひとつでも多くの情報を集めなければならない。ティリアは目を閉じて意識を集中させ、自分の身体を流れる魔力に集中する。まずは、書庫に灯りをつける。窓のないこの部屋では、灯りがなければ何もできない。

「灯りよ」

 フィーロがやっていたのと同じように、呪文を唱えて魔力を解放する。しかし。

「……つかない」

 ランプは沈黙したままで、部屋は明るくならない。魔法の使い方は、簡単なものは教えてもらった。たとえば水を右のコップから左のコップへと移動させる魔法や、荷物を持ち上げる魔法や。しかし灯りをつける魔法はまだ教わってはいなかった。それでも考え方は同じはず。起こしたい事象を想像して、言霊に託して、形にする。ランプに火をつけることだって、その応用でできると思ったのだ。それなのに。

「いえ……焦っちゃだめ。焦ったら、全部台無しになる」

 もう一度目を閉じて、魔力を集中させる。昨日見たランプの灯りを脳裏にしっかりと描きながら、再び呪文を唱える。

「灯りよ!」

 ――それでも火は付かない。地下の書庫は沈黙したまま、暗闇に閉ざされている。

「ああ、だめ。諦めちゃ。こんなところで諦めたら、私は――」

「私は……なんだって?」

 背後で突然声が聞こえて、ティリアはバッと振り返る。

「……フィー、ロ……あなた、出かけたんじゃ……」

「うん、出かけたよ。で、帰ってきたんだ」

「こんなに早く……」

「はは。もしかして、首都ってずっと遠くにあると思ってた? 残念だけど、馬車で行けば小一時間で帰ってこられる。きみが期待するほど時間は稼げないんだよ。用事だって書類を渡すだけ。さほど時間がかかるようなものじゃない」

 彼の声色も、笑顔も、いつもと何も変わらなかった。――何も変わらないということが怖かった。

 フィーロがゆっくりと歩み寄って来る。ティリアは一歩、後ろに下がる。

「灯りをつけられないように、火を使う魔法を教えるのは後回しにしておいて正解だったな。まあ、元々難しい魔法だからっていうのはあるんだけど」

 一歩、また一歩と近づいてくるフィーロから、逃れるように書庫の奥へと後ずさる。しかし足元で何かが引っかかる。

「危ない!」

 転びかけたティリアは、しかし、地面に叩きつけられることはなかった。

 それより前に、フィーロがティリアを抱き上げる。

「大丈夫? 怪我はしなかった?」

「……ええ」

「それならよかった」

「あの、フィーロ――」

「きみは何を知っているの?」

 単刀直入に尋ねられ、息を呑む。いつもと同じ眼差し、同じ声色、同じ笑顔。しかし、そこに優しさは感じられなかった。

 心臓が跳ねる。口を開き、閉ざして、再び開き――けれど何の言葉も見つからず、ティリアはフィーロから目を逸らした。

「……おかしいとは思っていたんだ。どうして急に、色々なことに興味を持ち始めたんだろうって」

 彼はティリアを抱き上げたまま書庫を出る。階段を登り、大きな窓のある廊下を歩いて行く。コツ、コツ、と。フィーロの足音に交じって、彼は言葉を続ける。

「きみには不要な知識だけを与えて、満足してもらうつもりだった。知恵が付けば、自分の立場を疑問に思う日が来るだろうから。なのに」

 ぴたりと、足を止める。窓の外に赤い花が見えていた。けれどもう、花弁は閉じてうなだれている。

 強い風が窓を揺らす。

「きみは何を企んでいるの?」

「……それは、あなたでしょう?」

「俺?」

「だって、あなたは、私を――」

 殺そうとしている。その事実を、口に出来ない。呼吸が乱れる。息苦しくて、平静を保っていられない。

「……下ろして」

「だめだよ」

「下ろして! 私、ここには――」

「きみはここから離れることはできないよ」

 フィーロは再び歩き出す。彼の腕から逃れようと暴れるティリアを物ともせずに、一直線に、躊躇いもせず、元の寝室へ運ばれる。

 そうして再び逃げ場のない部屋のベッドにドサリと下ろされて――そこで初めて、フィーロの笑顔が、消えた。

「感づかれたなら、もう甘やかす理由はないな」

 わずかに口角が上がる。しかし目は、笑ってない。

「儀式の日まで、きみはこの部屋から一歩も出さない。オーブへの魔力の注入も、もうしなくて構わないよ」

 ふらりと身体を起こしたフィーロはベッドサイドのオーブを掴み、高く掲げる。

「これだけ魔力が溜まっていれば、儀式をするには十分だからね」

「……監禁する、ということ?」

「そうだね。万一逃げられたら困るから」

「そこまでして、私を殺したいの?」

 尋ねると、ゆらりとフィーロは振り返った。その瞳に色はない。ただうっすらと微笑んだ。

「死ぬことがきみの役目だからね」

 その言葉の冷たさが、ティリアの心臓をえぐっていく。

 フィーロはケテルのオーブを持ったまま、ティリアの部屋を出て行った。

 ガチャリ。

 鍵が掛かる、重い音がする。

 たった独り、逃げ出すことの出来ない部屋に残されて、ティリアは小さくうずくまる。

「どうして……」

 彼はわずかも、ティリアを哀れんだりしなかった。冷たく笑って、ティリアを殺すと告げたのだ。

 せっかく生きて戻れたのに、運命は変わらなかった。今日から半年、死んで世界を救う日まで、無為な時間が流れるのを待つしかない。

 それなら何も知らないフリをして、最後の最後まで優しくされた方がよかったのか――

 いや。

 ティリアは強く拳を握る。

「……まだ、諦めない」

 知らない世界。知らない人たち。そんなもののためにただ命を落とすなんて、受け入れない。

 ティリアはゆっくりとベッドを降りる。こんな時のために、ひとつだけ、手段を残しておいたのだ。使う日が来なければいい、と心から願いながら。

 イェツラーの家から持って来た荷物の元へと静かに近づいて行く。

 そうしてティリアは、その箱の蓋をそっと開けた。

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