第6話 監視の檻
翌朝、まとめた荷物が運び出されていくのを見ながら、ティリアはこれから大きな変化が起きるのだと、改めて身を固くする。一度目の人生のときは、この部屋を出て行くことにわずかな寂しさを感じながらも、新しい生活に胸躍らせていた。しかし、二度目は。
この部屋を出れば、自分を守ってくれるものは何もなくなる――そんな恐ろしさが、ティリアの指先を震えさせる。
「ティリア、準備は終わりましたか?」
名を呼ばれ振り返れば、兄の姿がある。ラウルスはいつもの通りしっかりと身支度を調え、隙の無い立ち居振る舞いでティリアの側へと歩み寄ってきた。
「荷物も運んでもらったし、あとは私がゾハールの屋敷へ移動するだけよ」
「そうですか……寂しくなりますね」
「そう? 同じ敷地の中の、隣同士に並んだ屋敷よ? 扉を開けたらすぐに会いに来られるじゃない」
「それでも、寂しいものですよ。事実上、今日からあなたはこの家の者ではなくなるのですから」
「……そうね」
神子の一族で特に魔力が強い家系――イェツラー家とゾハール家は、同じ敷地の中に、同じ儀式の間を共有しながら建っている。だからほとんど同じ家だと言っても過言ではなかった。確か、一度目の人生のときも、同じようなことを言って、大げさねと兄を笑って家を出たのだ。
ラウルスはまるで今生の別れかのように、表情を暗くしてため息を吐く。そんな様子を見て、大げさね、と言えた自分を思い返し、ティリアは思わず嗤ってしまう。よくそんなことを言えたものだ。今すぐに、ではないけれど、本当に今生の別れになってしまうのに。
それを知りながら黙って送り出すラウルスは、どういう感情だったのだろう。仕方がないと諦めていた? それとも、当然だと鼻で笑っていた? ――その想いを想像するには、ティリアの持つ情報は少なすぎる。
「寂しくなったらいつ会いに来てくれても構わないのよ、お兄様」
「あなたも、フィーロが気に入らなくなればいつでも帰って来てくださいね」
兄がそっと頭を撫でる。その大きな手のひらに、どれだけ守られてきただろう。
――ラウルスが守っていたのは、妹だったのか、自らの役目だったのか。
胸に澱が降り積もる。
それを清められないまま、それでも寂しさを覚えながら、ティリアはゾハール家へと向かった。
「いらっしゃい、ティリア。いや、今日からは『おかえり』かな?」
迎えてくれたフィーロは、少し浮かれた様子でティリアの手を引いた。七歳も年上の男性が、顔を見ただけでわかるほどに有頂天になっているなんて。――一年後に殺す女の来訪が、そんなに嬉しいのだろうか。
また、澱が積もる。
「……ただいま、フィーロ」
それでもティリアは微笑んだ。
「子どもの頃から来ていたし、屋敷の案内を細かくする必要はないと思うけど……」
そう言いながら、フィーロが連れてきてくれたのは寝室だった。そもそもイェツラー家とゾハール家で間取りはほとんど変わらない。しかしフィーロが連れてきてくれた寝室は、ティリアの知るものとは少し違っていた。
「この部屋、二部屋あるのね」
扉を開けてすぐに、大きめのベッドと文机が置かれている。恐らくはフィーロのものなのだろう。机の上には本や手帳が積まれていた。
その奥に、扉がある。
そのドアノブに手をかけながら、フィーロは頷く。
「少し悩んだんだけどね。でも、今はまだ婚約者であって、結婚をしたわけではない。それなら、まだ寝室は分けておいたほうがいいかと思って」
扉の向こうは、イェツラー家で使っていたのとほとんど同じ家具が置かれていた。先ほど運び出された荷物も置かれている。
「きみの部屋だよ。二部屋続きなのがこの部屋しかなかったから、間取りとしては少し不便かもしれないけれど、俺がいても気にしないで部屋を出入りしてくれればいいから」
そんな言葉を聞きながら、ティリアは用意された自分の部屋へと足を踏み入れる。美しいカーテンが掛けられて、家具には彫刻も施され、手の込んだものを用意してくれたのだろうということはわかる。窓も大きく、明るい日差しが降り注いでいる。ティリアはその窓を大きく開いた。
屋敷の三階にある寝室。真下には中庭があり、その中心にはキラキラと輝く噴水が見えた。
この高さでは、窓から脱出することは不可能だ。寝室の外に出ようとすれば、必ずフィーロの前を通らなければならない。優しいフィーロのことだ、ティリアがどこかに行きたいと言えば快く通してくれるだろう。……ただし、きっと、ついてくるだろうけれど。
そういえば、一度目の人生でもこうだった。どうして気づかなかったのだろう。これは、つまり、監視なのだ。ティリアの自由を奪っていることに気づかせないように、入念に仕組まれていた。
呼吸がわずかに乱れる。そんなティリアの隣に立って、フィーロが不安げに覗き込んできた。
「どうかした?」
「……いえ」
慌てて首を振って、ティリアは微笑んでみせた。
「いくら相手があなたでも、こんなに近くで寝るってなったら緊張するんだな、って」
「はは、ひどいな。いくら相手があなたでも、なんて」
フィーロは肩を振るわせながらその大きな腕の中にティリアを閉じ込めた。後ろからそっと、しっかりと、強く。なんてたくましい人なのだろう、とティリアは視線を下に向ける。この温もりを嬉しく思えていた頃を、懐かしく思い出しながら。
と、中庭の噴水がキラリと光ってティリアはふと首をかしげた。
「ねえ、フィーロ。あの噴水、何かが光っていない?」
「ああ、さすがだね。魔方陣に気づいたのか」
「魔方陣?」
「そう。これから婚姻の儀式の日まで、七日に一度、俺たちはあの噴水で祈りを捧げることになっているんだけど――」
フィーロは少しだけ考えて、口角を上げた。
「実際に見せたほうが早いな。予定より少し早いけど、今日を『祈りの日』の一日目にしよう。おいで、ティリア。ケテルのオーブを持って、ね」
そう言って、フィーロが離れて行く。確かに七日に一度噴水で祈りを捧げたことは覚えている。しかしその一日目は、引越しのその日ではなかった。
既に少しずつ、歯車がずれている。
ティリアは心音が高鳴るのを無理矢理押さえ込みながら、ケテルのオーブを荷物から取り出して大切に抱え、フィーロの後をゆっくりと追った。




