第28話 決戦の儀式
儀式の間に足を踏み入れたティリアは、天頂に浮かぶ満月を睨め付ける。月光は、魔力を強める効果があるのだと聞いた。だから贄の神子の誕生は満月の夜だし、儀式を行うのも月が満ち天頂に昇ったときなのだ。
今日、この日を迎えるにあたって、ティリアも魔力や魔術について、知れる限りのことを全て学んできた。シエロの導きがあれば勝算は高い。だとしても、不測の事態は起こり得る。なにしろ、ゴーレムを消滅させられるだけの魔力を持つ神子が生まれたのは千年ぶりだというのだから。
「ティリア姉さん、手順は覚えてる?」
シエロがティリアの隣に並び、こちらを見上げる。彼の瞳にも緊張の色が滲んでいた。見た目こそ少年の姿ではあるものの、彼は本当は千年生きている精霊だ。それでも初めてのことをするには緊張するものなのだと、そう感じたらティリアの肩からもふっと力が抜けた。
ティリアはしっかりと頷いた。
「大丈夫、きちんと把握しているわ」
深い紫色になったケテルのオーブを胸に抱き、ティリアは深く息を吐く。
「月が天頂に昇ったら、まずはお兄様が魔方陣を描く。その陣は――」
「これまでの儀式に使っていたものとは違う、消滅の儀式専用のもの、ですね」
ラウルスが告げると、シエロはこっくりと頷いた。
「最初の神子の儀式が失敗した原因が、魔方陣を間違えていたからだったなんて……残酷な現実でしたね」
「まだ魔術研究の基礎しかなかった頃なんだし、正確な儀式を行えないのも無理はないかもしれないけど……それにしたって、なんとも言えない話だよ」
フィーロも銀の短剣を弄びながら首を振った。
「魔術研究は、記述によればおよそ千百年前から形になりはじめたと言われています。そこから長い時間をかけて複雑な魔術を理解できるようになり、人々の暮らしは便利になった――それでも、わからないことはまだ多く存在しています。儀式に関するものは、特に難しい魔術に分類されますね」
魔術については学べば学ぶほどに難しいことばかりで、今日までに覚えられたのも儀式に必要な分しかなかった。だからこそ、長い時間運命に抗うために学び続けてきたラウルスが魔方陣を描く役目を負うことになったのだ。これ以上の適任は、ティリアには思いつかない。
陣のことを確認したところで、ティリアは続けて口を開く。
「魔方陣が完成したら、私がオーブを持って陣の真ん中に立つ。そして満月が天頂に達したとき、シエロがゴーレムを召還する」
シエロはこくりと頷いて、ティリアの前に移動した。
「ここがこれまでとの決定的な違いだよ。今まではゴーレムをそのまま眠らせていたけど、今回は強引に起こすんだ。千年も眠り続けたゴーレムがどういう状態になっているかはわからない」
「ええ……わかっているわ。暴れ出す可能性が高いことも」
「これまで神子の一族の魔力をたっぷり浴びてきたんだ。それが汚泥のようになってゴーレムを強化している可能性も高い」
「うん。フィーロ兄さんの言う通り、それが一番恐いことなんだ」
眉間に皺を寄せたまま、シエロは高く天を仰ぐ。空があり、その向こうにはセフィロトがあり、さらにずっと天へと向かえば、そこにはアインが存在している。
「本来、ゴーレムを形成していた負の感情はアインにある。アインはこの大地、マルクトとは直接的には繋がっていない」
「じゃあ、ゴーレムはもともとはどうやってマルクトにきたの?」
「セフィロトを通ってだよ。不の感情が一気に逆流してマルクトに注がれたことがあった。それが千年前のことなんだ」
「今はその逆流が起こらないようになっているのですよね?」
「うん。さすがに二度と起こしちゃいけないことだから、厳重に対策したよ。だからアインから負の感情が注がれることはまず間違いなくない。けど――」
シエロの視線は足元に注がれる。
「この儀式の間は、二十年に一度、清らかな血を流すと同時に、怨嗟と後悔という強い負の感情が沸き起こる場所でもあった。だから……」
シエロが口を閉ざす。ティリアたちも、それ以上の言葉を紡ぐ気にはなれなかった。
殺された神子の怨嗟の念。殺した神子の後悔と懺悔。そしてどうにもならない現実への絶望と怒り――それはティリアも経験した感情だった。そんな感情が、千年分も。負の感情を糧とするゴーレムが強化されていないとは言えない。
だからこの儀式は、失敗する可能性を孕んでいる――
「……それでも、やるしかないわ」
ティリアはオーブを強く握って言い切った。
「ケテルのオーブに注ぐ魔力も、通常の儀式より多くした。必要な魔方陣はお兄様がしっかり研究してくれたし、召還には精霊の力も借りることができる。それに」
ティリアは振り返ると、短剣を持つフィーロの手にそっと触れた。
「あなたなら、きっと、ゴーレムを消滅させることができる」
「……もちろん。そのために今日まで準備してきたんだ」
フィーロは柔らかに微笑むと、ティリアの手を握り返してくれた。
「必ず海へ行こう」
「……うん」
きっと、行ける。この儀式は、必ず成功する。
そう信じて、ティリアは改めて儀式の祭壇へ向き直った。
真っ青な月が、真上に浮かぶ。
「さあ――始めましょう」
祭壇の前には聖水が張られ、儀式のための白い装束に身を包んだラウルスが、その裾を濡らしながら一歩、また一歩と歩を進めていく。真っ白な祭壇の前で足を止めた彼は、両手を大きく広げて瞼を閉ざした。
「聖なる力よ。神羅万象を司る者よ。今ここに真実の姿を現せ」
呪文を唱えながら、ゆっくりと指先が空を切る。
「秘されたダアトの元に集え。マルクト、イェソド、ホド、ネツァク、ティフェレト、ゲブラー、ケセド、ビナー、コクマ――ケテル」
ひとつひとつ、言葉を重ねるごとに宙に描かれた魔方陣が輝き出す。虹、紫、橙、緑、黄、赤、青、黒、灰、白――それらが全て混ざり合い、中央に集約される。
「セフィロトよ、その神聖なる力を注ぎて、アインより生まれしゴーレムを今ここで、滅さん!」
魔方陣の完成と同時にラウルスが一気に魔力を濯いだ。数多の光を放ちながら拡大した陣が祭壇に貼り付いて、淡い光を放つ。
そのタイミングを見計らって、ティリアは祭壇の中央に立った。全ての光が集約された、魔方陣の中心部。そこでティリアはケテルのオーブを掲げる。
「ケテルのオーブよ! 我が身をセフィロトとして、聖なる力を解放せよ!」
ティリアは自らの魔力をオーブに注ぎ込む。同時に魔方陣が輝いた。ティリアを大樹の幹として、大きな力がオーブに向けて一気に駆け上がっていく。
血液が沸騰するような、異様な熱をティリアは感じた。だがそれは不快ではない。むしろ自らを助けてくれると確信できる――自分を護ってくれる力だと、認識できる。
だからティリアは強い瞳で天を見上げた。
「力よ!」
その声に応えるように、ケテルのオーブがまばゆく輝き天に向けて光の矢を放った。それが今度はドームのように周囲を包み、結界となる。
聖なる魔力が空間を満たしたその瞬間、シエロは魔方陣に手を添えて、叫んだ。
「目覚めよ、ゴーレム!」
強い光を放つ。その瞬間、魔方陣がまるで食われるようにズルズルと祭壇に飲まれていった。
同時に、大地が揺れる。
――地の底から、何か聞こえる。
「ティリア、こっちへ!」
手を伸ばすフィーロに駆け寄った。彼の腕がティリアをしっかりと受け止めて、身を低くする。ラウルスも、シエロも。禍々しい揺れから身を守り、息を呑んでいた。
「オ……オオ……オ……」
地を這うような声が聞こえる。足元から、ゾクリとするような感覚が這い上がってくる。
「……来る」
シエロが呟いた、次の瞬間。
――一瞬、全ての感覚が、消えた。




