第23話 天と大地と
「ゴーレムを、消滅させる……?」
シエロの言葉を聞いて、フィーロは訝しむように呟く。その気持ちはティリアにもよくわかる。自分だって、二度も死んでこの場所に戻ってこなかったら、シエロの言葉も胡乱なものとしか思わなかっただろう。
もちろんその情報をもたらしたシエロ本人もそれはわかっているはずだ。だからだろう、フッと力の抜けた笑みを浮かべると、フィーロの隣に駆け寄って、腕を引いて隣同士でソファに座った。
「ねえ、フィーロ兄さん」
「……なに?」
「兄さんは、僕が精霊だってこと、信じてくれる?」
フィーロはシエロの目を真っ直ぐに見る。二人の視線が絡み合い、わずかにピリリとした空気が漂い――
しかし、フィーロもまた、力の抜けた笑みを浮かべてシエロの頭を撫でた。
「信じるよ」
「へえ……それは、僕があなたの弟ということになっているから?」
「それも込みで、かな。今となっては、なんでおまえを弟だと思っていたのか不思議なんだけど……おまえからは人間ではない魔力の気配がする」
「さすがはゾハール家の神子だね。やっぱり気配の違いがわかるんだ?」
「でも今日まで何も感じなかった……ということは、俺たちが気づかないように幻術か何かで誤魔化していたんだ。違う?」
「正解! 飲み込みが早いな。やっぱりフィーロ兄さんの弟ってことにしてよかった。この身体もね、兄さんに似せて作ったんだよ。かわいい?」
「それは返事がしづらいって……」
「あはは、可愛いって言えばいいのに。ねえ、ラウルス兄さん」
「そうですね。シエロもフィーロも、可愛らしいですよ」
唐突に話を振られたにも関わらず、ラウルスは普段通りの笑みを浮かべてそう言った。なんで急に俺まで巻き込むの、と苦い顔をするフィーロと、そんなフィーロを揶揄いながら笑うラウルスと。
それは、ティリアが何も知らなかった頃とまったく同じ、温かくて柔らかい、当たり前にあった会話の溢れる時間だ。
一度殺され、憎しみを抱き。
二度目は守れなかった後悔に苛まれ。
三度目でようやく元の場所へと帰ってきて、次へと進める可能性を得たのだ。
「シエロ、そろそろ話を進めましょう」
ティリアは拳を握りながら、シエロを見据える。
「ゴーレムを消滅させるには、どうしたらいいの?」
「そうだね……説明するよ。ちょっと面倒な部分と、厄介な部分があるけど」
「まあ、千年かけても封印しかできていないわけだし、そりゃ一筋縄にはいかないだろうね」
フィーロは苦笑いして肩をすくめる。ラウルスはといえば、わずかに頬を紅潮させていた。
「私は少々興奮していますよ。人間では知り得ないことも、精霊ならば知っているでしょうから」
「あははっ! ラウルス兄さんは知識が好きなんだ?」
「ええ、大好きです。ずっとあがいてきましたからね。どうにかして、フィーロやティリアをこの聖域から逃がす方法はないか、と」
その表情に、ほんのわずかに寂しさが交ざる。そういえば、二度目の人生のときにもラウルスは自分以外を――とりわけフィーロを、苦しみから解放しようとしていた。自分には世界を裏切る度胸はないと言いながら、全ての苦しみを独りで背負う覚悟もしていた。
胸が、少し軋む。
「……だとしたら、ラウルス兄さんにとってこの方法は、安心と不安、どっちももたらすかもしれない」
「構いませんよ。少なくとも安心できる要素が存在するのなら僥倖です。今までは絶望しかありませんでしたから」
「そっか、そうだね」
シエロはぴょんとソファから降りると、すうっと宙に浮かび上がる。彼がティリアに初めて自分の正体を明かした日と同じように。そしてすうっと、両手を広げた。
「じゃあ、見せてあげる。アインより生まれしゴーレムの、隠された真実を」
――次の瞬間、辺りが漆黒に包まれた。
上も、下も、右も、左も、前も、後ろも、わからない。
いつの間にかティリアは漆黒の空間にいた。
立っているのか浮いているのかもわからない。
冷たくも温かくもなく、重くも軽くもない。
ありとあらゆる感覚が消滅したその場所で、ティリアは「何か」を見ていた。
ドロドロとした流体。
時折ゴボリと脈打って、不気味に揺れて、溶けたり沸いたりを繰り返す。
漆黒の空間で「それ」だけがぼんやりと光を放っていた。
「……それが、アインより生まれしゴーレムの核だよ」
シエロの声が、直接脳に語りかけてくる。
「アインとは『無』。この世界を構成する――そうだな、便宜上『大樹』と呼ぶことにするけれど、その大樹のずっと上、無限の光を越えた先にぽっかりと存在するもの」
その声に合わせるように、ティリアの視界はゆっくりと移動していく。ゴーレムの核が遠ざかり、唐突にまばゆい光が自分を包み込んだ。まるで全身を刺すように鋭く、しかし温かくて心地良い光。その光が爆発するように明転して――
そうしてやっと見えたのは、信じられないほどに大きく、そして神々しいまでに美しい大樹だった。
「これが大樹――セフィロトだ」
声のほうへと視線を向けると、そこにシエロの姿があった。右側にはラウルス、そして左側にはフィーロもいる。
自分たちは揃ってセフィロトの上空に浮かんでいた。
「……幻術、だよね?」
フィーロが訊ねる。もちろん、とシエロは頷いた。
「本物のセフィロトもアインも、人間の身体で行ける場所じゃない。だから僕がそれそっくりの空間を作り出して、きみたちに見せているんだよ。そのほうがわかりやすいでしょ?」
「じゃあ、人間が見ることが出来ないだけで、存在はしているということなの?」
「そうだよ。姉さんの言う通り、人間には見えない。けど、確かに存在してる。そして、人間の世界にも干渉しているんだ」
そう告げて、シエロはぱちんと指を鳴らし――
――次の瞬間、ティリアたちは大樹の根元にいた。
今度は両足がしっかりと大地を踏みしめている感覚がある。ただ、身体の重さは感じなかった。それに「大地」と呼んだものも、実際には全ての色を失ったように真っ白だ。
ティリアはその不思議な感覚に揺らぎそうになる。しかし、大きな腕がそんなティリアを支えてくれた。
フィーロだ。
「大丈夫?」
「ええ……ありがとう。大丈夫」
頷いて、ティリアは改めて大樹の根元を見た。
大樹は純白の大地にしっかりと根差し、時折淡く輝きながら太い幹を支えている。見上げれば、枝にはいくつものオーブのような球体が果実のようにぶら下がり、明滅している。風がないのか、葉はわずかも揺れずにそこに在る。
そんな大樹の根元に、シエロはそっと手を添えた。
「この根の下にあるのが人間の世界だよ」
「根の、下……?」
ティリアは自らの足元でうねる根を見つめる。しかし白い地面の向こうを窺い知ることは出来なかった。その隣で、フィーロが呟く。
「もしかして、今俺たちが立っている『大地』は、俺たち人間が『空』と認識している場所か」
「大正解! そうだよ。ここは僕たち精霊の言葉では『イェソド』と呼ばれる場所。そしてこの下に広がるのが『マルクト』――人間たちの世界なんだ」
「なるほどね……そいうことなら、俺たちが認識出来ないのもわかる。空の彼方にあるんだから」
「それに『アインより生まれしゴーレム』という言葉の意味もようやくわかりました」
ラウルスはどこか楽しげな表情で目を細める。
「そもそも私はずっと文句を言っていたんです。ゴーレムの件にしても『アイン』とは何なのか、ゴーレムはどこで生まれたのか。それがわかれば、何か対処のしようがあるかもしれないのに、誰も興味を持たないんですから」
「はは、言ってたね、確かに。お酒を飲みながら、首都の連中は神域のことなんてどうでもいいんだ、ってずーっと、グチグチと」
「実際そうじゃありませんか……とはいえ、神域について知る者はごくわずか。神域に関わるのも神子の一族だけですから、どうでもいいと思っていたのでしょうけど。でも――」
ラウルスはゆっくりと天を仰ぐ。ティリアもつられて空を見た。
そこにはただただ美しい、神秘的な大樹が佇み、そのずっと天上には、漆黒が――アインが、在る。
「ゴーレムは、あそこで生まれたのですね」
「……そう。ゴーレムは、アインから生まれた。じゃあ、もっと根源的な話――なぜアインは生まれたのか、っていう話をしようか」
立ち上がったシエロが小さく指を鳴らす。
――そしてまた、ティリアたちは漆黒の中にいた。




