第22話 だったら、私は――
フィーロとの子どもは産まない――それが、ティリアの結論だ。
ティリアの身に起きていることを知らないフィーロにとっては、ティリアと子どもをなすということがあり得ない妄想だ。その上、子ども、というものに対してフィーロは傷ついたような反応を見せた。
「これは私の想像でしかないけれど……フィーロはきっと、本当は、子どもが欲しいのだと思う」
「……へえ。じゃあ、産めばいいのに」
「産んで、直後にその子を殺すことになるのに?」
「大丈夫だよ。世界が救われたら、また新しい子どもをすぐに産めばいい」
「人間は道具じゃないのよ!? 最初の子どもと、次の子ども、それは別の人だわ」
「なるほど。人間っていうのは各固体を別のものとして認識しているわけだ」
「……精霊の認識は違うの?」
「違うよ。きみは花壇の花をいちいち個別に識別する? 種類の差はあるけれど、どれもただの花で、枯れたらまた生える。人間だって精霊だって、それと同じだよ」
同じ訳がない。
心があって、思考する生き物が、花壇の花と同じように理解されるなんて信じられない。
……けれど、精霊はそういう認識でいる、というならば、納得できる部分もあった。神子の命を次から次へと奪うような儀式も、精霊からみれば変わりのきく材料を使っているという程度のことでしかない。だからティリアから見れば残酷な義息も、当たり前に行えるのだ。
「とにかく、私は子どもは産まない。別の方法を教えて」
「どうして他に方法があるって思うの? 精霊だって万能じゃないのに」
「つまり、ゴーレムを消滅させることはできないのね?」
「そういうことになるね」
「贄の神子の血をゴーレムに捧げればいいのよね?」
「そうだよ」
「たとえばその儀式のときに、贄の神子が自ら自分の心臓を貫くというのでは、成立しないの?」
シエロは驚いたように目を見開く。さすがにそんな提案が飛んで来るとは思わなかったのだろう。だが、彼はすぐに頷く。
「贄の神子の命さえ手に入れば問題ない。だから自分で心臓を貫いたって儀式は成立するよ。まあ、そんなこと出来る人はいないと思うけどね」
「普通は、そうでしょうね。だから贄の神子を殺す役目なんていうものがあるのでしょうし」
だからフィーロに辛い思いをさせざるを得ない。神子の命でゴーレムの封印をし続けるしかないのだとしたら、ティリアがとるべき手段はひとつだけだ。
ティリアは真っ直ぐにシエロの目を見て微笑んで、言った。
「だったら私は自分で死ぬわ。フィーロの手を煩わせるようなことはしない」
「できるとでも?」
「するのよ。できるできないの話じゃないわ」
疑うようなシエロの眼差し。それでもティリアは怯まない。真っ直ぐにその目を見据えたまま、ほんのわずかも逸らさなかった。
シエロの紫色の瞳が怪しく揺れる。その揺らぎに、ティリアは一瞬身体が傾ぐような感覚に陥った。足元から力が抜け、心臓がバクバクと鳴り始める。かと思えば脳がぐちゃぐちゃとかき混ぜられるような感覚に陥り、吐き気が込み上げ、酸素も薄くなり――
怖い。
このまま心臓が止まってしまいそうで、恐ろしい。
自分が自分でなくなってしまうような圧倒的な恐怖が押し寄せティリアの身体を攫って行こうとするもはや自分と世界の境目もわからずにただただ歪みがあちらもこちらもひしゃげるようにティリアに徐々に近づいて――
しかし。
「私は、やりきってみせるわ!」
――堪えた。
もしも膝を突いてしまったら負けるような気がしたのだ。このままティリア・イェツラーという存在を虚無の彼方に消し去られてしまうような気がしたのだ。
だから、立つ。
真っ直ぐに。決して、負けないように。両の足で床に立って――
……先に動いたのは、シエロのほうだった。
「本気みたいだね」
「……ええ」
「あははっ、合格」
シエロが笑った瞬間、先ほどまでの奇妙な感覚はフッと消えてなくなった。心なしか、呼吸も軽くなる。ふっと力が抜けて一歩だけよろめいたが、シエロはもう強い眼差しは向けてこなかった。
「ごめんね、試すようなことをして」
「……今、魔法を使った?」
「うん。きみの心に恐怖が生まれるように、僕の魔力を流し込んだ。もしもきみがほんの少しでも『逃げたい』と思っていたら、すぐにでも逃げ出すように」
「……逃げなかったわ、私」
「うん。驚いた。すごいね、きみは。本気なんだ」
「だって、これ以上フィーロに苦しんでほしくないから」
「なるほどね。愛だ。愛する人の手を自分の血で染めないために、自ら命を絶つことを選ぶ――面白いよね。そんなことをするのは人間だけだよ」
「だとしたら、人間が花とは違うこともわかってくれた?」
「さすがにね。だから、僕も新たな情報をきみに渡そう。きみの覚悟に敬意を表して――」
シエロはティリアに歩み寄り、その小さな手のひらを、ティリアの心臓に添える。
「世界を救うためのもうひとつの方法を、教えてあげる」
夜も深まった頃、フィーロが首都から帰ってきた。それと同時に、イェツラー家にいたラウルスも、ゾハールの屋敷に呼び寄せる。
居間に揃ったのは、フィーロとティリア、ラウルス、そしてシエロ。
「どうしたんです、シエロ。こんな時間に、私まで呼び寄せて」
不思議そうにラウルスが首をかしげる。シエロは無垢な笑みを浮かべた。
「ごめんね、ラウルス兄さん。でも、すごく大事な話があるんだ」
「明日じゃダメだったの?」
フィーロは不機嫌そうだった。突然首都に呼び出されてようやく諸々を終えたと思ったら、今度はこんな夜更けに来てくれと呼び出されたのだ。事情もわからないままでは、腹を立てても仕方がない。
まるでその反応が嬉しかったかのように、シエロは無垢に笑いながらソファに腰掛け、足をぱたぱたと揺らしていた。
「大事な話って言ってるでしょ? 明日でもいいなら、明日の朝呼んでるよ」
「けど、おまえが何の話をするって言うんだ、子どもなのに」
「そうだね。見た目は確かに子どもだよ。でも本当は違う」
「遊びになら明日付き合ってあげるから――」
「待って、フィーロ。……本当に、大事な話なの」
ティリアが割って入ると、フィーロの様子が変わる。彼はティリアの肩を抱き寄せ、そっと手を握ってくれた。
「……ティリアの話なのか?」
「それも、ある。それに……フィーロの話でも、お兄様の話でも」
フィーロだけでなく、ラウルスも目を見開いた。
「……おかしいとは思っていたんだ」
フィーロが呟く。
「ずっと塞ぎ込んで、部屋から出ようともしなかったのに、急に元気になったかと思ったら、妙な話を……何か、知ってしまったんじゃないかと、思ってた」
「惜しいな、フィーロ兄さん。ちょっとだけ違う」
「どう違う?」
「知ってしまったんじゃない。ティリア姉さんは、最初から知っていたんだよ。今は三度目の十九歳なんだから」
「……は?」
フィーロもラウルスも、何を言われているのかもわからないとばかりに目を丸くする。当然だ。こんな言い方では、彼らをいたずらに混乱させるだけだ。
「私が説明するわ。……それでも、理解は出来ないかもしれないけれど」
そう告げて、ティリアは語る。一度目の死のとき、フィーロのことを恨んだこと。けれど二度目の人生でフィーロやラウルスの真実や想いを知って、自ら犠牲になることを選んだこと。そして、三度目――
「本来、神域に送り込まれるのは贄の神子がひとりと、イェツラー家とゾハール家それぞれからひとりずつ、計三人。でも、今はそうじゃない」
「……シエロ」
フィーロがシエロのほうに視線を向ける。シエロは人間離れした透明さで微笑んで、挑発でもするかのように小首を傾げた。
「この子は、神子の一族を見守り続けた精霊……そして、贄の神子の命で封印を延長する以外のことで世界を救う方法を知っている」
「……ッ!」
フィーロが勢いよく立ち上がった。荒く息を吐きながら、シエロに詰め寄る。
「本当なのか? 本当に、神子を犠牲にしないで済むのか!?」
「そうだよ。色々な条件が今ここに、ぴったり揃っているからね」
シエロがフィーロの胸を押して距離を取らせる。それからぴょんとソファから飛び降り、三人から少し離れる。
そうしてくるりと振り返り、ラウルス、フィーロ、そしてティリアに順番に視線を向けてから、笑った。
「それじゃあ、話そうか。ゴーレムを消滅させる方法について」




