第11話 遺品
ベッドサイドに椅子を置いて、兄は――ラウルスは、静かにティリアを覗き込んでいた。
「お兄様……」
「久しぶりですね。本来は、儀式の直前までは顔を合わせるつもりはなかったのですが」
「……見かけないと思っていたけれど、わざとだったのね」
「そうですね」
「私の首に縄を掛けたらそれで終わり、ということ?」
「……そう、ですね」
兄は素直には頷かず、喉に何かが引っかかったように言葉を詰まらせる。無理矢理に笑おうとしているが、失敗して情けない、曖昧な表情に留まっていた。
彼は祈るように両手を組んで、強く握っていた。
――この人は、善良すぎるのだ。だからティリアが全てを知ってしまったとわかると、上手に嘘がつけなくなってしまったのだろう。ティリアが生まれてから十九年、真っ直ぐな笑みを向けてくれていたというのに。
「どうして?」
「……え?」
「どうしてお兄様は、全てを知っていたのに私を育てることができたの」
「それを聞かれると、胸が痛いですね……いえ、こんなこと、僕が口にして許されることではありませんが」
困ったように、あるいは、泣き出しそうに、兄は口を閉ざしてしまう。全てを知っても柔和な笑みを崩さなかったフィーロとは対照的だった。嘘が苦手で善良な兄が、ティリアは心から好きだったのだ。――そして今も、ちゃんと憎むことができないのだ。
二度、三度、ため息を吐いてからラウルスはポケットに手を入れた。そうしてティリアの手のひらに何かを握らせる。小さくて、硬い何か――
「……指輪?」
青い宝石が真ん中で輝く、銀色の指輪。魔力を持つわけでもない、ごく普通の装飾品だ。
ラウスルは荒く息を吐いた後、静かに告げる。
「遺品です……あなたの前に、殺された神子の」
「え……?」
自分のひとり前の神子――つまり、二十年前に生け贄とされた神子のもの。冷たい光を放つそれを、ティリアは呆然と見つめる。
ラウルスの唇は震えていた。
「イェツラー家とゾハール家が、神子の一族の双璧であることは知っていますね?」
「……ええ。そこに生まれた娘は神子として育てられ、儀式を行い――殺される」
「端的に言えばその通りです。ただ、疑問には思いませんでしたか? 幼い頃から、あなたにもフィーロにも、父と母がいないことを」
「え?」
言われて初めて、ティリアはその言葉を思い出した。父。母。物語の中でもそれは、滅多に出てこない言葉だった。ただ、意味だけは知っている。父は、男親。母は、女親。そして子どもは父と母が揃ってはじめて生まれてくる――では、ティリアの父は? ティリアの母は? ……兄が親代わりとなって育ててくれてはいたものの、一度もその姿を見ていない。
言葉を無くすティリアに、ラウルスは穏やかな笑みを浮かべ、続けた。
「僕たちがいるこの場所は、神域と呼ばれる場所です。暮らしているのは神子の力を持つ者と、魔力の高い使用人たちだけ。その使用人たちも、限られた空間しか立ち入ることを許されない」
「……だから、滅多に姿を見なかったの?」
「そうです。それだけ入念に儀式の場を守り抜いてきたんです」
ラウルスは両手を広げて天に向ける。そうして静かに目を閉ざすと呪文を唱えた。
「過去をここに、詳らかに、物語れ」
その言葉に反応して淡い光が浮かび上がる。それはまるで立体的な絵本のように、何もない空中を彩った。
光の絵本の真ん中には、巨大な土色の魔物が立ちすくんでいた。
「……千年前のことです。この世界に突如として、世界を破滅に導く魔物が現れました。それが、アインより生まれしゴーレム」
ゴーレムはまばゆい光を放ち、辺りを片端から破壊していく。その攻撃を受けた人々は、為すすべもなく命を落とした。屋敷も、森も、山も、何もかも、木っ端微塵に砕かれていく。
「ゴーレムがなぜ、どこから生まれたのかは今もわかりません。ただ、その恐ろしい魔物を討ち払うことは誰にも出来なかった。世界は絶望に包まれて、人類は滅亡するしかないと思われていた――そこに現れたのが、二人の神子でした」
ゴーレムに破壊されボロボロになった土地の真ん中に、白いローブを身に纏った神子が二人現れた。ひとりは女性、ひとりは男性。彼らは円環の魔方陣を描き、女性の神子がその中央に進み出た。
「この世界に生きる者はすべからく魔力を持っている。しかし聖なる力を持つのはその中でも選ばれし者だけです。そしてその血液は、呪われし力を浄化することができる。だから――」
魔方陣の中央に歩み出た神子の女性は、その手に持った紫のオーブを高く掲げた。そしてその背後に立った男性は鋭い短刀でその女性の心臓を――貫いた。
「……ッ」
ティリアは思わず息を呑む。
女性の心臓からはどくどくと真っ赤な血が流れ落ちる。それはやがて円環の魔方陣を染め上げ、毒々しい光を放ち、意志を持ったうねりとなって、ゴーレムへと絡みつく。
アインより生まれしゴーレムは、一人分の血に囚われて、地の底へと沈んでいく。やがてその姿は完全に見えなくなり、辺りに沈黙が訪れた。
「……しかし、ゴーレムを完全に消滅させるだけの力は神子さえも持たなかった。できたのは、ゴーレムを地の底に封印することだけ。そしてその封印は、二十年という短期間しか保ちません」
「じゃあ、二十年に一度儀式をしているのは……」
「その封印を、永遠のものとするため」
「封印をする方法は――」
「神子の血を引く女性の血液を捧げることだけ」
「……そんな」
そんなことが、千年も繰り返されている。そんな残酷で救いのない事実を、ティリアは今、初めて知った。
ラウルスがそっと手を握る。その瞬間、凄惨な血の海は影も形もなくなった。
「イェツラー家とゾハール家は、その儀式を交互に行う役目を担っています。遠い過去からの契約で、滞りなく儀式が行われるように役割を分担しているんです」
「交互に……なら、二十年前の儀式は――」
「ええ、僕が行いました。その指輪の持ち主を……」
ティリアの手のひらに載せられていた銀の指輪を、ラウルスは愛おしそうに手に取った。そうして今にも壊れてしまいそうに儚く微笑む。
「ラミーナ・ゾハールを殺したのは、僕です」
それは恐ろしいほど乾いた声だった。




