第33話 「キミに会えて嬉しいよ」
「【ホ・ノソ・フィリス・シ・アーレ】――――」
レクセイナが演唱を始めた瞬間に、周囲の空気がガラリと変異を始める。
これまでは方向性を持たなかった空気に、紡がれていく魔法の魔力が影響を及ぼし、周囲の空気が、文字通りレクセイナのものへと変化を始める。
これまでは、この長い演唱をしている間に魔物から攻撃されるからと、村の防衛戦で一度も使っていなかったものだ。
――書庫の魔法。
自分の部屋を除いて、唯一自由に行動することが許されている屋敷の書庫で見つけた本に書かれていた魔法だ。
家庭教師や、他に書かれていた魔導書の内容とは、全く別形態の魔法。
その異質な魔法が書かれていた本自体も、広い書庫の部屋の奥に隠すように置いてあっただけあって、私が使える魔法の中でも威力が段違いだ。
「【ソガニ・ア・レラス】……」
普通の魔法使いが1、2種類使えたら熟練の魔法使いだと言われている上級魔法よりも、遙かに強力な魔法。
上級魔法よりも高い階位となると、超級魔法になる。
私は超級魔法を見たこともないし、覚えている超級魔法もないが、もしかしたら書庫の魔法が、それに該当するのかもしれない。
発動しようとしているのは、木属性魔法ベースの竜巻に似たものを、狙い定めた所に投げ撃つ“砲撃”とも言える代物だ。
明らかな存在感を放って、書庫の魔法が演唱と共に形成されていく。
獣の鋭い第六感で危険を感知したのだろうか?
周囲の冒険者がボスの魔物に与えていた攻撃は、私が演唱を始めてから、より一層激しいものとなっていたが、その攻撃で受けるダメージをガン無視して、こちらにボスが駆けてくる。
「グルルッッッッ!!」
「ふっ、やっと来たぜ。俺の出番!」
一直線に突進してきたボスの巨体を、無精ひげの冒険者が剣を振り上げて受け止める。
強引に停止させられたことで、勢いあまった魔物の警戒が緩む。死角が生まれる。背中から追加で抜き放つと、ボスの背中に剣で傷をつけた。
「【レクー・メッラル】、【サン・エンラルフエ・コー・コルセ】…………」
風の塊が、静かに凶暴性を帯びる。ゆっくりと、形成されていく。
煙を出しながら激しく燃え盛る建物を背後に、レクセイナの淡々とした詠唱が夜の闇に響き渡っていた。
「ガァぁぁっ!!!」
「……っ、おっと!」
ボスは身を翻して、炎のたてがみを振り乱す。
中年冒険者がボスの攻撃に対して、突進を防御。そこへ、他の周囲を取り囲んでいた冒険者たちも、魔法で足止めを図る。
「――――【コー・コルセ】、【シー・フォ・ニンメラル】」
少しでも詠唱を間違えれば、練り上げた膨大な魔力が霧散してしまい、辺り一帯が吹き飛んでしまう。
集中力を切らすことなく、目の前で冒険者たちが戦っているのに感情を揺らさないように心を強く保ちつつ、レクセイナは魔法を作り上げていく。
複雑で長い演唱をほとんど終え、あとは締めの文言を唱えれば、レクセイナの魔法が完成する直前の瞬間だった。
「――――えっ?」
糸が鳴るような音が聞こえたかと思いきや、次の瞬間に村の景色が消える。
白い世界が広がっていた。
***
何もない、白色の空間が広がっていた。
地平線も曖昧な静かな場所。つい視界が切り替わるまで唱えていた書庫の魔法の接続が切れていることに慌てて、左右上下を急いで振り返る。
どこにも仲間がいない。
魔物が襲撃してきた村でもない、謎の空間。
あまりの静寂さに、レクセイナは心の中で思った。
もしかして、死んだ……?
魔力量に自信のある私が、膨大な魔力を注ぎ込んで展開していた書庫の魔法は、失敗してしまえば、周囲一帯が吹き飛ぶような、物騒なものだった。
一方で、高い体力値と防御魔法を備えているボスを倒すのには、最適な魔法であり、私も魔法を成功させる確信があったからこそ、書庫の魔法を選んだのだが……。
他の物体が何一つない空間でありながら、不思議と不気味さは感じなかった。
それどころか、気持ちが安らいでいく。
誰かの監視に怯えたり、運命に翻弄されることもない。与えられた自由が少ない私に、ありのままの私でいていいと、空間全体が優しく包み込みながら、教えてくれているようだった。
「…………」
その伝わってくる言葉にならない優しさに、どう反応を示せば良いのか分からなくて、立ち尽くしていた。
「初めましてだね。レクセイナ」
そんなレクセイナの後ろから、穏やかな声がかけられる。男性的であるのに、どこか女性的な様子も含む声に、レクセイナは後ろをゆっくりと振り返った。
「誰……?」
春の陽光みたいに柔和な瞳をした、長身で引き締まった男の人がそこにいた。
無風の空間なのに、煌めく長い銀髪をたなびかせている。中性的な声音で、彼は仄かに微笑みながら続ける。
「ずっと会える、この機会を心待ちにしていたよ。なんていったって、ここまで来れる子は中々いないからね。最近は特に、顕著だ」
最後の方に一瞬、彼は顔を曇らせた。
憂いを帯びた瞳を少し下に落とすと、彼の長い髪も相まって、本当に女性のように見える。
彼の服装が、いつ頃の年代か分からないほど古いものであるのも原因の一つかもしれない。白を基調とした、民族的な服装のように見えた。
「えっと……」
とりあえず、レクセイナは状況が把握できていない。困った表情を浮かべながら、恐る恐る彼に尋ねた。
「もしかして私、死にました……?」
「あっ! 心配しなくて大丈夫だよ。キミは死んでない、死んでない。生きてるよ~」
あわあわと両手を宙に彷徨わせながら、慌てた様子でレクセイナの勘違いを彼は訂正する。
「現実の世界とは、別次元の空間に私がキミを呼んだんだ。だから安心して欲しい。この夢が覚めたら、同じ時間に戻っているよ」
「……そんなことが、可能なのですか?」
彼の説明に、レクセイナは疑問を抱いて問いかける。
レクセイナだって、魔法の知識は一通りもっているうえに、書庫にある使われなくなった魔法に関する情報も知っている。
時間を一時的に止めて、別の空間に転移するなんてことが、現代の魔法で実現可能とは到底思えなかった。
少しクスクスと彼は、悪戯っ子のように笑った。口元に人差し指を持ってきた彼は、口止めをするように1本指を立てた。
「不思議でしょ? バレると大変だから、秘密にしておいてね」
じゃあ、そんな凄い魔法を秘密裏に使ってまで、なぜ私は呼ばれたのだろう。そして、彼の正体は? 時代にそぐわない、その古い服装は?
頭の中に、疑問が次々と浮かんでくる。
それを見て、彼は申し訳そうな表情をしながら言った。
「キミの疑問には、答えてあげられない。まだ今は、これぐらいまで限界みたいでね」
彼は自分の胸元に片手をかざすと、現れた手の平サイズの光の球をレクセイナに向けて放った。
それは、そのままレクセイナの胸元に音もなく吸収されていく。
「だけど、覚えておいて欲しい。キミは独りじゃない」
レクセイナに謎の光球を渡すことが目的だったのか、白い空間が霞のようにどんどん消えていく。
「ちょっ――! まだ何も聞いてないっ!」
茫然としていたことに、ハッと気がついたレクセイナは、大声で彼を引き留める。
それでも、白い空間は蜃気楼のように消えていく。
最後に、彼が微笑んだ口元が見えたような気がした。
「また会おう」
次の瞬間、村の景色が広がっていた――――。




