第17話 滴り落ちる血
詠唱によって完成した魔法陣が効力を発動したことを表すように、血で描かれた魔法陣が白い床から消え去っていく。
私は血が滴り落ちている箇所に、もう片方の手を押さえるようにして痛みを耐える。
……今日もだった。
魔法陣は確かに発動したはずだが、私の目からは何も変化が起こっているようには見えない。
家に代々伝わるとされていて、お父様から教えられた魔法。
魔法陣の描き方も、詠唱文も知っている。
だけど、私はただの黒インクでは一切作動することがなく、この血を使うことでしか使えない、この魔法の効力を知らなかった。
「レクセイナ、良い出来だ。ありがとうね」
「いえっ……。私はお父様とお母様から、命じられてやっているだけなので」
国王様は、知っているのだろうか?
満足そうな表情を浮かべている国王を見て、レクセイナは心の中で呟く。どんな魔法なのか尋ねてみたい気持ちもある。
だけど、お父様とお母様の顔がチラついて、結局いつも尋ねられずに終わる。
「やっぱり、レクセイナが一番上手だね」
「それなら、ご褒美を下されば良いのに。国王様は私の婚約者を知っているでしょう?
妻を惨殺した噂があって、ずっと年上の怖い方なのですっ」
テーブルに戻りに行く国王の背中に、頼みごとをしてみる。
国王の命令があれば、貴族同士の婚約も強引に破棄することができるのだ。それには、レクセイナの婚約も含まれる。
だが、席に座った国王は紅茶を再度飲みながら、床に座り込んで傷口を押さえているレクセイナを見た。
「没落寸前の貴族なんだから、相手を選べないのはしょうがなのではないかな?」
「ですが……」
レクセイナは言葉を濁す。
これまでお父様とお母様の管理下で、不自由な人生を送ってきたのだ。
舞踏会や貴族のお茶会に出席して、同年代の友だちを作ることも許されず、自分の部屋の外へ出るにも、誰か召使いについてきてもらわなければ、屋敷を歩けない。
そして自分の部屋にだって、監禁魔法が敷かれていたのだ。
私が自由に過ごせる場所なんて、お父様とお母様には何一つ用意してもらえなかった。親が作った、私の人生。
私の人生なのに、自分で決めることを許されずに生きてきたなんて、果たしてそれは「私の」人生だと、言えるのだろうか?
「親の第二の人生」とでも、言うべきじゃないだろうか?
せっかく監禁魔法を解除して、一時の自由を手に入れたというのに、数年後には結婚して新たな束縛の人生が始まるのは、考えただけでもとても嫌だ。
もしかしたら私も、前妻のように惨い殺され方をするかもしれない。
夫の言う命令に逆らえず、苦しみの中で悶えて不自由に死ぬのかもしれない。
暫く視線を地面に落として沈黙していたレクセイナを、国王はジッと意味ありげな微笑を浮かべながら見ていた。
レクセイナが婚約の話を諦めて切り上げることにして、床から立ち上がる。
その頃には、国王は浮かべていた表情を完全に消して、穏やかで隙のない普段の表情に戻っていた。
「……それでは失礼しますっ」
「スコーンはもう、食べなくて良いのかね?」
「たくさん頂いたので、やめておきますわ……」
あとで神属性をもつ宮廷術士に治療魔法を掛けてもらうとはいえ、私は血塗れの手で菓子を楽しむ気には、到底なれなかった。
足早に温室を出ていこうとするレクセイナに、後ろから低めの冷たい声が投げかけられる。
「注目されないように、大人しく過ごしていなさい。他の貴族に話しかけてはいけない」
パッと、振り返る。
この温室に来る前に、他の貴族令嬢に話しかけてしまったことだろう。
私は風で飛ばされていた帽子を、元の持ち主に返してあげただけだ。名乗りはしたけれど、他はなにもしてない。助けてとも、言ってない。
「レクセイナ、分かったかね?」
振り返った後に、即答しないレクセイナへ国王が釘を刺すように繰り返す。
「これは国王からの命令である。従わなければ、どうなるか知っているはずだ。レクセイナ嬢」
私に、反論できるほどの強い意志は無かった。
「……はい」




