第01話 望まない婚約
私は親の言いなりだ。
「レクセイナ、ほら。ぼーっと立っていないで、早くこちらに来なさい。ヌレアール様に、ご挨拶するのです」
「……はい、お母様」
今日は月に1度の、定期的に婚約者と会う日。
部屋の上質なソファーで、座って待っている男の向かいの席へと歩を進める。
濁った灰色の目をした、男の視線が私の方を向いた。
ヌレアール様は、今日もボロボロの服装だった。
乱れきった長髪は肩に付くぐらいあるが、何日も風呂に入っていないように思える。毛先の一部が、男の性格を表すように、首にネッチョリと絡みついていた。
それに対して、私はお母様から婚約者に会うために入念な支度をするように命じられていた。
侍女たちによって、薔薇の風呂に漬物になるくらい入れられていたからだろうか。
男とテーブルを挟んで向かいの席に座る時に、ふんわりと薔薇の香りがドレスを着ていた私から漂った。
表面上は平静を装いながら、心の中で眉をひそめる。
婚約相手は自分で決めた、好きな殿方ではなかった。
貴族は、基本的に恋愛結婚できない。
跡取りでなければ、貴族の子供でも、運が良ければ好きな人と結婚する機会を手に入れられるだろう。
だが、まともな手柄を数代に渡って立てられず、没落寸前の公爵家の娘には、最初からそんな選択肢は存在していなかった。
私の言動を監視するように、入り口に立ったまま、私を見ているお母様の咎めるような視線を感じる。
急かされるように、私は練習で培った最高の作り笑顔で目の前の婚約者に笑いかけた。
「お久しぶりです、ヌレアール様。お元気にされていましたか?」
「……俺の体調はどうでもいい」
「ですが、お体は大切にされ……」
ヌレアールの自身の体調に一切興味のなさそうな返答に、レクセイナが心配そうな声音で口を開く。
好きな人では無くても、反射的に相手の体調を心配してしまう心はあった。
だが濁った灰色の目が、綺麗で美しい黒髪のレクセイナを舐め回るようにして見る。
「それよりも、お前だ」
ギタリ、と笑った男はレクセイナを指差す。
「お前の体調は変化していないか? 通常の機能を果たしているか? なにか、不備が起こっては困る。今はまだ、俺の監視下にないからな」
狂気の執着が篭もった視線に当てられて、無意識のうちに体が強ばる。
今は婚約していて、後々は私の夫になるヌレアール様には、性癖が口には出せない程、酷いと噂に聞いていた。
そして、以前の妻は惨殺したという噂も知っていた。
そういう趣味嗜好らしい。
同じ部屋にいる筈のお母様は、ヌレアール様の発言を聞いても何も口を出してこない。
お母様もお父様も、その噂を知っているのだろう。
知っていて、私をヌレアール様に嫁がせようとしている。
没落寸前の家だから、私を嫁がせる代わりに何かしらの援助を約束してもらっているのだろう。
相手は伯爵家だが、それなりの資産はもっているらしい。
私は以前の妻を惨殺した酷い趣味嗜好を持つ、歳が20個以上違う方と結婚したくない。政略結婚だとしても、私を見てくれる方が良かった。
ヌレアール様の目当ては、きっと私の血筋なのだろう。
アレノダス公爵家は、国内随一の由緒と伝統ある魔法使いを輩出する貴族家だった。
魔法の才能は、大半が遺伝によって決まる。
だから公爵家の娘である私は、結婚相手として高い存在価値があるのだろう。
ヌレアール様は、私自身を見て下さらない。
そして、私は親に言われるがまま結婚した後も、不自由な生活を送ることになるのだろう。
行動範囲も全て確認され、好きに出歩くことも出来なければ、与えられた自分の部屋で大人しく過ごしているように言われる。
他の令嬢のように、私も普通の生活がしたかった。
私の生活は、お母様とお父様の管理下にある。自分が望むように行動することは禁じられているし、自分の意見を発言することすら許されない。
そんな私の人生は、結婚することで変わることはないのだろう。
ならば、自分の手で自由を掴み取らなければ。
膝の上に置いていた私の手は、先ほどのヌレアール様の言葉の後から気がつけば震えていた。
部屋にいる誰にもバレないように、震えを止めるかのように、私は自分の手を強く握りしめた。
***
定期的な婚約者との面会は、あれから1時間ほどで終わった。
「ふぅーっ……」
やっと解放された私は、極度に張っていた気持ちを落ち着かせるかのように、ゆっくりと深呼吸をする。
屋敷の中でさえ、私は行動範囲を制限されているのだ。
その代わりに、自分の部屋は公爵家の屋敷ということを差し引いても、大きい一室が用意されていた。
婚約者に会うために上等なドレスを着て、綺麗に髪を上げていたのを侍女たちに解いてもらい、やっと普段着に戻ることができた。
薄くて透けるピンクの布地を何枚も合わせたようにして作られた、上等な一品だ。
着替え終わって、侍女たちを全員部屋の外に自然に追い出した私は、部屋にある唯一外に繋がるドアを閉めると、部屋の方へ振り返る。
「制限だらけの生活なんて、もうウンザリ」
私だって、1人の人間なのだ。
親の言いつけに逆らうことは出来ず、束縛と制限が辛くても反論する権利は与えられていないが、私にだって自分の意志がある。
嫌だからって、正面から反抗できるような勇気を私は持ち合わせていない。
お父様とお母様は、私の世界における“全て”なのだ。
2人の言うことは私にとって、国王の命令よりも絶対的なもので、直接的に逆らうことを考えただけでも、寒気が走る。
だから、2人に気づかれないように反逆するのだ!
レクセイナは、手慣れた様子で魔法の演唱を始める。
「【木魔法・ラレウッド】、【木魔法・サレフル】、【水魔法・レノバレバ】……」
高度な魔法の重ねがけによる、強力な効果が発現する。
部屋の防音機能が複数の魔法によって、一気に強化される。もし部屋で小規模な爆発が起ころうとも、廊下に音は響かないだろう。
一種の強力な魔法の空間へと変貌を遂げた自分の部屋の中で、レクセイナは強い意志を瞳に宿らせる。
部屋にある窓を振り向くと、自由な外の世界から風が入り込んできていた。
私も不自由な生活から一時ぐらいは解放されたい。自由になりたい。
こっそり屋敷から抜け出して、大冒険するんだっ……!!




