第六章:招待の真意
舞台は軍情局へ。響きは怖いですが、待っているのは師匠(半分くらい?)のクリークです。
見た目は厳ついおじさんですが、中身はただの過保護な親バカかもしれません。
「……来ねぇな」
ヴァンは黒い招待状を手に、寮の門前で空を見上げた。日はとっくに沈んでいる。約束の時間から、もう三十分は経っただろう。
迎えの馬車? 影も形もない。
使いの者? それすら来やしない。
「マジかよ。軍情局の招待状だぞ?」
普通、黒塗りの馬車が音もなく滑り込んでくるもんじゃないのか。
ヴァンは少し考え、やがて苦笑した。
「ああ、そうか。ここは『軍情局』だったな」
秘密警察が、目立つ馬車で学生寮に迎えに来るわけがない。
それに、これは『テスト』かもしれない。
「『来たければ自力で来い』ってか。まあ、時間も余ってるし、ちょっと帝都を散策するか」
ヴァンは肩をすくめ、歩き出した。
石畳の街並み、行き交う貴族の馬車、街灯に照らされた軍需品店のショーウィンドウ。辺境では見られない帝都の光景を、ヴァンはのんびりと眺めながら歩いた。
気づけば路地裏の方へ足が向き、気になった看板を追いかけ、気づいた時には、見覚えのない暗い路地の中にいた。
だが、すぐに致命的な問題に直面した。
軍情局の場所がわからない。
帝都の地図にも載っていない「存在しない施設」。
人に聞ける場所でもない。
「……あれ? ここ、さっきも通ったよな……?」
ヴァンは立ち止まった。見覚えのある路地の角。壁に刻まれた落書き。
三回目だ。
完全に迷っている。
「おや、迷子でございますかァ? 若旦那」
背後から、油の浮いたような声。
振り返ると、そこには貧相な男、自称・地図売りのワイルドが、胡散臭い笑みを浮かべて立っていた。
「帝都の裏道から、地図に載っていない軍事施設まで網羅した『特製マップ』。たったの50ゴールドで……」
「100払う。釣りはいらん」
ヴァンは即座に金貨を投げ渡した。
男が目を丸くする間に、ヴァンは地図をひったくる。
「その代わり、今後いいネタがあったら優先的に俺へ回せ。これはその手付金だ」
「へへへへっ、話の早ぇ旦那様は大好物でさぁ! あざっす、あざっす! 毎度ありィ!」
言うが早いか、男は脱兎のごとく闇に消えた。
逃げ足だけは超一流だ。
「さて……先行投資の成果を確認するか」
ヴァンは期待を込めて羊皮紙を広げ、凍りついた。
そこには、ミミズがのたうち回ったような子供の落書きと、軍情局の場所に『?』マークが一つ。
「……あの野郎、絶対に許さん」
ヴァンは地図を握りつぶした。
ヴァンは諦めかけていた。
その時
ヴァンは立ち止まった。
前方に、高い石壁に囲まれた黒い建物が見えた。
窓には鉄格子がはめ込まれ、まるで牢獄のようだ。
だが、敷地を隔てる重厚な外門のアーチには、文字が深く刻まれていた。
『真実に、階級なし』
ヴァンは立ち止まった。
その文字の下には、小さく
『フィロメラ』
名前が記されていた。
「……母さん」
呟く。
胸が、ざわついた。
フィロメラ。
俺の母親。
会ったこともない。
顔も知らない。
だが、この言葉は、確かに彼女のものだ。
そして、外門をくぐり、薄暗い前庭を抜けて建物の中へ足を踏み入れた。
内部は、予想以上に殺伐としていた。
廊下を行き交う黒いコートの男女。全員、何かに追われているかのように忙しそうだ。
書類を抱えて走る者。
大声で指示を出す者。
魔導回路を調整している者。
誰もヴァンに気づかない。
気づいても、無視している。あたかも、同僚が戻ってきたかのように。
「……」
ヴァンは黙って歩いた。
廊下を抜ける。
部屋を抜ける。
誰も止めない。
誰も声をかけてこない。
まるで、最初からここにいたかのように。
(……いいのかよ、これ)
内心、疑問に思いながらも、ヴァンは進んだ。
やがて、天井の高い広間に出た。 壁には無数の魔導ランプ。中央の大きなテーブルの奥に、白衣の男がいた。 灰白色の髪、薬品と血のシミがついた白衣。男は机に向かい、一心不乱にペンを走らせている。
「……師匠?」
ヴァンが呟くと、男はペンの動きを止めた。 ゆっくりと振り返るその顔には、深い皺と、古傷。 そして、凶悪だが、どこか懐かしい笑みが浮かんでいた。
「よう、小僧。元気にしてたか?」
耳障りだが、温かみのあるしゃがれた声。
辺境の日々。特訓の後、いつもこの声が「よくやった」と言ってくれた。師匠のいない十年以上、その声を忘れたことはなかった。
「師匠! なんでここに!?」
ヴァンは思わず駆け寄った。
「なんでって……」
男、ヘルマン・クリークは、汚れた白衣の襟を直しながら肩をすくめた。
「俺はここで働いてるんだよ」
「働いてる? ……なるほどな。やっとわかったよ」
ヴァンは頷いて部屋を見回す。
「辺境の『ただの退役軍人』にしちゃ、知識が偏りすぎてたんだよな。罠の作り方に、拷問用魔薬の調合。挙句の果てには死体の処理法……。普通の軍人が知ってるわけがねぇ」
ヴァンは視線をクリークに戻し、苦笑した。
「……師匠。あんた、ずっとスパイだったのか」
「スパイじゃねぇ。軍情局魔薬部・部長様だ」
クリークは胸を張った。
「なるほどな。……だが、一つ聞かせろ」
ヴァンは怪訝な顔で後ろの扉を指差した。
「ここ、帝国の最高機密機関だろ? なんで俺が入り口からここまで歩いてくる間、誰一人として俺を止めなかったんだ?」
クリークはニヤリと悪びれずに笑った。
「俺が事前に『今日、俺のバカな弟子が迷い込んでくるかもしれないから、お前らは自分の仕事だけして無視しろ』って各部署に通達しておいたのさ。魔薬部長の権限の無駄遣いってやつだ」
「……職権乱用にも程があるだろ」
ヴァンは呆れてため息をついた。
辺境の町。
ヴァンがまだ幼かった頃、クリークは「退役軍人」を名乗っていた。
戦場で負傷し、故郷に戻ってきたのだと。
そして、ヴァンに様々なことを教えてくれた。
応急処置の方法。魔導回路が暴走した時の対処法。毒や麻痺、混乱といった状態異常への対策。
罠の作り方。トラップワイヤー。毒針。魔薬の調合。回復薬。解毒薬。
ヴァンは、それらを全て学んだ。
クリークは厳しかったが、優しかった。
まるで、本当の師匠のように。
ヴァンは目を細めた。
「……師匠、辺境にいたのは任務だったのか?」
「察しがいいな」
クリークは笑った。
「そうだ。お前を『観察』するための任務だった」
「観察?」
「フィロメラの息子が、どんな人間に育つのか」
クリークは椅子に座った。
「それを確かめるためにな」
「……」
ヴァンは黙った。
(辺境の師匠、軍事学院の院長、そしてこの軍情局…… 俺のことを見てきた連中は、全員母さんを知っているのか)
(俺が注目される理由は、俺自身の実績じゃなく、全て『フィロメラの息子』という名前だけなのか?)
クリークは続ける。
「だが、お前は予想以上に優秀だった」
「……」
「……」
「それに、俺は色々教えた。本来の任務を超えてな」
クリークは笑った。
「まぁ、その結果……」
あの夜だ。
ヴァンの脳裏に、苦い記憶が蘇る。
*
クリークの家の前で、人影を見た。
黒いコートを着た男が数人、師匠と何か話している。そして、袋を渡していた。チャリン、と金貨の音。月明かりに、コインの鈍い輝きが見えた。
(……師匠、何してるんだ?)
黒衣の男たちが去った後。
ヴァンは近づいた。
そして、棒を振り上げた。
クリークの後頭部に
ゴッ!
高圧魔力を込めた一撃。
クリークは崩れ落ちた。
「……師匠、ごめん」
ヴァンは呟いた。
「でも、お前が裏切り者なら……」
そこで、背後から声。
「早まらないでください、ヴァン様」
振り返ると、そこにはシンカクが立っていた。
「対象は敵ではありません。退職金の受領プロセスを実行中でした」
「……は?」
「つまり、ただの事務手続きです。貴方の攻撃は、完全な誤解です」
シンカクは淡々と告げた。
「誤解です」
「……マジかよ」
ヴァンは頭を抱えた。
*
(……うわぁ、やめろやめろ。思い出したくねぇ)
ヴァンはブンブンと首を振って、黒歴史を脳裏から叩き出した。
クリークは笑った。
「あの時は本当に驚いたぞ。まさかお前に殴られるとはな」
「……すみませんでした」
ヴァンは頭を下げた。
「気にするな。だがな、その報告を帝都に上げた時、クラウス局長はひどく喜んでたぜ。『あの子は幼い頃から本当に腹黒くて、見込みがある』ってな」
クリークは手を振った。
「もういい。過ぎたことだ」
「ところで、師匠」
「ん?」
「今日、俺はクラウス局長に呼ばれたんですが……」
「ああ、それな」
クリークは懐から、何かを取り出した。
黒いバッジ。
蜘蛛の紋章が刻まれている。
「これを渡せって言われてる」
「これは?」
「特別監察官のバッジだ」
クリークはそれをヴァンに渡した。
「これがあれば、軍情局に自由に出入りできる。スパイの指揮も、部長クラスと同じ権限でな」
「局長は、お前の母さんとは古い付き合いでな。特別に目をかけているんだろう」
ヴァンはバッジを見つめた。
重い。
金属製。
そして、蜘蛛の目が、まるで生きているかのように光っている。
「……なんで、俺に?」
「さぁな」
クリークは肩をすくめた。
「局長の考えることは、俺にもわからん」
「局長は?」
「大元帥に呼ばれて、今は不在だ」
「……」
「だが、局長はお前が来ることを知っていた」
クリークは笑った。
「『あの子は必ず来る』ってな」
「……」
ヴァンは黙った。
なぜ、そう確信していたのか。
そして、なぜ、このバッジを渡すのか。
「師匠」
「ん?」
「局長は、俺に何を期待してるんですか?」
「知るか」
クリークはそっぽを向いた。
「だが、一つ言えることがある」
「何ですか?」
「局長は、フィロメラの親友だった」
「……」
「そして、お前の母親を心から尊敬していた」
クリークは真剣な目でヴァンを見た。
「だから、お前にも期待しているんだろう」
「……」
ヴァンはバッジを握りしめた。
「わかりました」
「おう」
クリークは頭を撫でた。
「頑張れよ、小僧」
「……はい」
軍情局を出た後。
ヴァンは再び門の前に立っていた。
夜風が冷たい。
(クラウス)
(母さんの親友か)
手の中のバッジが、熱を帯びているように感じる。
これはただの通行証ではない。
軍情局の全ての情報にアクセスできる鍵であり、帝都の権力の裏側に足を踏み入れるチケットなのだろう。
「こちらの側に来い」という、悪魔の招待状だ。
(……面倒なことになったな)
断る理由が、見当たらなかった。
このバッジがあれば、母の死の真相を隠しているファイルにも手を出せる。生まれて一度も会ったことのない父親、帝国大元帥に近づくための足がかりにもなる。
この蜘蛛の糸を辿るしかないのだ。
ヴァンはバッジを懐にしまい、闇夜に消える寮への道を歩き出した。
【第六章・終】
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