第四十一章:残り火
大きな騒ぎの後始末の回になります。
戦いは終わりましたが、残ったものは意外と多いものです。
傷とか、借りとか、
そして——まだ消えきらない火とか。
それでは、第四十一話。
よろしくお願いします。
帝都の朝を告げる鐘の音。廊下を慌ただしく駆けていく士官候補生たちの足音。
帝都軍事学院、早朝点呼。
ヴァンが短く「はっ」と声を上げると、担当教官の視線が一瞬だけ彼の手元で止まった。
制服の袖口から、痛々しい白い包帯がわずかに覗いている。だが教官は何も言わず、次の者へと視線を移した。ヴァンも沈黙を貫く。
点呼が終わるや否や、ヴァンは踵を返した。
(……幕は、まだ下りちゃいない)
脳裏で舌打ちする。舞台袖の暗がりで、いけしゃあしゃあと笑っている奴がいる。それだけは確かだった。
帝国軍中央医療院。
魔導薬の匂いが漂う白い廊下を抜け、ヴァンは迷わず特別病室の扉を開けた。
「よう」
ベッドの上に横たわるアイリが、わずかに片目を開けた。
顔の半分を覆う痛々しい包帯。左腕は魔導ギプスで厳重に固定されている。それでも、こちらを睨みつける眼光だけは相変わらずだった。鋭く、飢えた野良犬の目。
「……ボス」
掠れた声で、短く吠える。
ヴァンはパイプ椅子を引き、ベッドの脇にどっかと腰を下ろした。
「具合は?」
「最悪」
「違いねえ」
アイリはため息を吐き、忌々しそうにヴァンの顔を見た。
「……ボスは無事なのかよ」
「見ての通りだ」
「嘘くせぇ」
「事実だ」
ふと、病室の外から馬車の蹄の音が聞こえた。
「——シンカクは戻ったか?」
アイリが、核心を突くように尋ねた。
「ああ」
ヴァンは短く答える。
「ビリィも一緒に連れ戻した」
アイリが激痛に顔を歪めながらも、無理やり上体を起こそうとする。
「ッ——!」
「やめとけ」
ヴァンは低く、しかし有無を言わさぬ冷たさで制した。
「寝てろ」
「でもっ……!」
「寝てろと言った」
ギリッと歯を食いしばり、アイリは渋々ベッドに背中を預けた。
「チッ……オレはアンタのために命張ったんだぜ、このクソボス」
「知ってる」
「それでもかよ」
「それでも、だ」
ヴァンは少し間を置き、言葉を継いだ。
「後でアイツをここへ連れてくる」
アイリの片目が、微かに揺れた。
「……ほんとに?」
「ああ」
ヴァンは右手を見下ろした。包帯の下で、酷使した魔導回路がまだ悲鳴を上げている。
「俺もまだ魔力が戻り切っちゃいない。中途半端な状態で高圧魔力を使っても無駄だ。もう少し待て」
「……早くしろよなっ」
「声がでかい」
不満げにそっぽを向くアイリを見て、ヴァンは立ち上がった。
病室を出ようとノブに手をかけた瞬間、背後から声が飛んだ。
「……なあ」
「何だ」
「あと二人は」
ヴァンの足が止まる。
「死んだ」
間を置かずに、答えた。
病室が静寂に包まれる。
窓の外で、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
「——そうか」
半歩、廊下に踏み出したヴァンの背中に、アイリの呟きが届く。
「……あの馬鹿ども、立派だったぜ」
ヴァンは振り返らなかった。
「ああ」
静かに、扉を閉めた。
帝都の一角にある隠れ宿。
窓から差し込む朝日に照らされ、シンカクが丸椅子に真っ直ぐ座っていた。
向かいのベッドには、白い毛布にくるまった小さな影——金糸の髪の少女、ビリィが小さく肩をすぼめていた。
ガチャリと扉が開く。ヴァンが入室した瞬間、ビリィの体がビクッと跳ねた。
大きな藍色の瞳が、怯えきった色を浮かべてヴァンを捉える。無理もない。血の匂いと傷跡をまとった、見知らぬ帝国軍人なのだから。
シンカクがゆっくりと振り向いた。
「ヴァン」
そして、ビリィに向き直り、淡々と告げた。
「この者はヴァン・ラークです。悪い人間ではありません」
相変わらず抑揚のない、事実だけを述べる声だった。
ビリィは毛布をぎゅっと握りしめ、おずおずとヴァンを見上げた。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。
「……あなたが、ヴァンさん、ですか……?」
消え入りそうな声。毛布を握る小さな指の関節が、白くなるほど震えていた。
「シンカクお姉ちゃんが……治してくれるって……本当ですか……?」
ヴァンは肩をすくめた。
「やれることはやる。だが、確約はできねぇがな」
突き放すような物言いに、ビリィは息を呑んだ。だが、すぐに決意したようにヴァンを真っ直ぐに見つめ返す。
ヴァンはその場にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「姉貴に会いたいか」
ビリィの目が大きく見開かれた。
「アイリお姉ちゃん、元気ですか?」
「元気じゃないが、生きてる。お前のことが心配で、病室でうるせぇくらい吠えてる」
「っ……!」
ぽろぽろと、涙がビリィの頬を伝った。ずっと気を張っていたのだろう。安堵で顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も頷く。
「……会いたいっ、お姉ちゃんに、会いたい……っ!」
「よし。行くぞ」
医療院の特別病室。
扉が少し開くや否や、ビリィが弾かれたように病室へ飛び込んだ。
「——お姉ちゃん!」
ベッドの上のアイリが、信じられないものを見るように目を見開く。
「ッ——ビリィ!?」
ギプスも包帯もお構いなしに、アイリが無理やり身を乗り出した。
「こっち来い、ビリィ——ッ!」
「お姉ちゃぁんっ!」
ビリィが縋りつくように、アイリの胸に飛び込む。
「——ぐぅッ」
「あ、お姉ちゃん!? ごめん、痛いだろ!?」
「痛く、ねえ! 全然……いってぇ……ッ」
「絶対痛いじゃんっ!」
「オレが痛くないって言ってんだから痛くねえんだよっ!」
アイリは唇を噛み締めながらも、右腕で妹の細い背中をきつく抱きしめた。
少し開いた扉の隙間から、ヴァンとシンカクはその光景を静かに眺めていた。
シンカクは何も言わない。ヴァンも沈黙したままだ。
白亜の廊下に、やわらかな光が長く伸びていた。
「ヴァンは、これからどうする」
不意に、シンカクが淡々と問う。
「調査を続ける」
「黒幕の件か」
「ああ。必ず引っ張り出す」
シンカクは少し間を置いた。
「私には何をさせる」
ヴァンは腕を組み、軽く目を閉じた。
少し考えてから、口を開く。
「——今は、ビリィの面倒を見てやってくれ」
シンカクは仮面をヴァンへと向け、じっと動かなかった。
「目処が立ったら声をかける。面倒なことになったときは、また頼む」
「……了解しました」
シンカクはそれだけを言い残し、真っ直ぐに前を向いた。
「引き続き試してみます。記憶の件は」
「ああ、任せる」
病室からは、まだ姉妹の言い合う声が漏れ聞こえていた。
「馬鹿、心配かけんな!」
「お姉ちゃんの方が心配だわ!」
ヴァンは小さく息を吐き、踵を返した。
翌朝。軍情局へと続く大通り。
石畳に朝の光が反射する中、ヴァンは包帯を替えたばかりの右手を軍服のポケットに突っ込み、気怠げに歩いていた。
刺客の件。傭兵移送の件。そして、マルクスとルキウスの思惑。
(絡まった糸は何本もある。どこから手をつけるか……)
じくり、と右腕が軋んだ。鬱陶しい痛みを無視して歩を進める。
「——旦那ァ」
不意に、耳元でねっとりとした声がした。
ヴァンは歩調を変えずに前を向いたまま口を開く。
「どこから湧いた」
「へへっ、路地裏のドブの中からですよォ」
いつの間にか、ワイルドが横に並んで歩いていた。両手をもみ手のように擦り合わせながら、目線だけを周囲にギョロギョロと這わせている。
周囲に人目がないことを確認すると、ワイルドは声を一段と潜めた。
「実はですァ、旦那」
石畳を這うような、低い声で。
「軍情局が、少々面白ぇモンを掴みやしてね……あっし、小耳に挟んじまったんですよォ」
【第四十一章・終】
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