表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

45/60

第四十一章:残り火

大きな騒ぎの後始末の回になります。

戦いは終わりましたが、残ったものは意外と多いものです。


傷とか、借りとか、

そして——まだ消えきらない火とか。


それでは、第四十一話。

よろしくお願いします。

帝都の朝を告げる鐘の音。廊下を慌ただしく駆けていく士官候補生たちの足音。


帝都軍事学院、早朝点呼。

ヴァンが短く「はっ」と声を上げると、担当教官の視線が一瞬だけ彼の手元で止まった。

制服の袖口から、痛々しい白い包帯がわずかに覗いている。だが教官は何も言わず、次の者へと視線を移した。ヴァンも沈黙を貫く。

点呼が終わるや否や、ヴァンは踵を返した。


(……幕は、まだ下りちゃいない)


脳裏で舌打ちする。舞台袖の暗がりで、いけしゃあしゃあと笑っている奴がいる。それだけは確かだった。




帝国軍中央医療院。


魔導薬の匂いが漂う白い廊下を抜け、ヴァンは迷わず特別病室の扉を開けた。


「よう」


ベッドの上に横たわるアイリが、わずかに片目を開けた。


顔の半分を覆う痛々しい包帯。左腕は魔導ギプスで厳重に固定されている。それでも、こちらを睨みつける眼光だけは相変わらずだった。鋭く、飢えた野良犬の目。


「……ボス」


掠れた声で、短く吠える。


ヴァンはパイプ椅子を引き、ベッドの脇にどっかと腰を下ろした。


「具合は?」

「最悪」

「違いねえ」


アイリはため息を吐き、忌々しそうにヴァンの顔を見た。


「……ボスは無事なのかよ」

「見ての通りだ」

「嘘くせぇ」

「事実だ」


ふと、病室の外から馬車の蹄の音が聞こえた。


「——シンカクは戻ったか?」


アイリが、核心を突くように尋ねた。


「ああ」


ヴァンは短く答える。


「ビリィも一緒に連れ戻した」


アイリが激痛に顔を歪めながらも、無理やり上体を起こそうとする。


「ッ——!」


「やめとけ」


ヴァンは低く、しかし有無を言わさぬ冷たさで制した。


「寝てろ」

「でもっ……!」

「寝てろと言った」


ギリッと歯を食いしばり、アイリは渋々ベッドに背中を預けた。


「チッ……オレはアンタのために命張ったんだぜ、このクソボス」

「知ってる」

「それでもかよ」

「それでも、だ」


ヴァンは少し間を置き、言葉を継いだ。


「後でアイツをここへ連れてくる」


アイリの片目が、微かに揺れた。


「……ほんとに?」


「ああ」


ヴァンは右手を見下ろした。包帯の下で、酷使した魔導回路がまだ悲鳴を上げている。


「俺もまだ魔力が戻り切っちゃいない。中途半端な状態で高圧魔力を使っても無駄だ。もう少し待て」


「……早くしろよなっ」


「声がでかい」


不満げにそっぽを向くアイリを見て、ヴァンは立ち上がった。


病室を出ようとノブに手をかけた瞬間、背後から声が飛んだ。


「……なあ」

「何だ」

「あと二人は」


ヴァンの足が止まる。


「死んだ」


間を置かずに、答えた。

病室が静寂に包まれる。

窓の外で、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。


「——そうか」


半歩、廊下に踏み出したヴァンの背中に、アイリの呟きが届く。


「……あの馬鹿ども、立派だったぜ」


ヴァンは振り返らなかった。


「ああ」


静かに、扉を閉めた。




帝都の一角にある隠れ宿。

窓から差し込む朝日に照らされ、シンカクが丸椅子に真っ直ぐ座っていた。


向かいのベッドには、白い毛布にくるまった小さな影——金糸の髪の少女、ビリィが小さく肩をすぼめていた。

ガチャリと扉が開く。ヴァンが入室した瞬間、ビリィの体がビクッと跳ねた。

大きな藍色の瞳が、怯えきった色を浮かべてヴァンを捉える。無理もない。血の匂いと傷跡をまとった、見知らぬ帝国軍人なのだから。


シンカクがゆっくりと振り向いた。


「ヴァン」


そして、ビリィに向き直り、淡々と告げた。


「この者はヴァン・ラークです。悪い人間ではありません」


相変わらず抑揚のない、事実だけを述べる声だった。


ビリィは毛布をぎゅっと握りしめ、おずおずとヴァンを見上げた。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まっている。


「……あなたが、ヴァンさん、ですか……?」


消え入りそうな声。毛布を握る小さな指の関節が、白くなるほど震えていた。


「シンカクお姉ちゃんが……治してくれるって……本当ですか……?」


ヴァンは肩をすくめた。


「やれることはやる。だが、確約はできねぇがな」


突き放すような物言いに、ビリィは息を呑んだ。だが、すぐに決意したようにヴァンを真っ直ぐに見つめ返す。

ヴァンはその場にしゃがみ込み、視線を合わせた。


「姉貴に会いたいか」


ビリィの目が大きく見開かれた。


「アイリお姉ちゃん、元気ですか?」

「元気じゃないが、生きてる。お前のことが心配で、病室でうるせぇくらい吠えてる」

「っ……!」


ぽろぽろと、涙がビリィの頬を伝った。ずっと気を張っていたのだろう。安堵で顔をくしゃくしゃにして、何度も何度も頷く。


「……会いたいっ、お姉ちゃんに、会いたい……っ!」


「よし。行くぞ」




医療院の特別病室。


扉が少し開くや否や、ビリィが弾かれたように病室へ飛び込んだ。


「——お姉ちゃん!」


ベッドの上のアイリが、信じられないものを見るように目を見開く。


「ッ——ビリィ!?」


ギプスも包帯もお構いなしに、アイリが無理やり身を乗り出した。


「こっち来い、ビリィ——ッ!」


「お姉ちゃぁんっ!」


ビリィが縋りつくように、アイリの胸に飛び込む。


「——ぐぅッ」

「あ、お姉ちゃん!? ごめん、痛いだろ!?」

「痛く、ねえ! 全然……いってぇ……ッ」

「絶対痛いじゃんっ!」

「オレが痛くないって言ってんだから痛くねえんだよっ!」


アイリは唇を噛み締めながらも、右腕で妹の細い背中をきつく抱きしめた。


少し開いた扉の隙間から、ヴァンとシンカクはその光景を静かに眺めていた。

シンカクは何も言わない。ヴァンも沈黙したままだ。

白亜の廊下に、やわらかな光が長く伸びていた。


「ヴァンは、これからどうする」


不意に、シンカクが淡々と問う。


「調査を続ける」


「黒幕の件か」


「ああ。必ず引っ張り出す」


シンカクは少し間を置いた。


「私には何をさせる」


ヴァンは腕を組み、軽く目を閉じた。

少し考えてから、口を開く。


「——今は、ビリィの面倒を見てやってくれ」


シンカクは仮面をヴァンへと向け、じっと動かなかった。


「目処が立ったら声をかける。面倒なことになったときは、また頼む」


「……了解しました」


シンカクはそれだけを言い残し、真っ直ぐに前を向いた。


「引き続き試してみます。記憶の件は」


「ああ、任せる」


病室からは、まだ姉妹の言い合う声が漏れ聞こえていた。


「馬鹿、心配かけんな!」


「お姉ちゃんの方が心配だわ!」


ヴァンは小さく息を吐き、踵を返した。




翌朝。軍情局へと続く大通り。

石畳に朝の光が反射する中、ヴァンは包帯を替えたばかりの右手を軍服のポケットに突っ込み、気怠げに歩いていた。

刺客の件。傭兵移送の件。そして、マルクスとルキウスの思惑。


(絡まった糸は何本もある。どこから手をつけるか……)


じくり、と右腕が軋んだ。鬱陶しい痛みを無視して歩を進める。


「——旦那ァ」


不意に、耳元でねっとりとした声がした。

ヴァンは歩調を変えずに前を向いたまま口を開く。


「どこから湧いた」


「へへっ、路地裏のドブの中からですよォ」


いつの間にか、ワイルドが横に並んで歩いていた。両手をもみ手のように擦り合わせながら、目線だけを周囲にギョロギョロと這わせている。

周囲に人目がないことを確認すると、ワイルドは声を一段と潜めた。


「実はですァ、旦那」


石畳を這うような、低い声で。


「軍情局が、少々面白ぇモンを掴みやしてね……あっし、小耳に挟んじまったんですよォ」




【第四十一章・終】

面白いと感じていただけたら、

フォローや★評価で応援していただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ