第三章:帝都はすでに見ている
本作を開いていただき、ありがとうございます。
第3章になります。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
目を覚ました時
視界に映ったのは、銀色の仮面。
ヴァンは、柔らかい何かに頭を預けていた。
膝枕。
「……あー」
ヴァンが小さく呻く。
「また、か」
「はい」
シンカクの声が、真上から降ってくる。
「これで、二十三回目です」
「……数えてたのかよ。悪ぃな、また世話かけた」
「仕事ですので」
シンカクは短く答えた。
だが、ヴァンが起き上がった後も、彼女の手は名残惜しそうに、彼が寝ていた膝の上を一度だけ撫でた。
ヴァンは苦笑しながら身体を起こした。
胸の痛みは、もう、ない。
高圧魔力の副作用。
使いすぎれば、魔導回路が暴走する。
それは、もう慣れたことだ。
(小さい頃から、ずっとこうだったな)
ヴァンの視線が、シンカクの白い手に落ちる。
華奢で、美しい手。
だが、ヴァンは知っている。この手がどれほど凶暴かということを。
脳裏に、古い記憶が蘇る。
辺境の屋敷。まだ十歳にもならない頃。
ヴァンは母の遺したノートを読み漁っていた。
高圧魔力の理論。
難解な数式。
だが、理論と実践は別物だ。
何度も魔導回路が暴走し、血を吐いた。
そのたびに、
シンカクが無言で治療してくれた。
ある日、ヴァンは尋ねた。
「なぁ、シンカク」
「はい」
「この魔力、どうやったら制御できるようになる?」
シンカクは、
少しだけ考えて、答えた。
「私が殴ります。あなたは避けてください」
「……は?」
シンカクが淡々と続ける。
「身体で覚えてください。死ぬ気で避ければ、回路は勝手に最適化されます」
「いや、待て。理屈はわかるが、」
「準備はいいですね?」
ブンッ!!
シンカクの拳が、
容赦なく、ヴァンの顔面を薙ぎ払った。
「うおおおぉぉぉ!?」
(説明と同時に殴るな!!)
、地獄の特訓が、始まった。
毎日。
毎日。
シンカクに殴られ、蹴られ、投げ飛ばされた。
だが、
確かに、効果は劇的だった。
魔力の制御精度は飛躍的に向上し、暴走の頻度も減った。
地獄だったが、確実に強くなった。
「……懐かしいな」
ヴァンが呟く。
そして、少しだけ、自嘲気味に笑った。
「最近、サボってたからな。体が鈍っちまったのかも」
「……」
シンカクが、ヴァンをじっと見つめる。
「必要であれば」
「今すぐ再開しますか?」
ヴァンの顔が引きつった。
「いや、遠慮しとく」
「準備はいいですね?」
「人の話を聞け! 冗談だ!」
シンカクは、
握りかけていた拳を、スッと下ろした。
「……そうですか。残念です」
「お前、絶対楽しんでるだろ」
「ボス、生きてたかー?」
御者台から、アイリの声が聞こえてきた。
ぶっきらぼうだが、どこか安堵した声色だ。
「ああ、生きてる」
ヴァンが答える。
「お前こそ、ちゃんと御者できてるか?」
「失礼な! もう慣れたっつーの!」
「……そうかよ」
ヴァンは、
ふと、母のことを考えた。
フィロメラ。
彼女が遺した高圧魔力の理論。
あれは、
魔法を、科学的に解体したものだった。
ノートに書かれていたのは、魔法ではなかった。
数式。
グラフ。
実験データ。
(母さんは、何者だったんだ?)
この世界の魔法使いたちは、感覚と経験、そして血統で魔法を使う。
だが、母は違った。
全てを数式と実験で解き明かそうとしていた。
(もしかして、)
(この理論……まるで、魔法を感覚ではなく構造として見ている人間が書いたみたいだ)
「なぁ、シンカク」
ヴァンが口を開いた。
「はい」
「お前、母さんのこと……覚えてるか?」
沈黙。
車輪が泥を噛む音だけが、重く響く。
「……いいえ。覚えていません」
シンカクの回答が、
いつもより、コンマ数秒遅かった気がした。
「何も、思い出せないのか?」
シンカクが静かに首を横に振った。
「……ただ、彼女の名前だけは覚えている。フィロメラ」
「それ以外は……何も」
「理由は?」
「わかりません。思い出せないんです」
仮面の下の表情は見えない。 だが、その声はどこか、迷子になった子供のように聞こえた。
ヴァンは、
目を閉じた。
(そうか)
(記憶喪失なのか? それとも、人為的に消されたのか?)
彼が最初にこの世界で目覚めた時、
まだ赤ん坊だった。
そして、
シンカクが、彼を抱えて逃げていた。
何かから。
誰かから。
剣と剣が打ち合う金属音。
肉が裂ける音。
魔術の閃光と、鼻をつく血の匂い。
詳細は覚えていない。
赤ん坊の記憶など、断片的なノイズでしかない。
だが、
確実に、何かが起きた。
そして、
シンカクは、その時の記憶を失っている。
いや、奪われている。
(何があったんだ?)
(母さんに? 俺に? そしてシンカクに?)
「……そっか」
ヴァンは短く答えた。
それ以上は、聞かなかった。
数日後。帝都アイゼングラード。
道の先に、
規格外の巨影が現れた。
それは、城壁という言葉では生温い。
黒鉄で山脈をコーティングしたような、狂気の要塞都市。
「……うっわ」
御者台のアイリが呻いた。
「デカすぎだろ……マジかよ」
灰燼城の城壁など、子供の砂遊びに見える。
高さ、厚さ、そして展開されている多重魔導防壁の密度、
全てが、桁違いだ。
「さすが、大陸最強の軍事国家の首都か」
ヴァンが呟く。
「鉄の都……名前通りの可愛げのない街だな」
だが、
ヴァンの目が、ある一点で止まった。
城門。
そこには長い、長い列ができていた。
商人、旅人、兵士…… 全員が、城門の前で厳しい検問を受けている。
一人一人、魔導スキャナーまで使って、身元と魔力反応を確認しているのが丸見えだ。
(ふん、案の定厳しいな。まあ、帝都の門番がこんなもんだろう)
ヴァンは車内から検問の様子を眺めながら、鼻で笑った。
(まあ、アイリが亜人だとバレるリスクは、帝都に向かう時点で計算済みだ。ベルンハルト直筆の招待状で最低限の権限は通るし、「軍事学院研究用サンプル」の偽造書類も事前に用意した。まず間違いなく通る)
ここは人間至上主義の軍事国家。 スキャンされて「亜人」だとバレれば、その場で拘束、最悪、処刑もありえる。
アイリは、 城門を見つめながら、ガタガタと震えていた。 手綱を握る指が、白くなっている。
「……ボス」 アイリが小さく、消え入りそうな声で呟く。
「オレ、大丈夫かな……」
「安心しろ」 ヴァンが小声で囁いた。 「策はある。……ちょっと強引だが、まず間違いなく通る」
ヴァンが馬車から顔を出した時、
城門の向こうに、黒い人影が見えた。
一瞬、目が合う。
冷たく、鋭い視線 —— まるで、俺の正体を最初から知っているかのような。
だが、次の瞬きをする間に、その影は人混みに紛れて消えていた。
ヴァンは眉をひそめ、懐のノートを指で押さえた。
(……監視か。それとも、ただの気のせいか)
(灰燼城の戦果で名前が漏れたのか、それとも……別の理由で俺を見ているのか)
(どちらにせよ、この帝都には、すでに俺の存在を知っている何者かがいる)
【第三章・終】
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