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幕間Ⅰ 鷹の叱責

帝国の頂点に立つ人物が、

どのような視座で物事を見ているのか。


今回はその一端を描いたつもりです。


圧迫感や重みが伝わっていれば、

作者としてこれ以上の喜びはありません。


大元帥府の最奥。最高統帥の執務室は、常に重苦しい静寂に包まれていた。


ステンドグラスの窓から差し込む斜陽が、分厚い深紅の絨毯の上に細長く伸びている。壁際には帝国全土と周辺諸国を網羅した巨大な軍用地図。黒檀の机の上には、未決裁の書類の山。


その机の傍らに、一人の女が影のように立っていた。

年の頃は三十代半ば。一切の装飾を排した、漆黒のメイド服。


メイド長は音もなく、寸分の狂いもない動作でティーポットを傾けた。

呼吸の音すらなく、存在感は限りなく薄い。





扉が開いた。


入室してきたのは二人。第一軍団長たる巨躯の将、マルクス・ソル。

次いで、緋色のタイトな軍装風ドレスに身を包んだ妖艶な女――大元帥の養女にして、全軍団長から『御大姉』と畏怖される女傑、コルネリア・フォン・ローゼンクロイツだ。


二人は執務机の前で深々と片膝をついた。


部屋には大元帥とメイド長のほかに、もう一人。入り口の扉を背にした壁際の暗がりに、近衛統領ガイウスが影のように控えていた。


大元帥アクィラ・ソルは、書類から目を上げなかった。

ただ、低い声で名を呼んだ。


「ガイウス」


壁際の暗がりから、近衛統領が一歩前に出た。


「報告いたします」


近衛統領は、感情のない事務的な声で状況を読み上げた。


「昨日、ヴァン・ラーク殿が学院からヴァレリアン邸へ帰還する経路上において、特別高等警察の私服要員数名と、一体の亜人が待機しておりました。

彼らの手筈としては、亜人がヴァン殿に接触し『敵国からの機密情報』を手渡すふりをした瞬間に特高が踏み込み、通敵の現行犯として逮捕する――という稚拙な罠であります」


マルクスの肩が、ほんのわずかに動いた。


「大元帥閣下の命により、私が近衛部隊を率いて現場に先行。特高要員および亜人を含め、全員を『処理』いたしました。――以上であります」


執務室に、死のような静寂が戻った。

メイド長が静かにティーカップをソーサーに置く、陶器の微かな音だけが響いた。




床に膝をついた二人は、瞬時に理解した。

これは、問責だ。


マルクスは一拍の沈黙の後、覚悟を決めて口を開いた。


「……私の失態です。私が、独断で動きました」


声は大きかった。

それが彼の流儀だった。

言い逃れはしない。どんな泥を被ろうと、前に出る。


対して、コルネリアは冷たい彫像のように黙っていた。

(……馬鹿な男ですわ。独断で動くから、尻尾を掴まれるのです)

彼女の内心には、義弟に対する冷ややかな嘲笑があった。


彼女はすでに、関与した者を全員処理していた。

証言できる人間は、もうこの世にいない。


アクィラは羽ペンを置き、書類からゆっくりと目を上げた。


「立て」


二人が立ち上がる。

アクィラは、ただ無言で二人を見据えた。

それだけで、歴戦の猛将であるマルクスの背中にじっとりと冷や汗が滲んだ。


「マルクス」


「はっ」


「最近、第三軍団の指揮系統にまで手を突っ込んでいるようだな。次期総帥の座を巡って、ルキウスと張り合っているのか」


マルクスは即座に頭を下げた。

「……度が過ぎておりました。以後は慎みます」


アクィラは鼻を鳴らし、ふと視線を横へ流した。


「現在、『フィロメラ工房』は誰が管理している?」


唐突な話題の転換。

マルクスは一瞬戸惑い、隣に立つコルネリアへと横目を向けた。


「……コルネリア姉上が、総括して管理しております」


アクィラの目が、猛禽類のように細められた。


「余は、誰が帳簿をつけているかなどと聞いた覚えはない。帝国軍の心臓たるあの工房を、実質的に誰が『制御』しているかと聞いたのだ」


その言葉に、コルネリアの細い喉が微かに動いた。

何かを弁明しようと唇を開きかけたが、声は出なかった。


アクィラは再びマルクスに視線を戻した。その目は、静かに、だが決定的に怒っていた。


「マルクス。お前は第一軍団長だ。十万の兵を持っている。対して、ルキウスの第二軍団は五万だ」


「はっ」


「だが、工房を持つのはルキウスだ」


マルクスは黙った。


「数ではお前が勝る。だが、現在ルキウスはあの手この手で工房の技術者たちを自陣営に引き入れようと画策している」


マルクスの顔から、血の気が引いた。


「棍棒を振り回すだけの十万人と、完全武装した高火力魔導兵団が正面から激突すれば、どうなるか。……戦場を知るお前なら、わかるな?」


「……わかります」


「ならばなぜ工房を放置する」


答えが出てこなかった。


アクィラは重厚な机の前を離れ、執務室の窓辺へと歩み寄った。

窓の外には、宵闇に沈みゆく広大な帝都の街並みが広がっている。


「お前たちは、この帝国が何を動力源にして動いていると思う」


マルクスが絞り出すように答えた。

「絶対的な武力と、大元帥閣下への忠誠――」


「違う」


冷徹な一言が、将軍の声を切り捨てた。


アクィラは窓の外の帝都を見下ろしたまま、低い声で続けた。


「血と魔法で、この帝国の民の心に築き上げた『塔』だ。名もなき平民が上を目指せると信じ、最前線の兵が、自分の死に意味を見出せると信じる」


「お前たちは、その塔の根元で何をした?」


アクィラが振り返った。

その眼光に、二人は呼吸を忘れた。


「たった一人の軍校生を追い落とすために、敵国ノストラの亜人を罠の道具として使った。それも、二度もだ」


声は低かった。怒鳴ってなどいない。

だからこそ、重かった。


「もしそれが兵営に伝わったとする。自分たちが命を懸けて戦っている敵国の亜人が、あろうことか軍の上層部によって『自国民の政敵を潰すための手駒』として帝都に招き入れられていると、兵士たちが知ったとする」


アクィラは一歩、二人に近づいた。


「その時、奴らは次の戦場で、迷いなく前に出るか?」


マルクスは深く俯いた。巨躯が微かに震えていた。

「……出ません」


「そうだ。軍の心が散れば、誰も戦わない。誰も戦わなければ、この帝国は崩壊する」


アクィラは机に戻り、その分厚い天板を指の関節で二度、コツ、コツ、と叩いた。

死の宣告のような低い音が響いた。


「下がれ」


マルクスは、顔面を蒼白にしながら深く頭を下げた。

「……下官、肝に銘じます」


コルネリアも無言で礼をした。


二人が逃げるように執務室を退出する。

重い扉が閉まる。


メイド長が、何事もなかったかのように新しい茶を注いだ。

アクィラは再び未決裁の書類に目を落とす。


執務室に、静寂が戻った。




大元帥府の長い回廊に出ると、マルクスはしばらく無言で歩き続けた。


雷を落とされたわけではない。むしろ、淡々と事実を突きつけられただけだ。だが、両足は鉛を括り付けられたように重かった。


コルネリアの動揺の色は、表面には出ていない。


マルクスは、隣を歩く義姉の整った横顔を盗み見た。

「……閣下は、結局何が言いたかったのだ? あの私生児を庇ったのか?」


「言葉通りの意味ですわよ、やり方が稚拙すぎた。軍の士気に影響が出るような三流の小細工はするな、と」


「……つまり、ヴァン・ラークを追い落とすこと自体は――」


「ええ。止めるなとは、一言もおっしゃっていませんでしたわ」


コルネリアはヒールの音を響かせ、歩みを止めなかった。

だが、極端に魔力の低い彼女の目には、将軍たちとは違う盤面が見えていた。


「方法を変えるだけのことですわ。正面からではなく、彼自身が築いたものを利用すればよろしくてよ」


マルクスは眉を寄せた。

「どの方向だ」


コルネリアの形の良い唇が、弧を描いて緩やかに吊り上がった。


「彼の名声が最も大きい領域から、崩しますの」


「……それは」


「ええ。幽霊進軍ですわ」


短い言葉が、廊下に落ちた。


マルクスは、その言葉が意味する致命的な罠の深さを測るように、押し黙った。


コルネリアは先へ進む。





【幕間Ⅰ・終】

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