第十一章:流行の渦と静寂の少女
それは――見た瞬間、思わず名前を叫びたくなるような代物だった。
これはもう、現代日本人の抗えない本能だと思うんです(笑)。
今回、新しい人物が登場します。
作者としては、正直に言います。
――一度でいいから、ああいう出会いを体験してみたい。
それから二日ほど、学院の生活は表面上は平穏だった。授業を受け、演習に参加し、寮に戻って休む、普通の学生と変わらない日常。だが、ヴァンの頭の中には常に一つのことが引っかかっていた。ビリィの救出。そして、あのバッジの謎。
夜になると、アイリが窓から忍び込んでくる。
最初の夜、彼女は相変わらず警戒心を隠さず、低い声で問いかけてきた。
「で、どうなってんだ? お前、本当に動く気あんのかよ?」
「もう動いてる」
ヴァンは椅子に座ったまま答えた。
「シンカクを偵察に向かわせた。お前が教えてくれた場所を調べてる」
「……本当か?」
アイリは疑わしそうな目をした。
「本当だ。夜、シンカクが宿屋に戻ってきてないだろ?」
アイリは少し考えた。
確かに、ここ数日、あの白い仮面の女を見ていない。
彼女は少しだけ表情を緩めた。
「……そっか。お前、ちゃんとやってくれてんだな」
「当たり前だ。契約だろ」
ヴァンは椅子に座り直した。
「そういや、今はどこに泊まってる? 俺が渡した金で、空き家か何か借りたんじゃないのか?」
「無理だった」
アイリは不機嫌そうに吐き捨てた。
「この帝都じゃ、亜人が家を借りるには『身元引受人』がいるんだとさ。金があっても門前払いだ」
「……差別か」
「ああ。だから今は、下層区の安宿に潜り込んでる」
アイリは懐から、粗末な紙切れを取り出して見せた。
「シンカクが偽の身分証を作ってくれたおかげで、なんとか部屋は確保できたが……」
「宿代は?」
「一泊五ゴールド。手持ちじゃあと五日が限界だな」
アイリは低く唸った。
「妹を救出した後の『隠れ家』も確保しなきゃならねぇし、無駄遣いできねぇんだ」
「……なるほどな」
(やはり、帝都の亜人差別は根深いか)
ヴァンは懐から革袋を取り出し、アイリに投げた。
チャリ、と重い音がする。
「追加の活動資金だ。安い宿じゃ食事もろくなもんが出ないだろ? 体力つけとけ」
「……!」
アイリは袋を受け取り、中身を確認して目を見開いた。
「……サンキュー。オレ、お前のこと信じるわ」
そう言って、彼女は窓から飛び出していった。
一方で、エレナとの関係も変化していた。彼女は毎日のように中庭の東屋にやってきて、ヴァンに声をかける。
「……ごきげんよう、お、お兄様」
「よう。今日もやるか?」
「当然ですわ! あの屈辱を晴らすまでは、何度でも挑ませていただきます!」
もう「ヴァン様」でも「あなた」でもない。「お兄様」だ。
まだ顔を真っ赤にして、呼ぶたびに少し顔を背けるのが可愛らしい、慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「また負かしに来たのか?」
ヴァンは笑いながら戦棋盤に向かった。
「今日こそは勝ちますわ。お兄様の戦術、もう読めてきましたもの」
「ほう、それは楽しみだな」
だが、ヴァンは再び新しい拡張パックを取り出した。エレナの目が輝く。
「また新しいルールですの?」
「ああ。今回は三つ追加する」ヴァンは小さな駒を並べ始めた。「まず、『昇格』システムだ」
「昇格?」
「既存の駒を、資源を使って上位ランクに昇格させられる」ヴァンは駒を指差した。「例えば、C級をB級に昇格させるコストは資源2つ。B級をA級にするなら資源3つだ」
エレナは少し考え込んだ。「つまり……新しく高ランクの駒を配置するより、安く戦力を強化できる、と?」
「その通り。ただし、昇格させられるのは生き残ってる駒だけだ。一度倒されたら」
「元には戻らない、ですわね」
「そういうこと」ヴァンは頷いた。「だが、もう一つある。『リクルート』システムだ」
「リクルート?」
「倒された駒を、資源を使って指揮部で再配置できる」ヴァンは説明した。「ただし、コストは昇格より高い。C級を再配置するのに資源4つ、B級なら6つ必要だ」
エレナの目が鋭くなった。「なるほど……倒された駒も完全には失わないが、昇格させた方がコスト効率はいい。つまり、前線の駒を大事にする必要がある、と」
「その通り」ヴァンは笑った。「で、最後に」
対局が始まった。エレナは確かに上達していた。資源管理も上手くなり、包囲網の構築も速い。だが、ヴァンもまた、彼女の成長に合わせて戦術を変えていた。地形を利用した待ち伏せ。征募システムを使った粘り強い防御。
その結果――
「……やられましたわ」エレナは盤面を見て、小さく息を吐いた。「お兄様、やはり強いですわね」
「いや、お前も大分強くなった」ヴァンは本心から言った。「もう少しで追いつかれそうだぞ」
「本当ですの?」エレナの顔がぱっと明るくなった。
「ああ。次は負けるかもな」
だが、それは、ヴァンの計算の内だった。
数日後。ヴァンは意図的に一つのミスを犯した。A級の駒を無防備な位置に出し、エレナの包囲網に引っかかった。彼女はすぐさまそれを捉え、さらに攻勢を強めてくる。
その瞬間――
「……勝ちましたわ!」
エレナは指揮部を占領し、顔を輝かせた。
「お兄様、私、勝ちましたわよ!」
「ああ、参ったな」ヴァンは笑った。「やるじゃないか」
だが、エレナはすぐに表情を曇らせた。盤面を見つめ、数手前を振り返る。そして、ヴァンを見た。「……お兄様、わざと負けましたわね?」
「え?」
「あそこでAランクを突出させるなんて、あり得ない悪手ですわ。お兄様なら、あんな初歩的なミスは絶対にしません」エレナは氷のような冷静さで指摘した。
「……バレたか」ヴァンは苦笑した。
「当然ですわ! 私を子供扱いしないでくださいまし。これでも学院の首席ですのよ?」
エレナは頬を膨らませた。
「悪い、悪い」
ヴァンは肩をすくめた。
「でも、お前が強くなったのは本当だ。まともにやっても、そろそろ危なかった」
「……そうですか?」
エレナは少しだけ機嫌を直したようだ。そして、ふと思い出したように言った。
「そういえば、賭けの話」
「ああ、お前が勝ったら」
「もういいですわ」エレナは手を振った。「お兄様を家から追い出すなんて、もう考えてませんもの」
「……そうか」
「ですが――」
エレナは戦棋の駒を全て集め始めた。
拡張パックも、マーカーも、全部まとめて箱に詰めていく。
「おい、何してんだ?」
「持って帰りますわ」
エレナはニコリと笑った。
「学院の皆さん、この戦棋に興味津々ですもの。私が広めて差し上げます」
「……全部持ってくのか?」
「ええ」
エレナは箱を抱えた。
「それに、もうお兄様とは対局しませんわ」
「は?」
「だって――」
エレナは少しだけ意地悪そうに笑った。
「手加減する相手と遊んでも、つまらないですもの」
「……っ」ヴァンは言葉を失った。
「では、失礼いたしますわ。敗軍の将たるお兄様」
エレナはそう言い残し、スカートを翻して軽やかに去っていった。だが、その声色には、以前のような敵意はもう、なかった。
ヴァンは呆然と立ち尽くした。心の中で、笑いがこみ上げる。
「……やられたな」
その夜、寮の部屋でローランが興奮した様子で話しかけてきた。
「ヴァン、聞いたか!?」
「何を?」
「お前の戦棋、もう学院中で流行ってるぞ!」
ローランは目を輝かせていた。
「みんな自作の拡張パックを作ってる。補給拠点の代わりに小石を使ったり、資源トークンの代わりにコインを使ったり」
「へぇ、そりゃいいことじゃないか」
ヴァンは特に驚いた様子もなく答えた。
「いいことって」
ローランは首を振った。
「お前、危機感なさすぎだろ。もう海賊版を売ってる奴までいるんだぞ!」
「売ってる?」
「ああ! 自作の拡張パック、一セット十ゴールドで!」
ローランは指を立てた。
「しかも、原価は一ゴールド以下だ。暴利だ、暴利!」
「……まぁ、需要があれば供給が生まれる。市場原理だな」
「評論家ぶってる場合か!」
ローランは椅子を引き寄せ、ヴァンの顔を覗き込んだ。
「いいか、ヴァン。これは千載一遇のビジネスチャンスだ」
「ビジネスチャンス?」
「そうだ」
ローランは商人の顔つきになり、指を折り始めた。
「もし俺たちが『公式版』として高品質なセットを売ったらどうなる? 一セット八ゴールド……いや、プレミア感を出して十二ゴールドでも飛ぶように売れる」
「……」
「学院内だけでも、この感染力だ。一日三十セットは固い。さらに」
ローランの早口が止まらない。
「貴族のサロン、憲兵隊の詰め所、前線の将校クラブ……暇を持て余してる連中は山ほどいる。市場規模は学院の比じゃない。月三千セット売れたとして、売上は三万六千ゴールドだ」
ヴァンは片眉を上げた。
「しかも!」
ローランは畳み掛ける。
「お前、今日もまた新しい拡張パック出してたよな? エレナ様が持ってたアレだ」
「ああ、リクルートと地形のやつか」
「そうだ! つまり、お前が定期的に新しい拡張パックを出せば?」
ローランの目が黄金色に輝く。
「本体を買った客は、拡張パックも買わざるを得ない。継続的な収益だ! 月に数十万ゴールドも夢じゃない!」
「……」
「どうだ!」
ローランは立ち上がり、ヴァンの肩を掴んだ。
「この商売、俺に仕切らせてくれ! 俺とお前で、利益は折半だ!」
ヴァンはしばらく沈黙した。確かに、数字は魅力的だ。だが、彼は冷静に釘を刺した。
「ローラン、一つ致命的な問題がある」
「何だ?」
「生産ラインだ。そんな大量のセット、手作りじゃ追いつかないぞ」
ヴァンは溜息をついた。
「工場のラインでもあれば別だが、今の俺たちには無理だ」
「う……」
「それに、バランス調整も面倒だ。クソゲーを量産したら信用に関わる」
「……そうか」
ローランは目に見えて落胆した。
「せっかくの金のなる木が……」
だが、ヴァンはニヤリと笑った。「だが、別の掘り方がある」
「別の掘り方?」
「ああ」
ヴァンは窓の外、帝都の灯りを見つめた。
「お前、店を持て」
「店?」
「『帝国戦棋・公式サロン』だ」
ヴァンは振り返った。
「俺が新しい拡張パックを作ったら、まずそこで先行体験させる。欲しい奴には、『前バージョンのセット』を売るんだ。品薄商法だよ」
「……!」
ローランは身を乗り出した。
「なるほど、プレミア感を煽るのか!」
「名前も考えてある」
ヴァンは悪戯っぽく笑った。
「『帝国戦棋:冠位指定』」
「冠位指定……?」
「『冠位』は最高位の魔導師。『指定』は絶対命令」
ヴァンは適当なこじつけを並べた。
「要は、選ばれし者のためのゲームってことだ」
「……痺れるネーミングだな」ローランはゴクリと喉を鳴らした。
「それと」ヴァンはさらに続けた。「駒の塗装済みモデルも売れ」
「塗装済み?」
「ああ。軍情局の黒コート仕様、憲兵隊の赤腕章仕様、ノストラの蛮族風……色んなバリエーションを作るんだ」
「コレクター魂をくすぐるわけか……」
「ただし、これは普通には売るな」
「え?」
「『ガチャ』にしろ」
「ガチャ? なんだそりゃ?」
「箱の中に何が入ってるかわからない状態で売るんだよ」
ヴァンは指で輪を作った。
「中身が見えない箱に手を突っ込んで、引く時の音さ。ガチャッ、てな。ランダム封入だ」
「中身がわからない? そんな博打みたいなもん、誰が買うんだ?」
「買うさ。むしろ、だからこそ買う」
ヴァンの笑みが深くなる。
「お目当ての『レア塗装』が出るまで、あいつらは何度でも金を払う。射幸心を煽るんだよ。これが一番儲かる」
ローランはポカンと口を開けた後、戦慄したように身震いした。
「……お前、悪魔か? でも……最高だ」
「儲かるぞ」
「……乗った。お前が黒幕なら安心だ」ローランは力強く頷いた。「任せてくれ、相棒!」
それから二日後、ヴァンは一つの問題に直面していた。戦棋の創始者として、さらに学年首席のエレナを倒した人物として、彼は一躍、学院の有名人になってしまったのだ。授業が終わるたびに、学生たちが群がってくる。
「ヴァン先輩、対局お願いします!」
「戦術を教えてください!」
「サインください!」
(……うるせぇ)ヴァンは内心で呟いた。(ちょっと静かな場所に行きたい……)
図書館へと逃げ込む。戦棋が流行してから、そこはガラガラだった。
皆、中庭や寮で戦棋に興じている。ヴァンは安堵のため息をついた。
「……やっと静かになった」
彼は適当な席に座り、本を開いた。だが――
その時。カチャ、カチャ、カチャリ。
奇妙な音が耳に届いた。 本をめくる音ではない。硬質な何かが触れ合う、小さく鋭い音。鼻をつく独特の刺激臭。
(……なんだ、この匂い?)
ヴァンは鼻をひくつかせた。
(『錬金溶剤』……? なんで図書館に工業用ボンドの匂いが?)
ヴァンは顔を上げ、音のする方へ忍び足で近づいた。
図書館の最奥。埃っぽい窓際の席。本棚の影に隠れるようにして、一人の少女がうずくまっていた。
銀に近い金髪。豪奢なレースのドレス。
彼女は机の下に潜り込むようにして、何かに没頭している。ヴァンの接近にも気づいていない。
机の上には、無数の小さなパーツが散乱していた。
薄く加工された軟質魔導金属の骨組み。
微細な水晶片。
そして、今まさに組み上げられようとしている――
「……!」
ヴァンは目を見開いた。
それは、全高三十センチほどの、精巧な人型模型。
鈍い銀色に輝く重厚な板金鎧。
背中には、排気管ではなく、天使の翼を模した『エーテル放熱翼』。
推進器の代わりに取り付けられた、青く輝く魔力増幅水晶。
さらに右手に握られた、身の丈ほどもある巨大なタワーシールド。
中世の甲冑と、魔導技術の結晶が融合した、美しくも無骨なシルエット。
(あれは)
ヴァンは思わず、前世の記憶にあるその名を口に出していた。
「機動兵器……!? いや、ガ○プラか!?」
「ひゃうっ!?」
少女は弾かれたように肩を震わせ、バッと顔を上げた。
そのサファイアのような瞳が――驚愕に見開かれ、ヴァンと交差した。
【第十一章・終】
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
もし「面白い」「続きが読みたい」と思っていただけたら、
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