転生悪役令嬢。最推しを祝福するために、婚約破棄されました。泣いていいかしら?
「ロザリンド、君との婚約を破棄させてもらう」
卒業パーティの舞踏会にて、イリアス様が告げる。
あぁ、この台詞。何度、聞いてもカッコいい。
力強く手を広げる様、真っ直ぐな瞳。その全てがイリアス様を象徴するようだ。
何度も繰り返しみたゲームのスチルを、リアルで体験できるなんて思っても見なかった。
そして、私は――静かに頷いた。
「わかりましたわ」
私は頷いて踵を返すと、パーティー会場を後にした。
カツ、カツ、カツ
ヒールの音が大理石の廊下に響き渡る。
最初は、落ち着きを払うために優雅な音を立てていた。
カッ、カカッ
けれど、次第に抑えきれない感情が足を急かす。
胸がざわつく。かきむしりたいような衝動に耐えながら、私は必死になって、出口へ向かう。
出立の準備はすでに終えていた。あとは馬車に乗って、国境を目指すだけだ。
父と母には、朝の段階で伝えてある。18年間、育ててもらったけれど、私が「私」だと気づいてからは1年半くらいだ。
それでもやっぱり、離れるのは寂しい。
けれど、これが私の考えた「ロザリンドルート」なのだ。彼女の「命」と私の「幸せ」を混ぜ合わせた結果だ。申し訳ないけれど、娘のわがままをどうか聞いてほしい。
そして、イリアス様。
もう二度と見ることができないのだと思うと、苦しくて、痛くて、吐きそうだ。
どうして、と思う。
なんで、隣に立っているのが私じゃないのか。他のルートをやっても、貴方にたどり着いてしまうくらい、大好きで、愛しくてたまらない人。
アクスタも缶バも祭壇を作れるくらいかき集めて、誕生日を盛大にお祝いしたことだってある。
毎日、考えてた。365日ずっとイリアス様のことで頭がいっぱいだった。
それくらい――貴方は私の人生なのだ。
「お嬢様、本当によろしいのですか?」
老執事が、玄関に横付けした馬車のドアを開けながら尋ねてくる。
私は頷くと、早く扉を閉めるように急かした。
ギシリと馬車が揺れて、馬の嘶きと共にゆっくりと動き始める。
私は大きく息を吸うと、そのままズルズルと安堵のため息を吐きながら椅子に倒れ込んだ。
「終わった……」
馬車の中とはいえ、大声を出すのは憚られる。
けれど、これぐらいは許してほしい。
緊張感が抜けても、手が震えて止まらずにいる。握りこぶしを作ることで、抑えようとしても上手く制止が効かない。
「もう、いいのよ」
ロザリンド・カヴァニスは、悪役令嬢の役をようやく降りることができるのだから。
◆◇◆
前世の記憶がよみがえったのは、避暑地を訪れていたときのことだった。
一人こっそり、ロザリンドが川辺で涼を得ていたとき、うっかり足を滑らせて頭を石に打ち付けてしまった。
打ち所が悪かったのか、そのまま帰らぬ人になりかけた――ところで、彼女と入れ替わるように「私」が目を覚ました。
周りの反応と鏡をみたときは、驚いて、もう一回、死ぬかと思った。
だってまさか、ゲームのキャラに転生してるなんて、夢どころか天国かと思ったからだ。
彼女は、自分が死ぬ直前までやっていた、乙女ゲームの悪役令嬢。そして――最推しのイリアス様の婚約者だ。
「つまり……イリアス様と結婚できる、ってこと?」
最推しがいる世界に転生、万歳。
こうしちゃいられない、即、イリアス様に会いに行こう。
けれど――すぐに気づいてしまったのだ。
もう、この「ロザリンド」は関係修復が不可能なところまで来ていることに。
「今って、学園生活2年目じゃん……」
暦を見て、私は絶望した。
『ファタリテの魔法学園』――通称ファタ学。
プレイヤーは、3年間の学園生活のなかで育成とイベント回収に励む、王道の乙女ゲーム。だけど、シナリオの破壊力で界隈を震撼させた名作だ。
ロザリンドは、主人公を追い詰める絶対的な悪役令嬢。
メインヒーローのイリアス様と仲良くなるにつれて、嫉妬が激化。いじめがエスカレートしていき、最終的には闇落ちして、主人公の命を狙う。他のルートでも、行きつく先は変わらないという不憫なキャラ。
学園2年目の今は、共通ルートの「いじめイベント」がピークを迎える頃だ。
彼女は、侯爵令嬢という権威を振りかざして、主人公を学園から追放しようと画策する。それを好感度の高いキャラと打破することで、トゥルーエンドへと繋げていく。仮に目標値まで到達していなくても、ハッピーエンドは用意されているから、問題ない。
(このイベントの時の、イリアス様がハチャメチャにカッコいいんだよなぁ……)
あのときの言葉が、今もずっと私の支えになっている。
イリアス・テュフォン・アルビオス。
国の第一王子で、彼の爽やかさを演出するようなエメラルドグリーンの短髪。普段はオールバックなんだけど、前髪を下したときや王子様風に横に流すだけで雰囲気が変わり、二度も三度も美味しい。
切れ長の黄金の瞳に少し厚めの唇は、まさに王者の風格。筋の通った鼻立ちと、引き締まった精悍な顔は、ヒーローそのものだ。
そう、イリアス様は『王子様』というより『英雄』のほうがピッタリと当てはまる。
王子様である彼が、なぜ魔法学園に入学しているのか。これにはちょっと重い理由がある。
アルビオス王家は呪われていて、母親は男児を生むとすぐに死ぬ呪いにかかっているのだ。
王妃という最高の地位と同時に生贄でもあるという、残酷な話。
イリアス様は、そのことを気にかけて、解呪方法をずっと探していた。そして、魔法で解決しようと考え、行動したのだ。王宮の魔法使いたちに一任できるのに、自ら学び、奔走する姿に心打たれた。
主人公は、母親のような大魔法使いになるために入学した。健気にひたむきに努力して、いじめにも屈せず、頑張っている。そんな姿を自分と重ね合わせて、いつしか、心を許すようになっていく。だから、ロザリンドの行動が許せなくて、婚約破棄を告げるのだ。
好きな人のためとはいえ、プレイヤー自身はパラメーターをバランスよく上げる必要もあるし、イベントもこなさなくてはならない。すると、自然と思い入れも強くなる。
頑張ったら、頑張った分だけ、彼が褒めてくれる、助けてくれる、好きになってくれる。
あっという間に、虜になってしまった。
現実世界は、頑張っても報われない。
上司には怒鳴られ、理不尽な問題を投げられ、人格否定までされる。
身体も心も動かなくなってしまった。
『正しいと信じられるなら、お前はお前を見失わない』
イリアス様が主人公を力強く抱きしめて言う台詞。
このシーンにたどり着いたとき、ようやく光が差し込んだ。
そして――『私』の人生を全て彼に捧げようと誓った。
「問題は、私が追放計画を立案しなきゃいけないってところよね……」
私のことを救ってくれた台詞を生で聞いてみたい。
けれど、そのためには“悪役令嬢ロザリンド”が必要なのだ。
もしも私――ロザリンドがシナリオを書き換えてしまったら。あのセリフは消えてしまう。
それは、私が恋した理由を殺すのと同義だ。
「嫌だけど……イリアス様に嫌われるなんて、死んでも嫌だけど」
大好きな人の未来を、私の欲で捻じ曲げるなんて、絶対にできない。
ロザリンドと結ばれるエンディングなんて、一番、耐えられない。そんなの解釈の不一致で死にたくなる。
だったら、彼に嫌われる“悪女”になろう。英雄のための『悪』になる。
それに、ロザリンドが手を下さなくても、取り巻きは勝手にやるだろうし、イリアス様のヘイトも相当たまっているはずだ。釘を刺してくるかもしれない。
「そうしたら――どうしようかな」
そもそも、追放計画イベントはトゥルーエンド用だ。無理に立てなくてもいいのかもしれない。
あの台詞を主人公は聞くことはできないけれど、これくらいは許してほしい。
だって、私はもう“悪役令嬢”なのだから。
そうじゃないと、私の恋は報われない。
◆◇◆
二学期が始まった。
取り巻きたちの貴族御用達の避暑地自慢から始まり、平民である主人公をけなしていく。
私も適当に相槌を打ちながら、学園の廊下を歩いていた。
「ロザリンド様、殿下ですよ!」
中庭を挟んだ反対側の通路を歩く、端正な顔立ちの男性。
若草色の髪が揺れて、鍛え上げられた胸板にスラリと伸びた四肢が映える。
隣にいる友人と笑い合う様に、彼が生きていることが伝わってきた。
(――歩いてる……笑ってる、息吸ってる!)
今すぐに駆け出して、隣に行きたい。
そして、足先から頭のてっぺんまで目に納めたいし、何ならビニール袋で周りの空気すら回収したい勢いだ。
二次元だった彼が、三次元にいる。それだけで、こんなにも世界が輝いて見える。
(無理……無理、無理っ!)
心臓がギュゥっと締め付けられて、息が苦しい。
バカみたいに鼓動が早くなって、全身が沸騰するように熱くなってきた。
わずか数メートル先に最推しがいる。
決して、触れることなんてできなかったはずの存在が、本当に触れられる距離にいるんだ。
あまりにも嬉しくて、視界がかすむ。涙がこぼれそうになるのを、奥歯を噛みしめて踏みとどまらせる。
けれど――。
「イリアス様!」
華やかに弾んだ声。
彼に駆け寄っていくのは、本物の主人公だ。
小柄な少女が、嬉しそうに彼の前に立って微笑む。
そんな表情に、彼もフッと目を細め、柔らかな笑みを浮かべた。
「ロザリンド様!?」
その瞬間、私は居ても立っても居られずに、猛然と中庭を突っ切った。
胸の内に宿ったのは紅蓮の業火。つまり――嫉妬だ。
彼の笑顔は、本来、私に向けられるべきものだ。返してほしい。
そんな思いが膨れ上がって、取り巻きが慌てふためくのを無視して、ズンズンと進んでいく。
「少し、よろしいかしら?」
「ロザリンド!?」
怯えた子猫のように身体を震わせた主人公を、サッと庇うようにイリアス様が前へ出る。
あぁ、私もその背に守られたかった。
急激に体温が下がっていく。
燃えあがった炎は、すぐに鎮静化されて、頭が冴えわたる。
警戒するイリアス様。
その鋭く尖った眼差しすら、しびれるほどにカッコいい。
ゲームのロザリンドも、ずっと彼のことが好きだった。けれど、侯爵令嬢というプライドが邪魔をして、素直になれない典型的なツンデレキャラだ。
でも、彼女になってわかる。呆れるほどに真っすぐな彼に対して、そんな態度でいたら嫌われるのは当たり前だ。自分の使命だけで精一杯な彼に、自分の本当の気持ちをわかってほしいなんて傲慢にも程がある。
それでも、好きになってしまったんだ。
わかってくれなくても、惹かれずにはいられない。
それは、容姿が優れているからだけじゃない。彼の婚約者になってしまった以上、絶対的な“王家の呪い”には逆らえない。その呪いを受ける羽目になってしまったロザリンドに対して、彼はどう接したらいいか困っていたからだ。
優しくしすぎると、自分が辛くなる。
突き放すと、ロザリンドが傷つく。
あまりにも誠実すぎるのだ。
割り切って付き合えばいいのに、そんなことはできないと彼の正義感が悩ませる。
そんな彼だから――ロザリンドは心から愛しいと思ったのだ。
「イリアス様。何度も申し上げましたが、庶民と親しげにすることはお止めください」
「……挨拶くらい、いいじゃないか」
「品位が下がります。それに貴女も――いい加減になさい。いくらイリアス様が寛大な方とはいえ、気安く声をかけるなど、思い上がりも甚だしいわ」
ビクリと揺れた小さな身体。
がっくりと肩を落としながら「申し訳ございません」と涙声で謝罪する。
庇護欲をそそるような仕草に、イリアス様の目は苛烈さを増した。
「いくらなんでも言い過ぎじゃないか。いくら、俺が王族とはいえ、学園の生徒だ。生徒同士が仲良くしても問題ない――」
「えぇ。ですから、私も考えましたの。言っても聞かないのであれば、諦めます。彼女には、もう愛想がつきました」
イリアス様の言葉をさえぎって、私はため息交じりに大きく肩をすくませた。
予想外の反応に、彼も困惑するしかない。
「……どういうことだ?」
「彼女に関わるのを一切やめますわ。イリアス様も勝手になさってください。それでは、失礼いたしますわ」
優雅に微笑んで一礼。
私は華麗にターンを決めると、教室へ向かうことにした。
ざわめく周囲からの視線を跳ね除けるように、私は悠然と歩いていく。
そうして、曲がり角を折れると、ほんの少しだけ息を吐いた。
(上手く……できたかな)
この先どうしたらいいか、ずっと作戦を考えてきた。
ロザリンドはどのルートでも断罪される。たいていは、闇魔法にとらわれて飲み込まれてしまうのだ。暗闇のなかを彼女の魂だけが彷徨い続ける。考えるだけでも、ゾッとする。
そうならないためにも、まずは闇落ちしないことが絶対条件だ。だから、いじめをやめて、主人公には関わらない。
(イリアス様は……遠くから眺めよう)
画面の向こう側にいたときと比べたら、全然、気持ちが楽だ。
だって、静止画や表情差分にはない、彼の微細に変化する顔だって拝めるのだ。
これほど栄養になるものはない。生きてるって素晴らしい。
次に、ロザリンドが生きるためのルートの確保だ。
イリアス様が幸せになるためには、主人公とのハッピーエンド、もしくはそれに準ずるものが必要になる。なぜかというと、主人公の母親が作った秘薬を、イリアス様が飲まなければ解呪されないからだ。だからある程度、主人公と仲良くなくてはならない。
イリアス様の好感度は上がりやすいので、無理に主人公をアシストしなくても問題ない。逆に手助けをし始めたら、シナリオが破綻する恐れもある。なので、いくつかプランを考えておく必要性があった。
(あの様子だと、好感度は高そうだから、プランAでいこう)
婚約破棄から留学ルートを目指すことにした。
剣と魔法のファンタジー世界だ。魔法を極めるために、学術研究都市がある。侯爵令嬢の特権を使って、無理やり留学させてもらう予定だ。せっかく魔法学園にいるのだから、魔法を極めるのも悪くない。
そうして、主人公はガン無視で。イリアス様のことは陰からこっそり見守る予定――だった。
◆◇◆
最終試験の日、事件が起きる。
イリアス様の絶体絶命の大ピンチだ。
試験の内容は、魔獣が生息する森に向かい実戦すること。
森には、低レベルの小物ばかりしかいないので、心構えや度胸をつけるのが目的だ。
日々の研鑽のおかげで、私は中級から上級魔法まで使えるようになった。たまに、イリアス様の親友ポジションである、リナルドにちょっかいかけられていたけれど、それは無視した。
だって、眼鏡キャラは苦手なのだ。嫌味なところがいい、というけれど、実際に聞かされると腹が立つ。
(って、そんなことよりも、イリアス様だ!)
私は急いで広大な森を駆け抜ける。
試験は、1人ずつ時間差で森に入っていき、最奥の遺跡にある合格メダルを受け取ればクリアとなる。帰りは、転移魔法陣で入り口に戻るだけ。
途中でどれだけ魔獣に出くわすかは、人それぞれだけど、イリアス様は最悪なことに、この森のボスと遭遇してしまう。
グリラックベアー。
大型の肉食魔獣で、熊のような巨体と高い俊敏性を誇り、出会ったら最後、そのスピードと強大な力で人間を襲い、食い殺す。
イリアス様も必死に応戦するのだが、吹き飛ばされて血まみれになり、瀕死の状態になりかける。
そこへ、主人公が現れて、何とか二人で撃退して、絆を深めるのだ。
(そう……最上級にして最高のイベント。だから、邪魔はできない。できないんだけど……)
杖を強く握りしめて、襲い掛かってくるスライムを薙ぎ払いながら、イリアス様を探す。
あのときの、心底辛そうな顔を思い出すだけで、胸が張り裂けそうに痛くなる。
髪はぐしゃぐしゃ、服も顔もドロドロ、満身創痍の身体に鞭を打って、主人公を庇いながら敵に立ち向かう。
なんて、最高のヒーローなんだろう。
ありふれたシーンなのに、史上最高の英雄にしか見えない。
画面の向こう側にいた私でも、一緒に杖を握りしめて、魔法で戦い勝った記憶がよみがえる。
勝利したときに見せた、まぶしい笑顔を、ずっと、ずっと忘れない。
(だから――)
グォォォ!!!
獣の雄たけびが上がった。
まぎれもない、グリラックベアーの叫び声だ。
魔法の炸裂音が鳴り響いた方向へ走れば、イリアス様と主人公の姿が見えた。
「貴方たち!」
「ロザリンド!?」
「ロザリンド様!?」
私が突然、現れたので気をそらしてしまったのだろう。
それを見逃さなかったグリラックベアーが、一気に、距離を詰めにかかる。
(そうはさせなくってよ!)
杖をふるい、土魔法で彼らの前に壁を作る。
驚きもたつくところを見計らって、さらに、火球を三発ぶつける。
ターゲットが、私にロックオンされた。
チラリと見れば、すでにイリアス様はズタボロ状態だった。
「お前のことは絶対に許せなかったのよ! よくもイリアス様をボコボコにして!」
最高のシーンだったけれど、大好きな人が傷つくのは見たくなかった。
爪で引っかかれたせいで、頬も腕も血だらけになり、吹き飛ばされたせいで、土ぼこりにまみれて泥だらけだ。
彼の背後には、守られるように怯えた小さな姿が見える。ほんの少しだけ成長した、主人公。
でも――イリアス様と一緒じゃなきゃ勝てない弱い女の子。起死回生のチャンスをうかがっているようだけど、ここまでイリアス様を汚れさせた罪は重い。
私の英雄は、私だけのものだ。
だから、この主人公には渡さない。
あの笑顔を他の誰かにくれてやるものか。
「其は、赦しなき煉獄、咲き誇れ、緋の徒花――すべてを灰に還せ!」
特大の火球をグリラックベアーに投げつける。
たちまち火柱が立ち上がり、絶叫をあげて、もだえ苦しむ。私の苦しみはこんなものじゃなかった。
すぐに助けたくても、助けられなかった、あの悔しさを全部、ぶつける。
やがて炎が消えると、丸焦げになった敵は、ぐらりと大きな音を立てて地に伏した。
「っ、はぁ、はぁ……」
魔力を一気に消費したことで、身体が急激に重くなる。けれど、イリアス様に治癒魔法をかけて治さなきゃいけない。
と、杖をあげたところで、主人公と目がかち合った。
この後、治癒魔法をかけて彼を看病するのは、彼女の役目だ。私が行ってしまったら意味がない。
ゆっくりと腕をおろして、背を向ける。これが正しい選択だ。
呆然とする彼らを尻目に、私はゆっくりと森の奥深くを目指す。
道なき道をただひたすらに、たった一人で歩いていく。
涙があふれて止まらない。でも、悪役令嬢の“プライド”が、嗚咽を殺して足を動かしてくれた。
◆◇◆
翌日、イリアス様が治療室にいると聞きつけて、様子だけでも見に行こうかと悩んだときだった。
ちょうど、主人公が部屋から出てきたところに遭遇。一瞬の沈黙が流れた後、彼女は深く頭を下げてきた。
「ロザリンド様! 昨日は助けていただき、ありがとうございました!」
「……別にイリアス様が傷つくのは嫌だっただけよ。貴女はそのついで」
「でも、助けていただいたことには変わりありません。その……あのあと、イリアス様も気にされてました」
「そう。でも何も言ってこないのね、あの男。別にいいわ。勝手にしてちょうだい」
「あっ、ロザリンド様!」
私はくるりとスカートを翻して、足早に部屋を離れる。
(嘘つき。本当は感謝してほしかったくせに。だから、イリアス様のことを見に行ったんだ、未練ったらしい)
ざわりと、別の誰かが私に囁く。
それはまるで暗い影が、私をドロドロとした嫉妬や憎悪の沼に落とし入れていくようだ。
彼に守られるのも、彼の隣に立つのも、彼と共に歩むのも、本当は「私」だったはず。
憎い、憎い、憎い!
今すぐにでも、あの女を殺して、イリアス様を私のものにしたい――!
腰に携えた杖に手をかける。ここから上級魔法を放てば、彼女を消し炭にすることだって簡単だ。
ホルダーから杖を抜いて、あとは言葉にするだけ。軽く息を吸ったときだった。
“正しいと信じられるなら、お前はお前を見失わない”
「あっ……」
凛と響く声。
いつだってそうだ。どんなにどん底でも、彼がいたから頑張れた。彼がいるからこそ、私は私でいられるんだ。
あぁ、だからこそ、イリアス・テュフォン・アルビオスは、私の最高の推しなのだ。
そうして、日々は駆け抜けるように過ぎて、彼はゲームのシナリオ通り、ロザリンドに婚約破棄を告げたのだ。
それは、イリアス様がイリアス様のまま、ヒロインを救う立派なヒーローになった瞬間だった。
馬車は、闇夜の街道をひた走る。
王都からは随分と離れた。
ここから先は、“悪役令嬢ロザリンド”じゃなくていい。
「っ、ふっ、うぅぅ、あぁぁ、あぁぁっ!」
タガが外れた。
「イリアス様、イリアス様ぁぁっ!」
大好きだった。誰よりも、何よりも、愛しい、愛しい人。
貴方は私の太陽で、ずっとこの先も照らし続ける、唯一無二の光。
こんなにも、好きで好きでたまらないのに、どうして、告げることができなかったんだろう。前世の私を恨むべきなのか。
違う、そんなことはない。
イリアス様に出会えたこと、それが何よりも奇跡だ。数多あるゲームの中で、たった1人、私に生きる意味をくれた人。
これが運命じゃないとするならば、運命そのものに意味はない。
画面の向こうでは、何度も、好きだって伝えてくれた。愛してるって、照れ臭そうに微笑んでくれた。
それなのに、現実になった途端、世界で一番遠い人になってしまった。決して届くことのない、けれど、確かにここにいる人。
「うっ、うぅっ……」
だから、ちゃんと見てきたじゃないか。
イリアス様が笑ったり、怒ったり、魔法を華麗に放つ姿や豪快にご飯を食べるところまで。見ることができなかった一面を、たくさん知ることができた。同じ世界にいたからこそ、彼が生きているのだと、実感することができたじゃないか。
それだけで、もう、充分だ。
触れられない人に触れることができたこと、それが何よりも私の「幸せ」だ。
「愛してます、イリアス様」
ずっと、この先も、一番愛している人は変わらないだろう。
だったら、それでいい。それが、私が「私」を見失わない最大の理由だ。
それから数日、留学先へ向かう港まで、移動しながら宿に泊まり。
ようやく学術都市へ向かう船まで、たどり着いた。
その船便で、予想外の人と出会った。
「あら、リナルド様。ここにいらっしゃるとは思ってもみませんでしたわ。いかがされましたの?」
私にちょっかいをかけていたリナルドだ。
彼は眼鏡をクイッと持ち上げると、嬉しそうに微笑む。
「イリアスに婚約破棄された、貴女の顔を見てみたくて。きっと、酷い顔をしてるだろうから」
だから、嫌いなんだ。ドSキャラ。
彼は私の顔をマジマジと見ると、面白くなさそうに、呟いた。
「……全然、平気じゃないか」
「そうよ。案外、スッキリしているの」
私は、そう言ってリナルドに微笑んだ。
彼は「なら、いい」と苦笑する。
泣いて、泣いて、泣き止んで。
私は一生、この傷を抱えながら生きていく。
それでもいつか――彼が幸せになった世界で、私も笑ってみせるのだ。
Fin.
読んでくださり、ありがとうございました。
☆やリアクション、または感想をいただけるととても嬉しいです!
別作品ですが、長編が完結いたしました。
『アイドルオタク女子』が、異世界音楽革命を起こします!合わせて読んでいただけると、とても幸いです。
「お飾り聖女、光の魔法使いに転職します!~輝くステージで世界を照らす~」
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