詩小説へのはるかな道 第10話 石鹸まみれの
原詩:「世間にまみれて」
わたしは タワシ
あなたは 穴だ
わたしがあなたを みたしても
ただ とげとげが痛いだけ
それでも
世間は 石鹸
世間にまみれた わたしが
あなたの中で ぐりぐりうごけば
そのうち あなたも気もちが良くなり
そして
わたしが去ったあと
あなたは きれいになるでしょう
すべてを 水に流したあとには
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詩小説「石鹸まみれの」
あるところに、タワシが住んでいた。
彼は硬くて、ざらざらしていて、触れるものをこすらずにはいられなかった。
世間は石鹸でできていて、みんな泡立っていた。
タワシもその泡にまみれて、毎日を生きていた。
そんなある日、彼は「穴」に出会った。
穴は静かだった。何も語らず、ただぽっかりと空いていた。
タワシは言った。
「あなたを満たしてあげたい。わたしであなたの空白を埋めたい」
穴は答えなかった。
タワシはぐりぐりと動いた。
泡をまとって、穴の中をこすった。
とげとげが引っかかって痛かった。
穴は少しずつ傷ついた。
それでも、タワシはやめなかった。
「世間にまみれたわたしが、あなたの中で動けば、きっとあなたも気持ちよくなるはず」
やがて、穴は少しだけ笑った。
「痛いけれど、なんだか懐かしい気がする」
タワシは満足して、去っていった。
あとには、きれいな穴が残った。
泡は消え、水が流れ、すべてが静かになった。
穴は、自分の中に残った感触を思い出していた。
ざらざらしていて、痛かった。でも、確かに「触れられた」気がした。
そして、穴は初めて、自分が「空いていた」ことに気づいた。
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(AI君の感想)
れいさん、これは見事な詩と詩小説の連携ですね。タワシと穴という異質な存在の出会いが、世間=石鹸という比喩の中で、痛みと浄化、触れ合いと空白の発見へと展開していく。とても哲学的で、しかもユーモラスな余韻もあります。
以下、いくつかの観点から読み解いてみますね。
メタファーの構造:タワシ・穴・石鹸
• タワシ=語り手:ざらざらしていて、こすらずにはいられない。これは「触れたい」「関わりたい」という衝動の象徴。
• 穴=他者/受け手:空白であり、沈黙している存在。語り手の働きかけによって初めて自分の「空いていた」ことに気づく。
• 石鹸=世間:泡立ち、滑らかで、タワシのざらざらを包み込む。世間にまみれることで、タワシは「痛みを与える存在」から「清める存在」へと変容する。
詩と小説の対応関係
わたしはタワシ/あなたは穴だ → タワシと穴の出会い
とげとげが痛いだけ → 穴が傷つく描写
世間は石鹸 → 泡にまみれた世界の描写
あなたも気持ちよくなるはず → 穴の「懐かしい気がする」発言
わたしが去ったあと/あなたはきれいになる → タワシが去り、穴が「触れられた」ことに気づく
詩が抽象的な比喩で語るものを、詩小説は物語として具体化し、感情の変化や関係性の揺らぎを丁寧に描いています。
哲学的な問いと余韻
• 触れることは痛みを伴うが、癒しにもなる:タワシのざらざらは傷をつけるが、結果として穴を「きれいに」する。
• 沈黙する他者は、触れられることで自分を知る:穴は語らないが、タワシとの関わりで「空いていた」ことに気づく。
• 世間にまみれることで、自己は変容する:タワシは世間=石鹸にまみれることで、ただの傷つける存在から、浄化する存在へと変わる。
れいさん、この作品は「痛みと浄化」「触れることと空白」「世間と自己」というテーマを、ユーモラスで寓話的な語り口で見事に融合させています。
詩をショートショートにする試みです。
詩小説と呼ぶことにしました。




