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第8話「契約条項の読み替えで、家を守る」

 朝は木匙二拍。硬い鐘ではなく、柔らかい制止で始める日だ。

 前庭に簡易の掲示板を立て、私は昨夜まとめた**《臨時解釈通達案》を貼った。条三「制止=拍の復旧」、条五「監視妃の複式簿記権**」、条七「帰還合図=丸を慈悲枠として明文化」。紙には余白を多く残し、空欄の束を横に置く。書き込み用の余白は、反対者のための保険だ。


 三・二・一。鍋蓋の合図で人が集まる。

 顧問サヴォナ・メンデスは、今日も黒い上着で涼しい顔。彼は最初の一歩をとり、「効力」と口にした。

「監視妃どの。暮らしは尊い。しかし法は法だ。条文にない行為――たとえば公開の戻し儀や、音での招集――は越権の疑いが拭えない」

 私は一拍置いてから、短句で返した。

「条三:制止の定義は、拡張解釈を許す。危殆回避のための最小限の措置——音・匂い・言葉の等間化。拍は、暴力の逆だ」

 紙を叩く。余白に鍋蓋の小さな絵。

「条五:簿記権は、帳場に限らず台所・倉庫へ及ぶ。会計は生活の後追い。後追いだけでは穴が拡大する。心の列を加える複式は、消極的越権ではなく積極的救済」

 群衆の方から小さな笑い。「むずかしいけど、わかる」と誰かが言う。難語は短く、比喩は長く。今日はその逆を慎む。


 私は掲示板の下段を指す。「条七:慈悲枠。公開監査に帰還の合図(丸)を設け、最小限の残酷に最小限の慈悲を対にする。これにより罪の自白は保全され、群衆の暴走は抑止される。効力は、昨日時点で乾麺三箱の返納・偽印章の灰化という結果で示された」

 ピリニャが灰の蝋と赤い正規印を掲げる。白→灰→赤。

 私は空欄の束をメンデスに差し出した。

「空欄はあなたの“清廉”のための席です。異議があるなら、条文案を書き、暮らしの言葉と法の言葉を併記してください。顔だけ清廉の一文は、台所で剥がれます」

 メンデスは紙を受け取り、笑みを薄くした。「検討しよう」


 私は川向こうの小屋で見つけた羽飾り七の焼印を台に置いた。

「焼印は、戻しの火で灰に。六へ戻す。顔ではなく拍が基準」

 庶務の男が前へ出て、広場の真ん中で袋代の返却票に署名した。袋は科目として独立し、返却の記録が残る。

 ユリウスは胸の前で丸。言葉は控える。沈黙の保険は、今日も効く。


 終いの一拍で解散。風が紙を揺らし、余白が日向を吸う。私は、貼った紙の端を押さえながら、自分の肩の力が半分だけ抜けているのを自覚した。条項は、拍に接続された。


 ◇


 昼すぎ、屋敷に戻ると、義娘が練習帳を掲げた。

「きょうの“すき”、“うた”」

 彼女は小さな線でた・だ・い・まを音符みたいに並べている。

「歌える帳簿は、家計簿の理想」私は笑って、心の列の今日の欄に**“歌”と書き足す。

 ユリウスは台所の敷居で立ち止まり、わずかに照れた顔で言った。「昼は、私が作る」

 私は眉を上げた。

「保険=余白に移行するなら、余白を使ってください。最小手順で。火は低く、塩は二種を少量」

 彼は短く頷き、木匙二拍で鍋を呼吸させた。音が、下手ではない。

 私は報告書に一行**。「監視対象:火加減の学習開始(木匙二)」。紙に少し笑いが走る。


 ◇


 午後、掲示板に最初の空欄記入が戻る。記入者は寄合の若者。

 ——条七追記案:「丸の合図は子どもの身長で掲示」。

 よい。私は即採用の印を押し、子どもの目線へ丸札を増設する。

 続いて、石鹸釜の親方からも空欄が返る。

 ——条五補足:「油の再生配当は台所勘定に戻す」。

 これも採用。川と台所に勘定の橋がかかった。


 夕刻、紙束を抱えた侍従長が駆け込んだ。「顧問殿の書き入れです」

 メンデスの空欄には、長い文章。

 ——条三但し書き:監視妃による音・匂い・言葉の運用は、王都の監察官の承認を要する。

 私は鍋蓋を一度鳴らしてから、空欄の余白に短い線で返す。

 ——王都は遠い。鍋は今、ここ。承認は拍が取る。

 法の端と暮らしの端は、しばし睨み合う。終夜戦にする気はない。家を先に立てる。


 夜、短い形式回でまとめる。

 ――《監視報告書:第八日・条項読み替えの施行》

 【施行】条三・五・七の暮らし接続。空欄=余白=保険。

 【結果】袋代独立/返却記録開始/再生配当の台所計上。

【残課題】王都承認条の遠さ問題。鍋は今、ここ。


第9話「台所の革命。火と塩と笑顔の指揮」


 朝は三拍。今日の革命は、家の中でやる。

 私は三拍膳を“教室”に変えた。火=油/手=布/口=乾麺の列に、歌を合わせる。

 義娘が先唱する。「いち、に、さん」

 ユリウスが木匙二拍で裏を打つ。私は鍋蓋一拍で節を締める。三・二・一が、家の中で一つの曲になる。


 まずは火。

 私は油を一滴、冷たい鍋に落とし、火を入れてから塩をひとつまみ。塩の粒度は二種。

「粗塩は“基礎”」「細塩は“調整”」

 ユリウスが頷き、義娘がふうふうで温度を可逆に保つ。

 次に布。

 台拭きは一枚だけ外に干す。残りは湯気で戻す。夜の湿りは足元に集め、胸を軽く。

 最後に乾麺。

 ただいまスープに短い麺を少し。小分け禁止の原則は、家でも守る。「少しが穴を呼ぶ日もあるから、少しまでを歌にする」

 義娘が真剣な顔で麺を掴む。手が震えない。丸が、字の震えを治している。


 昼までに、台所は動線を覚え直した。

 棚は半歩動き、鍋の家族が近づく。木匙はからまず、蓋は歌に入る。

 私は監査日誌に書き込む。「台所:革命。拍で運用開始。事故ゼロ。恐れの速度低下」

 ユリウスは、ふいに笑った。「革命というより、合奏だ」

「合奏革命。怖れを最後尾に下がらせる音楽です」


 午後は広場の台所。

 量り売りの台を一つに統一し、袋代を掲示。袋の返却は丸の札と交換にした。子どもが誇らしげに袋→丸を出し入れする。

 石鹸釜の親方が、再生配当を束にして持ってきた。「鍋に返すぶんだ」

 私は配当を台所勘定に記帳し、歌の欄に**“戻る”**と書く。戻し儀は、紙の上でも続く。


 夕刻、寄合の若者が走ってきた。「王都から監察官が来るって!」

 私は笑って肩の埃を払うだけにした。「鍋は今、ここ。夕餉は遅れない」

 監察官は来る。遠さが近づいてくるなら、拍を見せればいい。紙にも鍋にも、余白を残してある。


 夜、義娘が言う。「きょうの“すき”、“いっしょ”」

 私は心の列に書く。好き=いっしょ(合奏)。

 ユリウスが短く言う。「ありがとう」

「常設規程です」私は返す。

 鍋蓋は一拍。火は小さく、でも消えない。革命は、明日の終章に間に合った。


第10話(小章完)「家の灯りが先。恋は後から追ってくる」


 朝、監察官がやって来た。馬は立派、書類は分厚い、目は忙しい。

 私は三・二・一で迎える。鐘ではなく、鍋蓋。

「辺境のやり方で失礼します。鍋は今、ここ」

 監察官は眉をひそめるが、否定はしない。彼も腹が減る生き物だ。


 前庭で、私は短句だけを並べた。

 ——条三:制止=拍の復旧(音・匂い・言葉)。

 ——条五:複式簿記(火・手・口/音・匂い・言葉)。

——条七:丸=帰還合図(最小限の慈悲)。

 証跡は擦り出し(白→灰→赤)と帳簿(心の列)と台所(三拍運用)。

 監察官は書類を撫で、広場に目をやる。子どもの目線に丸の札。袋の返却記録。再生配当の記帳。

「……結果は出ているようだ」

「暮らしの効力は、法の効力を先導します」

 監察官は小さくうなずき、書式に短い追記をした。

 ——当座承認。王都検討の間、本件を試行として継続。

 遠さが、仮の橋をかけた。十分だ。


 メンデスが一歩出る。昨日より笑みの角度が減っている。

「監視妃殿。私の“清廉”は、あなたの台所で剥がれた」

「顔は剥がれても、手は残せます。袋代の記帳法、あなたの字は美しい。美は、後に使ってください」

 彼は黙って頷き、空欄に二行だけ書いた。

 ——条五補足:袋代は科目化。返却票は公印で保全。

 短い美は、有用だ。


 川向こうでは、焼印が灰になった。

 ピリニャが赤で六を押す。白→灰→赤の最後の一拍。

 群衆は丸を描き、拍手は等間。怒声はない。最小限の残酷は、最小限の慈悲にくるまれて、終いになった。


 ◇


 屋敷に戻ると、義娘が玄関で待っていた。丸を胸の前で大きく描き、言う。

「ただいま」

「おかえり」

 ユリウスも続けた。不器用な丸、でも等間。

 台所の梁の手拭いは、いつもと同じ位置で、乾いて、花は崩れない。

 私は鍋に水を張り、木匙二拍、鍋蓋一拍。三・二・一で湯気が立つ。

 義娘が歌を添える。「た・だ・い・ま」

 家は、歌えるようになった。


 夕餉は合奏膳。

 前菜は火の歌(香り油+粗塩)。

 主菜は布の歌(布卵の薄焼き、胸を軽く)。

 椀は口の歌(ただいまスープ、黄の丸)。

 義娘が「きょうの“すき”、“あした”」と言った。

 私は心の列に書く。好き=あした(続く拍)。

 ユリウスが隣で、照れた声で続けた。「……恋は、後から追ってくるらしい」

「規程にも、経験にも、そうあります」

 私たちは笑い、言葉を焦がさない火加減で、静かに食べた。


 ◇


 夜、最後の形式回(小章完)を書く。

 ――《監視報告書:第十日・小章完結》

 【総括】

 ・条項読み替え施行:制止=拍の復旧/複式簿記(心の列)/慈悲枠=丸。

・戻し儀完遂:白→灰→赤。偽印灰化/焼印破棄。

・袋代科目新設/返却記録運用/再生配当を台所勘定へ。

・公開監査を前庭版として制度化(子ども目線の掲示)。

・監察官による当座承認(試行継続)。

・噂の侵入速度、拍により低下。

・家の音:木匙二/鍋蓋一。歌:ただいま。

・義娘“好き”:丸→ふたり→ただいま→呼ぶ→歌→いっしょ→あした。

【結語】

家の灯りが先。恋は後から追ってくる。

鍋は今、ここ。

――本官、第一小章の業務を完了。


 筆を置き、ランタンの火を指で狭める。等間で夜が降りる。

 廊下の向こうで、ユリウスが短く言う。「ありがとう」

「常設規程の運用です」

 義娘が眠たげに「おやすみ」と言い、柱に小さな丸を描いてから、部屋に戻った。


 家は壊れ物だ。だが壊れ物には手順がある。

 最初に直すのは、音。次に、匂い。最後に、言葉。

 そして明日、それらはもう一度、拍として始まる。


(小章完。読んでくださってありがとうございます。**ブクマ+★**が次の“業務”の燃料になります。第二小章の開幕案内は近況にて――家の灯りは先に、恋は後から。)

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