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第11話「監視妃、初めて“業務外”を宣言する」

 朝は木匙一拍だけ。小章完の翌日は、音を控える。余白が家の筋肉になるからだ。

 湯気は細く、香りは控えめ。義娘は柱に丸を小さく描き、「きょうの“すき”、“やすむ”」と囁いた。よい。休むは、拍の一部だ。


 玄関の外がにわかに騒がしくなる。噂の書き手たちが、王都から押し寄せてきたのだという。薄い羊皮紙と速すぎる筆、余白が自慢の匿名文。

 侍従長が困り顔で報告する。「“清廉派通信”を名乗る者たちが、前庭で質問合戦を……『監視妃は恋愛偏向で越権している』『娘を“道具化”している』などと」


 私は鍋蓋を鳴らさない。代わりに、戸口に布を渡した。布卵を焼くときの薄布。

「まず、これで口の速度を落としてもらう。質問は布を口に当て、三拍呼吸の後。三拍に乗らない問いは不受理」

 前庭に出て、布を配り、短句で告げる。「三拍呼吸→一問→一答。それが本日の規程」


 最初の書き手は若い。布をあごの下に当て、息を整えるふりだけして、いきなりまくしたてた。

「娘を“前面”に出した演出は、情緒操作だ! 『丸』などという幼稚な印で群衆を――」

 私は木匙二拍で制した。

「業務外を宣言します。——家族の尊厳と安全は、業務の上位にある。

 条外通達:子どもの私語に関する質問は、当面すべて不受理。丸は、合図であって演出ではない。台所の拍は、記事の鼓動より先にある」


 ざわめき。遅れて、静けさ。業務外という言葉は、壁になる。だが、壁には扉があるべきだ。

「質問を生活に接続できる者のみ、扉を通過。——『袋代の記録方法は?』『再生配当の監査手順は?』……そういう問いは受理する」


 人垣の後ろから、年配の書き手が一歩出た。布を口に当て、三拍呼吸ののち、短く問う。

「返却票の偽造防止は?」

「羽飾り六の擦り出しと、子どもの目線の掲示。親だけが知っている正しさは、正しさではない」

 彼は頷き、筆を引いた。良い拍だ。


 そこへ、黒衣の女が割って入る。化粧は薄く、眼だけが濃い。

「被害者面の新顔だな」ユリウスが低く言う。

 女は、朗々と、美しい余白で話し始めた。

「監視妃殿。あなたの沈黙は、時に暴力です。私どもは“声なき者”の声を代弁して——」

 私は鍋蓋を一度。

「沈黙は保険。長広舌は、しばしば火。——あなたの“代弁”には台所の出汁が入っていない。声なき者の話をするなら、まず鍋を見なさい。湯気の高さ、塩の粒度、木匙の拍。そこに、声がある」


 女は一瞬だけ言葉を失い、笑顔を貼り直した。「詩的ですね」

「調理的です。詩は後で食べます」

 群衆に、小さな笑い。緊張がほどけ、拍が戻る。


 私は掲示板に新しい紙を貼った。

 ——《条外通達/業務外宣言》

 【対象】未成年の私語、身体、習慣。

 【処理】質問不受理。代替として生活に接続した問いのみ受付。

 【根拠】最小限の残酷と最小限の慈悲の釣り合い。

 【補記】三拍呼吸に乗らない言葉は、家の外で磨いてから。


 女は肩をすくめ、退いた。顔は剥がれるが、手は残る。手に拍を覚えさせるには、時間が要る。


 ◇


 昼、台所では訓練。

 義娘は、木匙一拍で「やすむ」を示し、ユリウスは鍋蓋一拍で「替わる」を返す。

「合図語を増やしましょう」私は心の列に新しい語を足す。

 ——“あつい”=木匙三

 ——“しょっぱい”=塩壺に指二本

 ——“こわい”=胸の前の大きい丸**

 言葉が出ないときでも、生活は続く。合図語は、家の保険だ。


 ユリウスは台所の端で、ぽつりと言った。

「業務外の宣言、助かった」

「業務外は、家にしか置けない盾です。外では、法が盾になる。——盾は二枚あるに越したことはない」


 ◇


 午後、川向こうの石鹸釜に、新しい貼り紙。

 ——再生配当の“見える化”

 日毎の戻り量と配当先を、子どもの目線に。

 親方はうなる。「書き手は、これで書けるのか」

「生活に接続した書き手なら。顔だけ清廉の者は、ここで筆が止まる」


 ◇


 夕刻、義娘が今日の“すき”を持ってくる。

「“しんぶんのうた”」

「新聞?」

「きょうのひとたち、うたがないから、かなしい」

 私は頷き、心の列に記す。好き=しんぶんのうた(歌のない紙は悲しい)。

 ユリウスが笑って、「歌詞カードを配るか」

「拍の配布は有効です。三拍呼吸の紙を門に置きましょう」


 夜、短い形式回で締める。

 ――《監視報告書:第十一日・業務外宣言》

 【宣言】未成年の私語関連質問、条外で不受理。

 【運用】三拍呼吸→一問一答。生活接続問を優先。

 【効果】群衆の速度低下、噂の侵入さらに鈍化。

 【付記】合図語の導入(あつい/しょっぱい/こわい)。

 【所見】業務外は家の盾、法は外の盾。二枚で家は守れる。


 灯を落とす前、私は梁の手拭いを見上げた。花は変わらず、丸の内側に咲いている。

 休むが今日の“すき”なら、進むは明日の歌だ。

 音は控えめでいい。家は拍を覚えたのだから。

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