第10章【第8話:影の支配者】
第8話:影の支配者
黒い水面の上、園内は静寂という名の恐怖に包まれていた。
崩れたゴンドラやジェットコースターの残骸が、宙を漂いながら、影の主の周囲でうねる。
風も光も音も、まるで死んだ世界のように消えた。
ナオの身体を支配する影の主は、次の獲物としてしおりに狙いを定める。
「私ハ……完璧ニナラナイト……」
影の触手が空気を裂くように伸び、しおりに絡みついた。
「ナオさんは……絶対に負けない……!」
しおりは心の底から叫ぶ。
あの時ナオが言った「これしかないか……」の言葉を思い出し、必死に信じた。
あの言葉は勝算があったとしか思えない。
私は、ナオさんを信じる!
ナオの腕から出てくる触手がしおりに巻き付き、黒い霧のように意識を侵食する。
「記憶が……おか……しくなる……」
多くの声、多くの痛み、多くの記憶が一気に流れ込む。世界が歪み、目の前の景色が裂ける。
その瞬間、ナオの身体がふっと止まった。
「ナッ……ゼ?何ガ……起キテイル……?」
影の主は驚愕し、触手は宙で硬直する。全ての計算が狂ったかのようだった。
──ナオの意識は消えていなかった。
身体の奥底から、力が渦を巻いて湧き上がる。
「これは……俺の体や。返してもらう!」
潜在意識の中でナオは、自分の記憶と意識を確固たるものとして握りしめた。
「記憶同期を拒む方法は一つだけ。記憶と意識を強く保ち続けること……」
「ソンナコト……デキルワケガ……!」
影の主の声が震える。だがナオの決意は揺るがない。
「喋るんは後や!今すぐ出ていけボケェ!!!」
影の主はナオの身体から弾き出され、触手はしおりから離れた。
「しおりちゃん!懐中電灯!俺に当てろ!!」
咄嗟にしおりはライトを広範囲モードに切り替え、ナオ全体を照らした。
光が影を裂き、ねじれ、飛び散る。影の主は形を保てず、消滅するかに思えた。
しかし──闇は諦めなかった。
影の主は瓦礫や園内の破壊されたアトラクションを触手で吸い込み、巨大な異形へと姿を変える。
ゴンドラ、コースター、割れた鏡、屋台、メリーゴーランドの馬。すべてが黒い塊となり、影の巨体がうねるように膨れ上がった。
異形の影は低く唸り、園内の光を吸い込み、空気を震わせる。
地面が微かに揺れ、風が異様な音を立て、遠くでガラスが砕ける。
まるで園全体が、生きた闇に取り込まれたかのようだった。
「なんやねん……あれ……ほんまに元は人やったんか……」
「……!ナオさん!光を──」
だが、しおりが懐中電灯を向けようとした瞬間、触手がライトに絡みつき、粉々に砕けた。
園内に残るのは、暗黒の海と異形の影、そして瓦礫が漂う無機質な空間だけ。
逃げ場は消えた。闇と瓦礫の渦に包まれ、巨大な影の腕がしおりを捕らえに伸びる。
黒水面に映る無数の影と、巨大化した影の主が二人を覆い尽くそうとしていた。
ナオの意識は戻った。だが目の前の現実は悪夢そのもの。
──生き残るためには、この影と正面からぶつかるしかない。
「しおりちゃん……」
「ナオさん……どうしたんですか?」
「大丈夫や……絶対守る……!」
ナオは闇の巨大体に立ち向かう決意を固める。
園内は瓦礫と闇の渦に呑まれ、二人を包み込む──絶望しかなかった。




