第10章【第3話:波間の影】
第3話:波間の影
ウォーターライドのエリアは、風ひとつないのに水面が小刻みに揺れていた。
観客用の足場は真っ暗で、遠くの照明が波のように歪む。
夜の静けさの中、ぽちゃん……ぽちゃん……と一定間隔の水音が響く。
ナオは懐中電灯を水面に向けた。
そこには、黒い影の塊が浮かび、ゆっくりと形を変えていく。
次第にそれらは人の輪郭になり、まるで水面から這い出そうとしているようだった。
「ナオさん……あれ、全部……」
「せや、影や。けど……」
ひときわ大きな波紋が中央で広がった。
そこから、長いコートを羽織った背の高い影が現れる。
ゆらめく水面に映るその姿は、以前──あの夜対峙した“長いコートの影”と同じだった。
だが今回は違う。
水面に映る彼の顔は、目の無い姿に変わっていた。
瞳のない空洞から、無音の笑みがこぼれる。
──覚えているか、ナオ。
──あの時は失敗したが……今度こそ、完全に同期する。
声が、頭の奥に直接流れ込んできた。
ナオは思わずこめかみを押さえる。脳が焼けるように熱い。
「……お前、消えてへんかったんか……!」
「ナオさん、あの影って……」
「そう。話したやろ、こいつが……。三年前、子どもらの記憶を無理やり繋ごうとして、火事が起きる原因にもなった研究者。失敗して、影になっても尚、子ども達の影を道具にしてたやつ……」
「そんな……」
「それだけやない。幼い俺を黒瀬に言われて実験しまくったんもこいつ。全部、こいつ。そんで今は俺と同期することで俺を乗っ取ろうとしとる」
水面が激しく泡立ち、黒い腕のようなものが無数に伸びてくる。
それはしおりの足首を掴もうとし、同時にナオの胸元にも冷たい圧迫感が走った。
──抵抗するな。お前の第六感は、そのために残した。
──子どもたちと、お前と、私の記憶を……そしてそこに居る女も……ひとつにする。
視界が歪み、足元の板張りが消えた。
代わりに見えるのは、白い実験室、子どもたちの泣き声、炎に包まれる天井。
その全てが、自分の頭の中に押し込まれていく。
「……ぐっ……やめろ……!」
ナオは必死に足場に爪を立て、しおりの手を掴んだ。
「絶対離れんなや!ここで飲まれたら終わりや!」
しおりは震えながらもうなずき、二人は水面から這い出そうとする黒い腕を蹴り払った。
その瞬間、男の影はコートを広げるように両腕を広げ、ゆっくりと水面に沈んでいった。
だが、耳の奥でまだ声が響いていた。
──次は、もっと深くまで沈めてやる。
二人が息を整える間もなく、ウォーターライド全体の水面が、静かに真っ黒へと染まっていった。




