第1章【第8話:記憶の乗客】
第8話:「記憶の乗客」
夜の観覧車「ドリーム・スピン」は、誰も乗っていないはずだった。
しかし──17番ゴンドラだけが、静かに、ゆらゆらと誰かが中に居るかのように規則的に動いている。
まるで“誰か”を乗せたまま、記憶の軌道を回っているかのように。
ナオとあやめは観覧車の制御室に潜り込んだ。
「これ、稼働プログラムが……おかしい」
あやめが画面を覗き込む。
「17番だけ、別の“制御ファイル”が上書きされとるな」
ナオが言う。
「このファイル……タイムスタンプが“今”や。誰かが遠隔で起動させたんや」
その瞬間、観覧車の非常灯がバチンッと一つ切れた。
制御室のモニターに映る17番ゴンドラの中に──何かがいた。
輪郭の崩れた人影。
顔はなく、ただ真っ黒な影が、膝を抱えるように座っていた。
ナオは目を凝らす。
その“影”が、ナオの名を口にした。
──なお……なお……ぼくの……ぼくの、なお……
その声に、ナオの頭がぐらりと揺れる。
「……この声、知ってる。けど……誰や……?」
視界が歪む。
ふいに、ナオの記憶の中に“幼いころの景色”が浮かぶ。
夕暮れの公園。赤い帽子の少年。ブランコに乗っていた、どこか寂しげな顔。
──あれ……これ、俺の記憶やない……
ナオは目を見開いた。
これは“誰かの記憶”だ。だが、あまりにもリアルで、“自分の思い出”のように感じてしまう。
観覧車が再び動き始める。
今度は、17番以外のゴンドラも動き出した。
モニターに映る空のゴンドラ。
そのすべてに、“影”が一体ずつ座っていた。
「これ……全部“記憶の残留体”や……!」
ナオの脳内に、記憶の声が重なって押し寄せてくる。
> 「返してよ!私の顔、私の誕生日!」
> 「母の声が聞こえない、誰かが盗ったんだ」
> 「この遊園地は、私の夢だったはずなのに……」
制御室にいるナオは、片膝をつきながら気づいた。
「ミサはこの観覧車に、“記憶を残していた”んやない。この観覧車そのものが“記憶をコピーして乗せる”装置でもあったんや」
「そんな……昼間は普通にお客さんを乗せてるのに」
「昼間は多くの記憶を読み取る役割としても成してたんやろ」
“記憶の乗客”たちは、かつてここで実験に使われた人々の記憶断片。
そして、誰かがそれらを再起動させている。
「……“あいつ”がいるな。まだパークのどこかに──生きとるやつが」
ナオがつぶやく。
そのとき、背後で“パタン”と音がして、あやめが立ち尽くしていた。
彼女の目はうつろだった。
「ナオ……私、ちょっとだけ、思い出したの」
「観覧車でね、昔、姉と一緒に乗ったことがあった。でも……おかしいの。姉に聞いた時はそんな記憶、持ってなかったの。それって……これも私の記憶じゃないのかな……?」
ナオはゆっくりうなずいた。
「お前の記憶は、何かと“混ざってる”可能性がある。
もしかしたら、姉さんの記憶の一部を、“埋め込まれて”育ったんかもしれん」
あやめの手が震える。
「私が……私じゃないなら……何を信じて、生きたらいいの……?」
ナオは言った。
「記憶は誰のもんでも関係ない。“今のお前”が感じたことだけが、本物や」
その言葉に、あやめの目に少しだけ光が戻った。
「……じゃあ、私は、私として、このパークの真実を暴く」
「姉の記憶で、じゃなく、私自身の意志で──」
そのとき、モニターが一斉に暗転した。
中央の画面に、ある名前が浮かび上がる。
【管理者ログイン:園長黒瀬弥一】
そこから次々と表示される過去のログ。
そして、最後に一つ──
《記憶拡散装置:フェーズ3起動まで 残り48時間》
「……黒瀬……お前か……!」
ナオの拳が震える。
──黒瀬弥一。テーマパークの創業者であり、ナオが高校時代に一度だけ接触した、“奇妙な老人”。
「全部、繋がってきたな……」
観覧車がまた完全に停止する。
だが、17番ゴンドラだけは、ゆっくりと開いた。
そこには、誰かが立っていた。
影のままのその存在が、ナオに向かって囁く。
──“ようやく、会えたね”
次の瞬間、ナオの中に“自分自身のはずの記憶”が一気に揺さぶられる。
子どもの頃の思い出、母の顔、あの日の会話──全部が、微妙にズレていく。
「まさか……俺の記憶も、最初から誰かに“与えられたもの”なんか……?」
影が笑った。
そしてゴンドラの扉は、音もなく閉じた。
観覧車が再び回り出す──記憶の偽りを乗せて。
次回予告:第9話「ナオの記憶」
ナオの過去が揺らぐ中、彼の“本当の出自”が明かされ始める。
黒瀬弥一の計画、そして“フェーズ3”とは何なのか。
記憶と現実の境界が崩れ、ナオ自身が「誰か」になっていく恐怖が迫る──。