第8章【最終話:影の根を断つ】
最終話:影の根を断つ
温室の扉を押し開けた瞬間、ナオとシュウの足元がぐにゃりと沈んだ。
床の土が生き物のように蠢き、黒い花々がざわざわと身をよじらせている。
中心には、異様に太い茎──あの“根の本体”が、うねる蛇のように持ち上がっていた。
「先輩……あれ、もう完全に化け物っすよ」
シュウの声が震える。
茎の表面には無数の顔が浮かび上がり、目や口から黒い靄が漏れ出している。
その声は泣き声とも叫びともつかず、重く湿った空気に溶けていた。
根が一斉に伸び、二人を襲う。
シュウは警棒で叩き落とすが、すぐに再生し、より強く締めつけてくる。
ナオは身を翻し、茎の根元に近づこうとするが、触れるたび影が皮膚にまとわりつき、じわじわと体温を奪っていく。
「……こいつら、影を奪って養分にしてる」
ナオは低く呟いた。
逃げても切りはない。倒すには、根そのものを絶つしかない。
ナオはわざと足を止め、伸びてきた根に自分の影を絡ませた。
「先輩!何やってるんすか!!!!」
シュウの叫びを背に、ナオは影に引きずられながら茎の中心部へ近づいていく。
──その瞬間、視界が暗転した。
頭の奥に直接、誰かの記憶が流れ込む。
炎に包まれた倉庫、泣き叫ぶ子どもたち、そして実験台の上に寝かされた誰か。
「ここは……元々違う施設やった。その土地に残った残像の塊が正体ってことか……」
耳元で「もう一度やり直すんだ」という声が、何度も何度も繰り返される。
影が体内に入り込み、心臓を掴もうとした瞬間──
「先輩ッ!!」
シュウの怒鳴り声と同時に、視界の端で警棒が閃いた。
彼は伸びてきた根を片っ端から叩き斬り、ナオへの道を必死にこじ開けている。
根が絡みつき、肩口から血が滲んでも、歯を食いしばって動きを止めない。
「行ってください!!!!今しかないっす!」
その声に背中を押され、ナオは腰のポーチから園内の非常用フレアを引き抜き、迷いなく茎の根元に突き刺した。
「悪いな。まだ死ぬわけにいかんのや」
ドッ、と爆ぜる光と熱。
影は焼かれたようにのけぞり、耳をつんざく咆哮を上げた。
黒い花々が一斉に花弁を散らし、温室の壁を叩くほどの風が巻き起こる。
その中心で、一人の女性の顔が浮かび上がった。
口がわずかに動く──「ありがとう」。
次の瞬間、影も花も、跡形もなく霧散した。
数日後。
温室には再び花が咲いていたが、その色はどこか褪せている。
派手さも艶やかさもない、静かな色合い。
休憩中のナオは、コーヒー缶を手にしながら、同じく休憩中だったしおりと並んで温室を歩く。
しおりが立ち止まり、褪せた花々を見つめて小さく呟く。
「……花が、少し寂しそう」
ナオはその横顔をちらりと見て、笑みを浮かべる。
「でも、これがええ色や」
その言葉に、しおりは不思議そうに眉を寄せたが、何も言わずにまた歩き出した。
温室を出ようとした時、彼女がふいに立ち止まる。
「……あの、無茶しないでくださいね」
真剣な眼差しに、ナオは思わず笑ってしまう。
「心配してくれるんやな」
「……ダメですか……?」
しおりは視線を逸らすが、耳はほんのり赤い。
温室の奥で風が花々を揺らし、夕陽の光が差し込む。
褪せて見えた花の色が、一瞬だけ鮮やかに蘇った。




