第1章【第7話:記憶保管庫】
第7話:「記憶保管庫」
観覧車の下にある古びた小屋。
夜の闇に半ば埋もれたその扉には、「関係者以外立入禁止」のプレートが錆びてぶら下がっていた。
あやめは一瞬躊躇したが、ナオの強い眼差しに頷き、錠前を切る。
中は真っ暗だった。
懐中電灯の光だけが細く伸び、床に照らされると──そこには無数のコードと、割れたモニター、そして奇妙な記録装置。
「ここ……なんや、ラボか……?」
壁には無数の名前が貼られたファイル棚が並び、その一つ一つに番号が記されている。
**「被験者 No.003」──そして、「被験者 No.007」**と書かれたファイルが半開きになっていた。
ナオがファイルを開くと、中にはびっしりと文字が書かれた紙が数枚。
その文字は、途中から明らかに崩れ、何かに怯えるような震えた筆跡に変わっていた。
> 記憶の同期中、対象が自我を喪失した。
> 記憶はコピーできる。しかし、その先にあるのは“自己”の崩壊。
ナオはそっとつぶやく。
「……この装置は、記憶を移すんやない。
記憶を“複製”し、それを他者に“上書き”する装置なんや……」
あやめが「被験者 No.003」のファイルを手にしていた。
彼女の目に、一枚の写真が映る。
「これ……お姉ちゃん……?」
写真には、白い椅子に座らされ、瞳に焦点のない若い女性の姿が写っていた。
顔立ちはあやめに似ていたが、その目は──もう、何も映していなかった。
「さっきも記憶の中で見た。実験で、“消された”んや……君の姉さんは……」
「そんな……そんなことって……」
「悪い、悲しむんは後にした方がえぇ」
「なんで……私は助けるためにここに来たのに……全部遅かった……ごめん……お姉ちゃん……」
「確かにもう“助ける”んは無理や。けど、まだできることはある。ここは嫌な感じがする。泣くのは後や」
その瞬間、背後で何かがカチリと鳴った。
部屋の奥にあった端末が、ひとりでに動き出していた。
画面に“ACCESSING MEMORY ARCHIVE…”と表示され、次々と映像が再生されていく。
・少女が泣きながらアトラクションに閉じ込められる記録
・夜のパレード中に、スタッフが突然意識を失う映像
・観覧車の頂上で、誰かが「記憶が違う……私じゃない……!」と叫んで飛び降りようとする様子──
ナオの頭が痛んだ。
視界が歪む。
ノイズが走る。
何かが、脳に侵入してくる。
──これは……俺の記憶やない。誰かの“記憶”が、俺に混ざってきてる……!
膝をつくナオの肩を、あやめが支える。
「ナオ……?」
だがその声が、違った。
声色はあやめのままだったが、語調が変わっていた。
「……あなた、もう“ナオ”じゃないかもしれないのね」
ナオが顔を上げると、あやめがナオを見下ろしていた。
目の奥が深い闇に変わり、彼女の中の“何か”が目を覚ましたようだった。
「君……あやめやないやろ……?」
あやめの口がにやりと笑った。
「“あの子”の記憶、少しだけ借りてるの。
でも、いいじゃない。あなたのことも、私の中に入れてあげる。
──だって、ここは“誰の記憶かなんて、意味のない場所”なんだから」
ナオの脳内に、また違う映像が流れ込む。
今度は、自分が知らない“記憶の断片”。
だが、恐ろしいことに──それが本当に自分の過去だったように感じられる。
「やめろ……俺は、俺や……!!」
ナオは頭を抱え、目を閉じる。
視界が真っ白になった瞬間──
ドォンッ!!
背後のラックが崩れ、部屋の電源がすべて落ちた。
あやめが、膝をついて倒れる。
ナオが駆け寄ると、彼女は震えながら息をしていた。
「……ナオ……? 私……どうしたの……?」
どうやら“何か”が彼女の中に入りかけて、途中で離れたらしい。
「気にせんでええ。……けど、これでわかった。この場所そのものが、“記憶を媒介する化け物の器”なんや」
あやめが呟く。
「……もしかして、ミサも……自分の記憶が“上書き”されそうになって……自分を保つために、観覧車に“封じた”んじゃ……」
ナオはファイルを握りしめて立ち上がる。
「この実験はまだ終わってへん。今も誰かが、ここを使ってる──“あいつ”は今も、記憶の奥におるんや……」
そのとき、外から「カシャン……カシャン……」と金属音が響いた。
──観覧車が、誰も乗っていないのに、動いていた。
次回予告:第8話「記憶の乗客」
無人で動く観覧車。その17番ゴンドラには、“消された記憶”を持つ何者かが乗っていた。
ナオとあやめは、記憶の乗客の正体を追いながら、「記憶拡散システム」の存在に近づく。
しかし、ナオの脳内ではすでに“記憶の侵蝕”が始まっていた──。