第1章【第6話:観覧車の中の声】
第6話:「観覧車の中の声」
夜のパーク。
観覧車「ドリーム・スピン」は、静かに動き続けていた。
地上から見上げると、まるで時間を止めたように、暗闇の中で赤いライトがぽつぽつと瞬いている。
「ここが……ミサが最後に乗ったゴンドラ」
ナオが指さしたのは、青いシートの17番ゴンドラ。
通常、閉園後は電源は落とされて閉鎖されているが、今はなぜかその扉だけが開いていた。
「待ってたみたいやな……」
ナオはゆっくりと中へ入る。
あやめは一緒に行くと言ったが、ナオは「一人のほうが“見える”」と告げた。
扉が自動で閉まり、軋む音とともにゴンドラは動き始めた。
外は静かだった。
風もない。
ゴンドラの中はひどく蒸していて、なのに背筋は氷のように冷たい。
「……来るな」
ナオはそう口に出したが、すでに来ていた。
天井の角──
誰もいないはずのその場所に、“音”が生まれる。
カタ……カタ……
硬いものが、そこにぶつかっているような乾いた音。
次第にその音は、ゴンドラ全体に広がる。
──きこえますか……
鼓膜に直接響くような、歪んだ声。
ナオは静かに目を閉じる。
影がそこにいる。
けれど、今回は襲ってくる様子がない。
「お前……誰や?」
──わたしは……もと、ミサ……でした……
心臓が止まるかと思った。
目を開けると、向かいの席に女が座っていた。
シルエットはミサだった。
けれど顔は黒くぼやけ、目だけが白く、形をなさない。
「……生きてるんか?」
女の口が、ゆっくりと開いた。
──わたしの体は、もうここにありません……
でも、記憶だけが、まだ“ここ”に残っています……
ナオは息をのむ。
“記憶の亡霊”──それがミサの正体だった。
だが彼女は、ただの幽霊ではない。
自らの意志で、記憶として残ることを選んだ者。
「なぜそんなことを……?」
──わたしは“実験体”でした
──このパークには、“記憶同期”を使った洗脳実験が行われていたのです。
観覧車が頂点に近づくにつれて、ミサの記憶がナオに流れ込んでくる。
◆
園長室の隠しドア。
その先にある白い部屋。
壁に取り付けられた無数のモニター。
眠らされ、記憶を覗かれ、用がすんだら削除される“被験者”たち。
その中には──三田村あやかと名前が書かれた“ヒトだった何かの姿”も。おそらくあやめの姉だった者。
「やめてください……! わたしの記憶は、わたしのものです!」
ミサの叫びは、誰にも届かなかった。
彼女は、装置の中で“自分”を喰われていった。そして、わずかな“記憶の破片”だけを観覧車に残した。
◆
ナオは、息を詰めたまま涙を浮かべる。
「……お前、誰かに伝えたかったんか?」
ミサの影が、かすかにうなずく。
──わたしは、記憶の中の亡霊。でも、あなたは“いま”にいる
──あなたなら、あれを止められるかもしれない……“観覧車の下”、探して──
その瞬間、ゴンドラが頂点に到達した。
急に風が吹き込み、ナオの耳元で、ざわりと“何か”が囁く。
──次は、あなたの番……
ナオが振り返ったとき、ミサの姿は消えていた。
窓の外に、観覧車の支柱下にある小屋が見える。
「……あそこや……」
ゴンドラが地上に戻ると同時に、ナオは飛び出した。
「ナオ! 大丈夫!?」
あやめに向かって、ナオは言った。
「わかった……あの観覧車の下に、まだ何かある」
「下って……」
「あの小屋や。」
あやめが息を呑む。
「そこ、5年前に封鎖された場所よ……!」
ナオは、じっと闇の先を見据えながら答えた。
「その封鎖された場所に、“本物の怪物”がおるかもしれへん……」
夜の観覧車が、ゆっくりと回り続ける。
まるで、記憶をすり潰す機械のように──。
次回予告:第7話「記憶保管庫」
観覧車の真下に封印された「記憶保管庫」──
そこには、被験者たちの“消された記憶”と、“何か”が今も生きていた。
ナオは、自分の記憶が少しずつ“上書き”されていることに気づく。
そして、あやめが突如として別人のような言動を始め……。