第5章「残響域」
朝焼けが地平線を染める頃、M3村落の廃墟には濃密な煙と、焼け焦げた鉄と血の匂いが入り混じって漂っていた。太陽はまだ低く、その光は斜めから遺された壁を照らし、焦げたスチールの影を長く引いていた。タイゾウはその中に立ち、手にしたカメラをそっと構えた。
ミラーレスのシャッター音が、何度も乾いた空気に吸い込まれていく。レンズ越しに映るのは、崩れた屋根の下に取り残されたオモチャのトラック。片輪を失い、焦げついた車体の側面には、少年の名前がマジックで書かれていた。
「ヤマ、ここにいたのか……」
彼は呟き、カメラをそっと下ろす。ヤマ──数日前に彼に手を振ってくれた、カンボジアの少年兵。カメラのファインダーの中で笑っていたあの子は、もう、そこにはいなかった。
背後に人の気配を感じ、タイゾウは振り返る。
「それでも、撮り続けるのか」
弘道がいた。制服の迷彩には、まだ戦闘の痕跡が残っていた。ススで汚れた顔に、一夜を越えた重みが滲んでいた。
「俺が撮らなきゃ、こいつらがここにいたことすら、世界から消える」
「分かってる。だがその“世界”が、どこまでこの現実に向き合うかは別だ」
弘道は村の中央部を振り返る。重機が入り、瓦礫の除去が始まっていた。そのすぐ先では、国連の報道官が英語で記者団に何かを説明している。
「“偶発的な小規模衝突”と発表される。死者の数も削られる。武装勢力の詳細も、位置関係も、作られたストーリーで上書きされる」
「じゃあ、俺の写真は無意味か」
「逆だ。君の写真は“真実の残響”になる。誰かが、君の写真で未来に疑う。その連鎖がなければ、戦争は記録の外で繰り返される」
二人は、言葉を失ってその場に立ち尽くした。風が吹き抜け、瓦礫の影が震えた。タイゾウはカメラを再び構え、ファインダー越しに弘道の横顔を覗いた。
「目が……変わったな」
「君の目もな。かつては、もっと光っていた」
しばらくの沈黙ののち、タイゾウがカメラを下ろした。
「この画像を、日本に送る。だが、公開のタイミングはこっちで決めたい」
「了解した」
弘道はポケットからUSBメモリを取り出し、手渡した。
「この中に、昨夜のドローン映像と、戦闘直後の熱源追跡データが入ってる。人物のプロファイルも──君が撮った写真と組み合わせれば、“誰が引き金を引いたか”が見えるはずだ」
「それを公表すれば、確実に国際的な火種になるぞ」
「覚悟はある。だが君が判断しろ。報道の倫理と、現場の事実を天秤にかけられるのは──俺じゃなくて君だ」
タイゾウはUSBを手に取った。
「……ありがとう」
その言葉は、報道カメラマンとしての礼ではなく、人間として、兵士として、同志としての感謝だった。
その日の午後、衛星回線を通じて日本の私書箱宛に、複数の高解像度データが送信された。画像には、村の地図、熱源の遷移記録、戦闘後の空撮写真、そして子どもたちの小さな笑顔と、崩れた家の壁が並んでいた。
そのすべてが、ただ一つの問いかけを含んでいた。
──この戦争に、意味はあったのか?
そして、誰がそれを語る資格を持つのか。
夜。タイゾウは宿舎のベッドに横たわりながら、デジタルファイルの整理を終えた。電源を落としたカメラの冷たいボディを両手で包み、まるで古い友人の体温を探すように目を閉じた。
闇の中、遠くで銃声が鳴った。それが現実のものか、夢の続きか──もう彼にもわからなかった。