第4章「クロスライン」
午前3時22分。夜明け前の熱帯圏は静まり返り、虫の声さえ止んでいた。赤道に近いこの地域では、夜と昼の境界がはっきりしており、闇は唐突に切り替わる。しかし今は、闇が最も深く重い“戦場の午前”だ。
M3村落の東端に位置する高台には、砂袋で組まれた臨時の観測陣地が設けられていた。そこに身を潜めるのは、タイゾウと弘道、そして無言で周囲を監視する3人の情報部隊員。彼らの目は、ナイトビジョン越しに点滅する小さな熱源に集中していた。
「三角隊、南東に移動開始。歩兵五、ドローン一機確認」
通信兵の報告がヘッドセットを通して弘道の耳に届いた。弘道は無言で頷き、視線をナイトスコープに落とす。薄緑色に染まった闇の中、点滅するように動く白いシルエット──それが“クロスライン”の先端部だった。
「タイゾウ、記録準備」
弘道が静かに告げた。タイゾウは膝を地面に押し当て、愛機の電子シャッターを起動する。最新式の低光量対応型ミラーレス一眼──ISO128000まで対応する特注モデルだ。
だが彼の手元には、もう一台、旧式のNikon EFも置かれていた。黒いボディーに貼られたガムテープの端がほつれ、銃弾で砕けた200ミリレンズの残骸がボディに残されたまま、あの戦場から持ち帰った“亡骸”だった。内部のICUチップは今も弘道が解析を進めている。
「……まるで、亡霊の記憶に向き合うみたいだな」
タイゾウが呟く。
「記録は、すべての弾丸より重い。君がここに来た理由を、忘れるな」
その言葉に、タイゾウはカメラを構えた。ファインダー越しの闇が、ゆっくりと像を結ぶ。
──そのとき、爆発音。
地面が揺れ、視界の隅で煙と閃光が立ち上がる。M3村落の北端。推定着弾点は民間建築のすぐ裏手。
「未確認砲撃、着弾音! 起点を特定、確認班はドローン展開!」
弘道が瞬時に指示を飛ばす。隊員たちは沈着に動き、数秒で小型ドローンを射出。タイゾウはその瞬間を逃さず連写する。
「映像、来た──」
ドローンの赤外線映像に、二つのヒューマンシルエットが映る。ひとりは銃を構え、もうひとりが肩越しに何かを指示している。服装は不統一、だが腰には近代型の通信端末。
「まさか……“協力者”か?」
弘道はディスプレイを睨みつけた。「写真と照合する」
数秒の沈黙。タイゾウがシャッターを切り続ける。機械音が静寂に溶けていく。
──ヒット。
画像解析が示したのは、タイゾウが過去に撮影した“死んだはずの国連職員”と、今映像にいる人物の照合率87%。
「……確定だ。奴は生きている。そして、今この瞬間も指揮を執っている」
弘道は呟いた。
「記録は、もうただの記録じゃないな。これは、開戦の証拠になりうる」
タイゾウはカメラを下ろし、口元を引き結んだ。
「俺が撮ったものが、人を殺す理由になるかもしれない。それでも撮れと言うのか」
弘道はわずかに沈黙し、静かに言った。
「君が撮らなければ、もっと多くが闇に葬られる」
数分後、部隊は村落への接近命令を受けた。弘道は前進班を率い、タイゾウは二線から映像を記録する。
「俺たちは正義のために動いてるわけじゃない。ただ、嘘を減らすために動いてる」
その夜、M3村落では一切の灯火が絶えていた。影だけが歩き、真実だけが記録された。
そして、全てが静かに動き出した。