第3章「記録者と監視者」
タイゾウが軍の仮設通信基地に足を踏み入れたのは、正午過ぎだった。薄く乾いた日差しの中、砂利の舞い上がる仮設道路を抜け、迷彩色のテント群に囲まれた空間。そこに建てられたコンテナハウスは、外観こそ粗末だが内部は空調と衛星通信が整備され、まるで前線の中枢神経のような機能性を備えていた。
部屋に入った瞬間、涼しさと共に機械の排熱のにおいが鼻をついた。発電機の唸る音、冷却ファンの風切り音、そして何よりも、デジタル機器が静かに動作している、あの低周波のような電子的な気配。
弘道はそこで待っていた。迷彩服の上に防弾ベストを着けたまま、暗号通信端末の画面を凝視していた。
「来たか」
彼は短く言い、指先で端末の画面を示した。タイゾウが視線を落とすと、そこには彼の撮影した写真が拡大されて表示されていた。
「この人物──見覚えはあるか?」
拡大されたのは、M3村落の中央部で、倒れた民間人を抱える男。その顔には確かに見覚えがあった。数年前、シリア北部で出会った国連付の現地調査官だった。だが、記録上はすでに“殉職”とされている人物だ。
「……死んだはずの人間が、なぜここにいる?」タイゾウは呟いた。
弘道は頷いた。「それを追っている。君の写真が我々の最後の鍵になる可能性がある」
二人の間に沈黙が落ちた。かつて一度だけ交錯した人生の断片が、いまここで再び接続されようとしている。
「……俺はもう、誰が敵で誰が味方なのか、わからないんだ」
タイゾウの声には、戦場を渡り歩いてきた者だけが持つ、絶望と倦怠がにじんでいた。
「ならば、君が記録するものが、それを判断する材料になる。誰が真実の中心にいるのか。それを決めるのは俺たちではない」
弘道は言葉を続ける。「我々の任務は、敵を撃つことではない。混沌を解像度の高い“像”に変えることだ」
その言葉に、タイゾウは軽く目を細めた。彼の手は無意識にカメラのグリップを握っていた。
コンテナの外では、輸送車両のエンジンが再び唸りを上げた。隊員たちの声が飛び交い、出撃の準備が着々と進んでいく。
弘道は最後に言った。「君には、再びカメラを手に取ってもらう。だが、今回はただの傍観者ではない。君の記録が、今度こそ“抑止”になる」
タイゾウは静かに頷いた。
そしてその夜、二人は衛星通信車両に搭載された情報解析ユニットに乗り込み、敵勢力の拠点とされるM3村落東側の集落へ向かった。
車内のディスプレイには、AIによって即時解析された衛星画像が浮かんでいた。
「これは……輸送車両が6両、そして中央に地対空ミサイルと見られる影」
「彼らは単なる民兵ではない。国家の影がある」
弘道の言葉に、タイゾウは問いかけるように言った。「君は……それでも“任務”を信じているのか?」
「信じるというより……他に選択肢がない」
冷えた車内の空気が、言葉の背後に潜む決意と諦念をより鮮やかに浮き彫りにしていた。
彼らが村の外縁に到着したのは、深夜0時過ぎ。無月の空、遠くで犬が吠える。
タイゾウは静かにカメラを構えた。
そして、またひとつ、戦争の記録が始まった。