第1章『シャッターと引き金』
午前6時23分。地平線の際からゆっくりと昇ってきた太陽が、薄靄に包まれたカンボジアの集落を茜色に染めていく。タイゾウは泥まみれのベッドから身体を起こし、半ば無意識に手元の時計を確認した。
天井には小さな換気扇が回っている。だが湿気と熱気は部屋から逃げることなく、彼のシャツにじっとりと汗が滲んでいた。木製の床が軋む音と、外から聞こえるモータータクシーのエンジン音が重なる。
タイゾウ──本名、田井蔵信吾。かつては地方紙の契約カメラマンだったが、十年前のある取材をきっかけに戦場ジャーナリズムに身を投じた。今では“無所属フリー”の報道写真家として、紛争地帯を渡り歩いている。
このプノンペン郊外の村には、すでに3週間滞在している。目当ては、内戦状態が続く北部州で活動中の自衛隊特殊部隊と、彼らの介入に関する情報だった。だが現地報道は抑制され、外国メディアのアクセスも制限されていた。
タイゾウは蚊帳を巻き上げ、小さなテーブルの上に置かれたカメラバッグを開けた。中には、愛用のニコンZ9とズームレンズ、夜間撮影用の暗視アダプター、それに手製の水防パックに包んだSDカードがぎっしりと詰まっている。
彼は一つ一つの機材に軽く触れ、手触りと重さを確かめた。それは単なるルーティンではなかった。カメラのシャッターは、時に銃よりも鋭く真実を貫く。だがそれを握る者が覚悟なくして撮った写真は、ただの“絵”でしかない。
床の隅に置かれた小さな冷蔵庫から、タイゾウは前夜の残りの水を取り出した。ぬるくなったボトルを傾けながら、彼は昨夜編集した画像ファイルの一覧をPCで開いた。画面には、斜面に隠された弾薬庫のような構造物や、迷彩服の一部を覗かせた不審な人物の姿が写っていた。
それは、単なる“スクープ”ではない。映し出されているのは、軍と民、加害者と被害者、そして真実と虚構の境界線だった。
部屋の外では、トカゲが壁を走る音がした。タイゾウはふと、十代の頃を思い出す。
信州の山間部で育った彼の家は、小さな町の商店街にある写真屋だった。毎晩、暗室にこもる父の背中。現像液の中で浮かび上がる画像。白い印画紙が黒々とした現実を映す瞬間──あの魔術のような光景こそが、彼の原体験だった。
タイゾウはデジタル時代の報道写真家だが、感性は今もフィルムの“待つ”リズムを忘れていない。
その日、彼は村の雑貨屋でふと手に取った日本の週刊誌の隅に、1枚の写真を見つけた。そこには、正装した陸自幹部たちと、横断幕に掲げられた「第101師団戦没者合同葬儀」の文字があった。
「さらに犠牲者が出たのか……」
その師団は、かつて彼が取材した部隊だった。
湿った空気が一層重く感じられた。
──彼は記録者である。
だが、記録するという行為が、果たして誰のためのものなのか。その答えはまだ、見つかっていなかった。