第4章 虚構の安全保障
帰国した三国彰が最初に向かったのは、霞が関の裏にある旧通産省系の財団ビルだった。その最上階にオフィスを構える東栄総合電機の広報戦略部、堂島央が彼を待っていた。
「おかえりなさい。無事でなにより」
堂島はワインレッドのネクタイにピンストライプのスーツ、そして終始にこやかな微笑を絶やさなかった。その奥に、緻密な演算機のような意図が読み取れた。
「ASEANでは何か“手がかり”を得ましたか?」
「少なくとも、記事にする価値はある内容でした」
「……その記事、掲載の前に一度、こちらにも目を通させてもらえませんか?」
三国は沈黙した。堂島がなぜそんなことを言うのか、理由は明白だった。
東栄総合電機は、自社の防衛産業部門を通じて日本政府との軍事契約を多数持っており、同時に国内最大手の報道機関への広告主でもある。年間数百億単位のプロモーション費用が、報道の“方向性”を微妙に修正してきた。
「政府に敵対的な印象を与える報道が、国家安全保障に資するとは限りません」
堂島は穏やかに、だが確実に釘を刺す。
「あなたが持ち帰った情報が、もし“現実以上のリアリティ”を持ってしまったら、政権も、株価も、国民感情も同時に揺らぎます。私たちは、それを避けたい」
「報道の役割とは、事実を知らせることだ」
「いいえ、読者が“安心して読める現実”を提供することです。社会にとっての安全とは、必ずしも真実と一致しない」
その言葉に、三国は思わず拳を握りしめた。だが次の瞬間、堂島が見せた一枚の書類が彼の動きを止めた。
《内閣安全保障会議秘密覚書》
そこには、日本政府と『鏡界研究基金』、および防衛産業界による「情報誘導型外交調整プロジェクト」の進行が明記されていた。
「これが何を意味するか、お分かりでしょう。私たちは、政局だけでなく、国際社会の“読み”に対しても準備が必要なのです」
堂島は冷静だった。
「そして今、あなたが報じようとしている情報は、まだ“国として消化できる”段階にはない」
帰社した三国は、情報編集局の会議室で早々智子と向き合った。
「堂島に握られている。報道が、企業の安全保障の一部に組み込まれてる」
智子は顔色を変えた。「記事は……どうするんですか?」
「今出せば、会社ごと吹き飛ぶ。もしくは、記事が差し替えられて俺が切られる」
「ならどうするの?」
三国は黙ったまま、河本の声が残る録音ファイルを再生した。
『……俺が死んでも、記事にするな。そう言いたい。でも、これは止めたらいけない。俺の命を使ってでも、誰かが世に出さなきゃならない。お前だけだ、三国』
早々智子は立ち上がった。
「じゃあ、私が書く。あなたの名前じゃ危険なら、私が代わりに」
「そんな簡単な話じゃない。君まで巻き込むわけには——」
「違う。あなたはもうとっくに巻き込んでる。私だって記者なんです。覚悟なら、とうにできてます」
その言葉に、三国は言葉を失った。
数時間後、社内のサーバにアクセスされたファイルがひとつ。タイトルは《JAPAN SECURITY FAÇADE(日本の安全保障の虚構)》
そこには、榊原柊吾の経済工作、堂島のメディア統制、エリカ・ハインツのSNS心理戦略、そして渋沢宏道の“外交演出”が、克明に構造図としてまとめられていた。
そして、それを手にする最後の手段として、三国が決断する。
——このファイルは、社ではなく、ネット上の“非公式チャンネル”から公開する。
虚構の安全保障が、どれほど精巧な構築物であっても、真実の重さには勝てない——そう信じて。




