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第2章 公安の記憶



夜の帳が降りた都心を、岡島麗奈は無言で歩いていた。黒いスーツに身を包み、髪をきつく後ろで束ねた姿は、警察庁公安調査官という肩書きを裏切らぬ緊張感を漂わせている。歩く先には、かつて恋人だった河本恒のマンション。彼の死から、すでに三週間が過ぎていた。


公式には「急性心不全」。だが彼女の本能がそう断じるのを拒否していた。彼はそんな終わり方をする男ではない。事実、死の直前まで彼は何かに怯えていた。会話の端々に、誰かに見られているという暗示。何か巨大な存在を背負っているような影があった。


その夜、彼の部屋に侵入することに後ろめたさはなかった。公安の情報網を使い、管理人に電子キーを無言で解除させる。室内は几帳面で、生活感が希薄だった。


岡島は真っ直ぐに書斎へ向かった。机の引き出し。日記帳のような革張りのノートが一冊。開くと、ページの隅に小さくメモされた英数字。


「NEX-47/S3-追尾」


彼女はそれを見て、瞬時に理解した。それは公安内部の機密コード。河本が公安の極秘案件に接触していたことを意味していた。


その足で霞が関の警察庁に戻った。情報統括課の旧知の同僚・三田村と廊下の隅で短く言葉を交わす。


「S3案件って、まだ動いてる?」


「……お前、河本の女だったな。今さら何を掘り起こす?」


「何があったのかだけ、知りたい」


三田村は苦い顔をしたまま、封筒を一つ差し出した。中には監視カメラの静止画像。河本があるビルに何度も出入りしていた記録。そのビルには『鏡界研究基金』の名が記されていた。


渋沢宏道——公安すら直接的に手が出せない、外務省OBネットワークの中枢。そして現在は、日本を媒介として米中間の“情報調整”を担う黒幕。


麗奈は翌日、そのビルに赴いた。アポイントもなく、名刺も出さず、ロビーにいる女性スタッフに声をかける。


「渋沢宏道に伝えて。公安調査官・岡島麗奈が、河本恒の死について話があると」


その名を出した瞬間、ロビーの空気が張り詰めた。


待合室で30分。やがて現れたのは、渋沢本人ではなく、財団顧問のエリカ・ハインツだった。金髪を束ね、整ったスーツに身を包んだ彼女は、まるで広告代理店の幹部のように見えた。


「あなたが公安? 日本は相変わらず、劇場型が好きね」


「河本さんは、あなたたちに殺された」


「証拠は?」


エリカは、微笑んだ。


「彼は“理解できない構造”に触れすぎた。あなたも、今、その扉を開けようとしている」


麗奈の背筋が冷える。


「あなたが渋沢の盾なのね」


「盾ではない。翻訳者よ」


「何の?」


「秩序という名の嘘。あなた方公安が守ってきたそれは、もう機能していない」


麗奈は席を立ち、低く言い捨てた。


「河本は、報道で秩序を守ろうとした。あなたたちは、それを壊した」


部屋を出た後、彼女は警察庁地下の保管庫で、河本が残したボイスレコーダーの存在を確認した。


そこに記録されていたのは、彼の震える声。


「三国……お前にだけは、知られたくなかった。俺は、たぶん……終わりだ。だが、まだ間に合う。あいつ——渋沢の背後に、もっと深い影がある。誰かが、記録しろ。これは、国家が国民に仕掛ける罠だ……」


岡島麗奈の胸に、冷たい確信が宿った。


彼女はこの録音を、三国に届けるべきか迷っていた。だが、決意はすでに固まりつつあった。


“私は、情報機関の人間としてではなく、一人の人間として、真実に向き合う”


その夜、彼女は三国にメールを送る。添付された音声ファイルの名は、ただ一言。


「カワモト・ラスト・メモリー」


翌朝、三国の手元に届いたファイルを再生した瞬間、彼の中で何かが変わった。報道の矜持か、それとも贖罪か——だがそのどちらでもあり、どちらでもなかった。


公安の記憶は、まだ終わっていなかった。



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