小説断章:「灰色の昼下がり、国旗は風に鳴った」
コンビニの透明な自動ドアが閉まる音が背中に押し寄せた。夏とも秋ともつかない曖昧な空気が、駅前の雑踏の上にゆらりと浮かんでいた。左手に雑誌、右手にサンドイッチ。空腹を誤魔化すには十分な量だったが、咀嚼のたびに口内がざらつく。
彼はベンチに腰を下ろすと、週刊誌のページを何の興味もなくめくりはじめた。政治家の不倫、芸能人の破局、見出しはどれも嘘くさく派手で、色の抜けたパチンコ屋の看板のようだった。
ふと、最終ページの手前で手が止まる。
小さな白黒写真だった。モノクロームの画面にあって、唯一そこだけが異様に鮮やかだった。写真中央に、赤い日の丸が風にたなびいていた。整列した戦闘服の列、その前方の壇上には、見慣れた顔の幹部たち——階級章の並び、背筋の伸び方、全てが記憶と一致する。
《陸上自衛隊第101師団 戦没者合同葬儀》
彼は喉を詰まらせたまま、しばらくその文字列を見つめていた。
「あの部隊は、まだ戦っていたのか」
口にした言葉は誰にも届かない。いや、届いてはいけなかったのかもしれない。
3年前。彼はその師団とともにあった。カメラを武器に、弾の降る中を匍匐して、血と泥を切り取ってきた。レンズの向こう側に人間がいた。死にかけの兵士、泣き叫ぶ子供、指を失った無言の男。それを撮り続けることでしか、自分が「生きている」と証明できなかった。
彼は雑誌を閉じ、サンドイッチの残りを握り潰した。食欲はすでにどこかへ逃げていた。
公園の木陰。昼休みを終えかけたスーツ姿の群れが戻っていく。
灰色の波。左から右へ、上から下へ。個々には表情があるのに、全体としてはただの流れだ。
俺は、その波に呑まれない岩なのか。それとも流れに浮かぶ浮き草か。
目を閉じる。暗闇の奥から、ぬめるような感触がじわりと這い上がる。
ぬるりとした何かが、自分の足元にまとわりついている気がした。動こうにも、脚が水底に沈んだように重い。
「これは、夢だろうか」
違う。これは、現実だ。あの戦地も、死者たちも、そしてこの国旗も。現実だ。
ただ、その現実の中で俺が何者であるかを知る術は、もう残されていない。
味方も敵も曖昧になり、境界線は泥のように流れ出していく。
それでも彼はカメラを手にする。レンズをのぞき込むことでしか、自分の存在を感じることができないからだ。
今日も、明日も、そして多分、死ぬ日までも。
「この国の戦争は終わっていない。俺が終わるまで、この国のどこかで、静かに燃えている。」
彼は立ち上がる。雑誌をゴミ箱に押し込み、サンドイッチの袋を結ぶ。
旗の記憶は、彼の胸の奥で、風に鳴っていた。