2章の1 李晨風は悪夢で王星宇に出会い共犯者になる
むせかえるような花の匂い。
通り過ぎた池泉にちらりと自分の姿が見える。今の虎虎よりも幼い、青白い顔。子供のころの自分。
洞門を越えると、一面の芍薬。
また夢だ。
いつの記憶だかはわかっている。初めて、父親に連れられて、彼の屋敷にやってきたとき。
親同士が話に花を咲かせているときに、同じくらいの年の息子がいるからと、庭に放り出されたのだ。
「はじめまして」
芍薬の中に、王星宇がいた。彼もまた、少年の姿をしている。やはり十郎と似ているのだが、その表情は彼に比べて自信に満ちている。
長いすっきりとした眉毛の下の、切れ長の瞳が晨風を見る。王家の男といえばみな見目麗しいことで名高かったが、振り返った少年には、落ち着いた色気があった。晨風の周囲にいた同い年くらいのいとこたちとは違い、子供めいたところがない。自分より三歳しか年上とは思えなかった。
「小晨、でいいかな。父上がきみのことをそう呼んでいた」
「はい。星兄さん?」
不安げに名前を呼ぶ自分に、彼は微笑む。それでいいらしい。
「こちらへおいで」
「はい」
「少し食べるかい?」
おずおずと近づいた晨風にいたずらっぽく微笑んで、彼が手にした果実を見せた。
「桃ですか?」
「そう。ほら」
差し出された食べかけの果実を口元に持っていかれ、思わずそのままかじる。甘い汁が唇を濡らした。喉が渇く。
「ふふ。これできみも共犯者だな」
「え?」
「実は、父上に内緒であの木の桃をとったんだ」
ああ、ここからは夢なのだ。
晨風はそう思う。なぜなら、あの初めて彼に出会った日、彼は差し出された桃の実を口にすることはなかったからだ。
口元に触れるか触れないかというそのとき、星宇の兄──何番目だったかは忘れてしまったが、兄の多い家だった──が通りかかり、彼のいたずらを見咎めたからだ。それで、こう見えて案外いたずらっ子な弟をどうかよろしくとか、そんな話をされたように思う。優しかったから、病気で早逝したひとつ上の兄だったか。
夢の中ではそんな中断はなく、甘さにあえぐ自分を見て、星宇は嬉しそうに微笑んでいる。
見つめられて、もうひとくち食が進んだ。べとべとに汁に濡れた星宇の指が、唇に触れる。
相変わらず彼らを阻むものは現れない。
甘い。甘ったるくて息ができなくなりそうな春の空気の中、晨風の胸に冷たい思いが飛来して沈殿していく。
もしかしたら、自分は彼の共犯者になりたかったのだろうか。
苦しい、息を吸いたい。
晨風は空を見上げて息を吐く。ふわりと赤い羽根が落ちてきた。