4章の4 李晨風は虎虎に謝罪する
晨風と虎虎は半日歩いて、劉と最初に出会った客舎の前まで帰ってきた。
途中で心配した虎虎が、自分に乗ってもよいと申し出たのだが、晨風は断った。自分たちに基本的な体力の差はあるのだろうが、それでも虎虎も疲れているだろう。
劉と別れを告げて、ふたりは客室の寝台で横たわった。ひどく疲れている。
隣に服を脱ぎ捨てた虎虎がもぐりこんできた。虎になって寝るつもりなのか。均整の取れた上半身が見えて、すっかり大人になっているのにどきりとする。
晨風は手を伸ばすと、虎虎を抱きしめた。虎虎も手を伸ばして晨風を抱きしめる。
「ああ、兄さんだ」
甘えるように顔をこすりつけられて、無造作に伸びた髪が顎にぶつかってくすぐったい。
生きている存在の熱が心地よかった。虎虎に触れていれば、甘い香りをまとわりつかせた星宇の凍りついた体温の感覚が、少しずつ紛らわされていく気がする。
耳元で、虎虎がささやく。
「大丈夫だよ、兄さん。劉のおじいさんが言ってた。十郎は、本当に帰るべきところに帰ってもらう儀式をしただけだって。また、中元節にはこっちに帰ってくるかもしれないし、ちゃんとまた、新しく生まれてくるって」
「そう、か」
虎虎が自分に気を遣って、そう言ってくれたのがわかった。
「大丈夫、あいつのことが思い出になるまで、僕がずっと兄さんのそばにいるから」
「……虎虎、ありがとう」
ふふっと、虎虎が笑う声がした。天真爛漫な彼には珍しい、おとなびた笑い方だった。
「村に帰ったら、桑先生のところで、私も教えようかな」
「兄さんも、先生になるの?」
「そう。桑先生に誘われてたからな」
「桑先生はいいひとだよ」
「そうだな」
「そっか。よかった」
「おまえのおかげだよ。私は、人間が嫌いだけれど、おまえが言うように、いいひとも悪いひともいるよな。星兄さんだって──」
完全に、悪い人間というわけではないのだ。彼は自分のために、晨風を都合よく隣においたり退けたりしていたけれど、それでも彼の判断が、晨風の身を守ったのも確かだったし。
「兄さん」
少し不機嫌な声で呼びかけられる。星宇の話をしたからだろうか。虎虎の顔を改めて見る。あどけなさが影をひそめ、精悍な眉元がひそめられている。瞳が危うく金色に光る。怒っているのだろうか。
考える間もなく、そのまま唇に唇を押しつけられた。
「……っ」
唇の外側から噛みつくように舐められて、口の奥まで舌が差し入れられて、息ができない。
「……虎、虎……待っ、」
晨風は思わず苦しい声を漏らしたが、虎虎は動きを止めなかった。身を委ねそうになって、晨風は慌てて片手で虎虎の肩に触れた。我に返ったように、虎虎がぴたりと動きを止める。
自分を見下ろす、虎虎の金に光る瞳を見つめた。獲物を狙う目をしている。それに戸惑って、晨風は思わず口走っていた。
「あー、虎虎。うーん、あの、どういうことか、わかってるか?」
黙って見下ろされて、晨風はいたたまれない気持ちになる。別に、止めなくてもよかったのかもしれなかった。そんな思いに気を取られていると、虎虎は「あーあ!」と言って隣に転がった。
「しなーい!」
いつもの、子供っぽい物言いだった。少し、拗ねたような。
「あー、別にいや、おまえがいいんならいいんだ」
先走ってしまった自分が恥ずかしくなって、晨風は慌ててごまかす。今のはそういう流れなのではないのか。もっと、深いところに触れたいとかなんとか、彼が言っていたと思ったのだが。
「今、兄さんの頭の中、あいつでいっぱいだもん。僕に触られてるのに、あいつのこと思い出してたりしたら絶対いやだ。兄さんには、あいつのことを悲しむ時間が必要だと思う」
晨風の腕に抱きつきながら、虎虎が言った。
図星を突かれて、晨風はどきりとする。
このまま流されて、星宇のことを考えるのをやめたい気持ちがどこかにあった。
彼の身代わりとされる虎虎は、面白くはないはずだ。
「虎虎、ごめんな」
罪悪感を覚えながら晨風が謝ると、虎虎は手を伸ばして晨風をさらに抱きしめてきた。
「僕はまだこれからずっと兄さんといるから、いいけどね! すぐに兄さんの一番になるし」
彼はそのまま自分の上に乗ると、いつものように頬を舐めてくる。
得意げな声音がかわいい。晨風の心に、おだやかであたたかい気持ちが流れ込む。
あの自分を威嚇していた小さくてあどけなかった生き物が、こんなふうに自分を思いやって、大切にしようとしているなんて。
「そうだな」
晨風は虎虎に向かって少し微笑んだ。それにつられたのか、虎虎も微笑む。
「うん。だけど、いっぱいくっついてもいい?」
改めて言葉にされると気恥ずかしい。それでも、それは晨風も望んでいることだった。
「いいよ。おいで」
晨風は手を伸ばして彼の額を自分の額に押しつける。虎虎はふたたび自分の唇を彼の唇に押しつけてきた。
彼の気遣うようなやさしい動きに、晨風はほっとしている自分を感じた。
──本当に彼の言うように、きっとすぐ、彼が自分の一番になるだろう。